「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



34   それぞれの旅立ち
          見たこともないほど大きな黒々とした威容をもった船に、カイリとヴァイロンが打たれように立ち尽 くしてみていた。誰もがただ、言葉もなく波間をゆっくりと進んでいく船を見守っていた。  その背後でした足音に、ヴァイロンが振り返った。  その体に緊張が走るのに気付いてカイリも後ろを振り返った。  そしてそこにみた男の姿に、あっと声を上げて口を手で覆ったきり、二度目の大きな衝撃に立ち尽く した。  赤毛の、何度も求めて止まなかった男が荒い息に胸を揺らしながらそこに立っていた。 「カイリ」  男が荒く吐き出される息の合間につぶやくと、嬉しそうに微笑む。  自分の名を呼ぶその声に、一気に涙が頬へと流れ落ちる。  今までどこにいたの? 元気にしていたの? 今でもわたしのことを愛してくれているの?  聞きたいと思っていたことは山のようにあったはずなのに、その瞬間に溢れた思いはただその体を抱 きしめ、抱きしめられたいという思いだけだった。  カイリは駆け出そうとして足を一歩踏み出した。  だがその前にヴァイロンの太い腕が突き出される。 「……ヴァイロン?」  見上げたその顔は、あの日、彼を殴ったときに見せたのと同じ、いやそれ以上に激しい怒りの溢れて いた。 「おまえ、今ごろ。………今までどこにいやがった! カイリがどれだけ苦労したと。てめぇの無責任 な胤で子どもができたってのに、カイリが一人で苦労して育てたたっていうのに………今ごろ現れやが って、ふざけるな!」  その怒号に、周りに集まっていた人々も度肝を抜かれて、遠巻きに様子を見守っていた。  だがそのヴァイロンの怒号に、男はフッと笑いを浮かべた。 「確かにカイリやジョリーを夫や父親として支えてやることはできなかったさ。でも、ちゃんと側には いた。……なぁ、海賊亭の旦那さん」  最後の言葉をしわがれた声で言った男に、ヴァイロンは眉を顰めた。そして男が差し出したその手の 平にある火傷の痕に、言いたいことを理解して目を見開く。 「てめぇは。………いや、そんなはずは」  だがそう呟いたヴァイロンの横で、カイリが駆け出すと男の名を呼ぶ。 「ケーヌ」  長い邂逅の末のかたい抱擁を交わす二人を見つめながら、ヴァイロンが呆気にとられてカイリの背中 を抱きしめる男を見つめる。 「ケーヌのじじいが? ………そんな馬鹿な」  小船の櫂を操るケーヌの背中を眺めながら、これまでに聞いた話を反芻する。  そんな夢物語のような話があるものか。  ヴァイロンはそう思わずにはいられないのだが、それでも目の前には若返ったケーヌがいて、伝説と 謳われた海賊船がいる。  カイリを置いて再び海賊船へと乗り込んだケーヌは、これが最後の仕事と決めて船に乗った。そして 最後の大捕り物、ポイシーヴィルーゴに挑んだ。だがその船の上で出会ったキャプテンアンギナンドの 呪われた血をその身に受け、一気に老化してしまったというのだ。  そんな姿ではとてもではないがカイリの前には現れることができない。そう思ったケーヌは老人とし て陰でカイリとやがて生まれた自分の息子を守ろうとしてきたのだといういう。  ジョリーが海賊亭で働くと聞いて、同じように海賊亭に仕事を貰いに行き、その成長を側で見守って いたのだと。  それがどんなに辛いものであったのか、同じ子どもを持つ父親として感じとってやることはできた。 父親だと名乗れない。苦労し通しの息子を守ってやることができない歯がゆさ。  だが、だからといってケーヌを快く受け入れることはできなかった。  どんなに辛い思いをしたのだろうと、結局はおまえのせいでカイリもジョリーもしなくていい苦労を 人一倍背負って生きてこなければならなかったのだ。それを今さらノコノコと現れて、実は側で見守っ ていたのだと言われても、はいそうですかと、カイリを手渡す気にはなれなかった。かといって、そう 思う自分がどれだけカイリのために助けになっていてやれたのだと言われれば、押し黙るしかないのだ が。 「あの船にあの子たちがいるの?」  カイリが櫂を漕ぐケーヌに尋ねる。 「ああ。必ずだ」 「どうしてそんなことが分かる」  不快感が漂う低い声でヴァイロンが問えば、ケーヌが小馬鹿にしたような釣り上げた眉で振り返って 言う。 「それこそ海賊の感か? あそこには灼熱の太陽がある。そしてそれを求めたジョリーとチェスナット がいるはずだ」  小船で近づくとその威容を感じさせる巨大な船に圧倒される。  この船ならば、遠く荒くれる波の中でも、どこまでも突き進んでいける気がしてくる。  首が痛くなるほどに海賊船ポイシーヴィルーゴを見上げたカイリは、やがて光の逆行の中で船から見 下ろす二つの影があるのに気付いた。  目を眇めて、手で陽の光を遮ってその人物を見極めようとする。  そしてその影が手を振るのに気付く。 「ジョリーのママ。わたしたちはここよ。あ、お父さんもいる」 「母さん」  チェスナットとジョリーの元気な声が頭上から降る。  そしてジョリーの声が続く。 「ケーヌじいさん? ……っていうか、じいさんじゃないじゃん」  よく分かったものだとヴァイロンが思う先で、ケーヌが船の上を見上げて叫ぶ。 「ジョリー、じいさんじゃないぞ。おまえの親父だ」
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