「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



35  呪いの連鎖
    船の上にあがってきたカイリとヴァイロンの姿に、それまではしゃいで船の上で走り回っていたジョ リーとチェスナットだったが、急にそれぞれの親の姿に涙目になって抱きついていった。 「お父さん!」  感動の親子の対面のように、その太い腕に娘を抱きしめたヴァイロンが胸の飛び込んできた娘の髪を 撫でた。  そしてそれを見ていたジョリーも、両手を開いて笑顔で屈んでくれたカイリの胸に抱きつく。 「母さん、心配かけてごめん」  疲れた顔を見ればわかる。自分がいなかった一晩の間に、どれだけの心配で神経をする減らさせてし まったのか。でも、その顔にあるのが、本物の安心感と愛情であることが、ジョリーには嬉しかった。 「いいのよ。こうして元気に笑っているあなたの顔が見れれば、それだけで母さんは幸せだから」  久しぶりに抱きしめられた胸は、母さんの柔らかで甘い匂いがして、堪えていた涙が零れそうになっ て唇と噛みしめた。  穏かな朝の空気と曙光に照らされた海は、緩やかに波間を漂って船を揺らしていた。  見上げた母親の顔の向こうにキラリと眩しい朝日が見えて、ジョリーは目を細めた。  そしてその光の逆光の中で黒い影として立つ男に目を向けて首を傾げる。 「ケーヌじいさんだよね?」  それにケーヌがヘっと笑って見せると、ジョリーの頭をクシャクシャと撫でて歩きした。  視線の先にいるのは、親子の邂逅を眺めていた海賊王アンギナンド。  ケーヌがかつてこの船の上でみた姿とは異なっていたが、それでもその体が発する海賊王たる威圧感 が、ケーヌにそれが思ったとおりの人物だと確信させていた。  ケーヌは海賊王に対する礼をもってその前に膝を折ると頭を垂れた。 「海賊王、アンギナンド」  そしてアンギナンドは、目の前まで歩いてきたケーヌを薄笑いの浮んだ顔で見下ろしていた。  横に立ちシスターヴァイロレットだけが、やはり海賊だと分かる尖った殺気に似た雰囲気をかもし出 す男に、事の成り行きを心配げに見つめていた。 「おまえには見覚えがある。俺から灼熱の太陽へと導く、導きの石を奪った男。俺の血を浴びて同じく 呪われた男」 「まさしく」  ケーヌは不敵な笑みを浮かべて立ち上がると、アンギナンドを正面から見た。  あの時の干からびた骸骨のようであった男とは違う、やはり自分と同じように若返ったアンギナンド が自分を見つめ返す。 「あれは不運だったな。俺が灼熱の太陽の守護者としての役目を放棄して奴らに歯向かったために百年 の放浪という呪いを受けた時の血だったからな」  そう言ったアンギナンドの目がカイリのキスをくすぐったそうに受けているジョリーに向けられる。 「で、あの導きの石をあの小僧が持って現れたということは?」 「あれは俺が不運な呪いをこの身に受ける前にできていた息子でね」 「ああ、なるほど」  アンギナンドは穏かな笑みの中で、ほんの少しの同情を込めた目をケーヌに向ける。 「……なんだ?」  その目に眉間を険しくしたケーヌがアンギナンドに問う。 「呪いってやつは、消えるわけじゃない。軌跡を描きながら連綿と因縁のように巡るもの」  アンギナンドがジョリーと、父親の肩に乗せられて晴れやかに海と空を眺めるチェスナットに向かう。 「……どういう意味だ?」  厳しく低い声でアンギアンドを睨むケーヌに、アンギアンドが悲しく笑う。 「呪いは引き継がれた。おまえの息子とあの娘に」  船室に通されたカイリとヴァイロン、そしてケーヌはアンギアンドの隣に立った二人、ジョリーとチ ェスナットに目を見開いた。  二人がそれぞれに手にしているのは、伝説と謳われた宝玉。灼熱の太陽と戦乙女の涙。  聖なる血を凝固させたような紅い宝石を内部に秘めたクラウンと、透明な乙女の涙の雫に似た清らか な透明な石の中に沈んだ、哀しみという智を秘めた青い雫の腕輪。 「二人は宝玉の守護者に選ばれました」  シスターヴァイロレットの厳かに述べられた言葉の真の意味を理解したものは、そこにはいなかった。 「守護者に選ばれた? ……それはどういう意味だ?」  最初に反応したのはヴァイロンだった。  自分の娘の肩に置かれたアンギナンドの手が気に入らないとばかりに睨みつけるが、アンギナンドは 軽く受け流すと微笑み返す。 「二人はファウーヤの先にある聖なる島へと旅立たなければならない。それは拒否することも無視する こともできない。その意味は、そこの赤毛の男が身をもって体験したはずだ」  話を振られたケーヌがその意味を悟って眉間の皺を深くするとアンギナンドを睨んだ。 「俺と同じように呪いをその身に受けることになると?」 「そうだ。この二人の場合は、おそらくは死」  その言葉に大きく悲鳴のように息を飲んだのはカイリだった。  うちひしがれたように悲愴な顔で自分を見る母親の目に、ジョリーはすまない気持ちでうな垂れた。  海賊になりたいと思っていたうえに、クロニアというアンギアンドの妹の存在を知った今は、自分に できることなら何でもしれやろうという気持ちが大きい。だが同時に、それはこの母を一人置き去りに して去っていくことであることを、ジョリーは改めて知ったのであった。  だがそう思ったとき、そのカイリの肩を隣りに立っていたケーヌが抱き寄せて力づける姿に、ほんの 少し安心感を持った。  ずっと好きだったケーヌじいさんは、どうやらじいさんではなく、自分の父親であったらしい。そし て今でも、母カイリを愛してくれている。  きっとこれからはケーヌがカイリを守ってくれる。  だがそれに一番納得できない顔でダンと足音も高く立ち上がったのはヴァイロンだった。 「聖なる島に旅立つだぁ? こんな小さくてか弱い娘を一人で海賊なんぞに預けろとそういうことか?」  ヴァイロンのこめかみの血管がピクピクと震えていた。  顔は頭に血が上って赤くなり、吐き出される息は今にも怒鳴り声を上げそうに震えていた。  その怒りを逆なでするようにアンギアンドが笑みを深くする。 「いかにも。チェスナットは今やただの小娘ではなく、戦乙女の涙の唯一の正統なる継承者となった。 その契約に基づく拘束力は、そこの小僧が身に受けた刻印よりも色濃い。決して逃れることはできない」 「契約だと? そんなものてめぇが俺の娘に強引に押し付けたんだろう」  ボルテージの上がった怒鳴り声に、アンギナンドが静かに返答する。 「その通り。この船にかかった呪い事態も解くには新たな守護者が必要だったんでね」  あくまで人を小馬鹿にした笑みを絶やさないアンギアンドに、ヴァイロンがその襟首を掴み上げる。  だが握った拳をその顔に叩き込む直前でチェスナットにその手を止められた。 「お父さん止めて。わたしは自分で望んで守護者になった。わたしの存在が誰かの役に立つのなら、そ れは命をかけてもやるべきことだと思わない? そうでしょう?」  真剣な娘の声に、だがヴァイロンはきつく歯を食いしばって唸るように言う。 「英雄になどなろうなどと思うな! 俺は、おまえに普通の娘として普通の幸せを掴んで欲しいだけだ」  普通であることがつまらなく感じることもあるだろう。だが、それは自分が手にしている幸せが崩壊 したときにどんなに貴重なものであったのかに気付いて嘆いても遅いのだ。  それが今のチェスナットに理解できようことがないのは分かっていたが、それがもどかしくヴァイロ ンは自分への歯がゆさでうめきを発した。 「……お父さん」  チェスナットは両手で父の手を包むと、切なそうにその顔を見上げた。 「ねぇ、お父さん。その普通の幸せをみんなが持てるように、わたしがしてあげることがあるのだとし たら、どう? わたしはすでに知ってしまったの。自分ができることをしないで逃げることは、もうで きない。そんな卑怯な人間にはなれない」  真面目で献身的で優しい娘が何よりも自慢だった。だが、その真っ直ぐで深い愛情がこんな結果にな るなどとは……。  うな垂れて眉を寄せて苦しむヴァイロンに、チェスナットがそっと言う。 「わたしは行く。お願い、許して」  頑固で言い出したら聞かない性格であることはよく知っていた。  ヴァイロンはぎゅっと目を瞑ってしばらく黙り込むと、キッと顔を上げてアンギナンドを睨みつけた。 「おい、おまえはこの船の船長なんだろう」  襟首を掴んだままに言うヴァイロンに、アンギアンドは涼しい顔で頷く。  その顔にツバを飛ばしながら、ヴァイロンがいう。 「だったら俺をこの船のコックに雇いな」
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