「灼熱の太陽をこの手に掲げ」




3  ジョリーの気持ち
      すでに日付が変わった頃、最後の客が千鳥足で帰っていく。  ジョリーはすでにふやけてしまった手で最後の皿を泡ぶくの中に沈めて洗い始める。  腰がガチガチに固まって痛みを発していたが、今日もこれで終わりだと自分に言い聞かせて手早く皿 を洗っていく。  それを隣りに立ったチェスナットが受け取ってふきんで拭いてくれる。 「今日はこんなに遅くまで大丈夫なのか?」  ずいぶんとくたびれた顔をして、目も半分しか空いていないチェスナットにジョリーが言う。 「ん? うん。大丈夫よ。明日は学校も休みだし、同い年のジョリーは毎日、学校がある日だって働い てるんだもの。わたしだってできるわ」  空元気に笑顔を見せたもの、体の動きはすでに疲れのために鈍い。 「チェスナット、休めよ。もう、俺ひとりでできるから」 「そうじゃよ。皿拭きはわしがやろう」  後ろから厨房のブラシがけが終ったケーヌじいさんが言い、腰が曲がっているわりに素早い動きでチ ェスナットの手からフキンをかすめとる。 「あ」  不意に手からフキンが消えたチェスナットは呆気にとられたようにケーヌじいさんを見るが、とうの じいさんはご満悦の表情でゆかいにフキンを振ってみせる。 「わしの腕もなかなかじゃろう?」 「スリの腕?」  皿を洗い終え、手の水を振り落としたジョリーが言う。 「そんな狡い技じゃないわい。戦いの技じゃ」  ケーヌじいさんは二人に耳打ちするように、顔を寄せると小声で言う。 「これは秘密じゃがな、わしは昔、海賊だったんじゃ」 「海賊?!」  思わず声を上げたジョリーに、ケーヌじいさんが「これ、秘密だというているだろうに」と口に指を 当てる。 「じゃあ、その足の怪我も?」  すっかり目が覚めた様子で好奇心満々で顔を寄せるチェスナットに、ケーヌじいさんは皿を拭きなが ら自慢げに頷く。 「これはあの、伝説の海賊王アンギナルドの船と戦ったときに撃たれたんじゃ」 「へぇ〜」  感心して頷くチェスナットの横で、ジョリーは大きく目を見開いて口を開けたまま、何も言えずにじ っとケーヌじいさんを見つめていた。  それに気づいたチェスナットがジョリーの横顔を見ながら、首を傾げる。 「ジョリー?」  うっすらと頬を紅潮させ、ぎゅっと両手を握り締めたジョリーが、ケーヌじいさんに向って一歩を踏 み出す。 「じいさん!」 「ん? なんじゃ?」  今までに聞いたこともないほど気合の入ったジョリーの声に、ケーヌじいさんが振り向いて驚きの表 情を浮かべる。  あまりに真剣で興奮したジョリーの視線が熱い。 「いったいどうしたんじゃ?」 「お、俺、海賊になりたいんだ。なり方教えてくれ!」  誰もいなくなった厨房の中で、ジョリーの声が大きく響く。 「なんじゃと?」 「なんですって?」  ケーヌじいさんとチェスナットの声が、重なった。 「はい、どうぞ」  チェスナットの入れてくれたお茶と、残り物で作ったサンドイッチを手に持ち、海賊亭の裏庭で、三 人は芝生の上に座っていた。  店の裏は海に面した高台で、夜更けの風に乗って潮のにおいが漂う。  空には零れ落ちそうなほどに無数の星がひらめき、月が海の表面で溶けていた。  黒々とした揺れ動く海の上を、黒い影となった帆や、遠く漁り火の明かりが見えていた。 「ジョリー、海賊になりたいというのは、本気かね?」  お茶をすすりながらケーヌじいさんが言う。  草の上に直接座り込んだ二人に対し、右足の膝が曲がらないケーヌじいさんは側に転がっていたバケ ツをひっくり返して座っていた。  サンドイッチを齧っていたジョリーは、じいさんを見上げると迷いなく頷く。  それを横から見つめるチェスナットの顔は、不安げに眉を下げた顔でジョリーを見つめる。 「俺、本気で海賊になりたいんだ。みんなバカにするし、そんな子どもの夢みたいな事言ってないで、 ちゃんと働いて家族を養えって言われるけど」  ケーヌじいさんはジョリーの言葉に静かに頷き、お茶をもう一度すすった。  そしてチェスナットも、真剣な顔のジョリーを無言のままに見つめていた。  穏かにみえる海に目を転じ、暗い海を滑るようにゆっくりと進んでいく船を眺める。  交易のための船でも、海の旅は危険を伴う。  それが船を襲うためにいる海賊となれば、命の保証などどこにもないのだ。  だいたい、海賊なんて犯罪者ではないか。他人の荷を盗み、ときには平気で人を殺す。そんなものに、 なぜジョリーはなりたいなどというのか?  海賊なんて、ジョリーには似合わない。  チェスナットは自分の中でそう思うと、そっとジョリーの横顔を盗み見た。 「ジョリー、おまえはまだ子どもなんだ。夢を持つことは大切だし、その夢に向っていろんな新しいこ とにチャレンジすることは、ジョリーのこれからの人生を豊かにする助けになるはすだ。だから、海賊 になる夢を持ったって、それは構わないとわしは思う。それに、おまえは今だって十分過ぎるくらいに 働いて家族を助けている。それは誰がなんと言おうと、真実じゃ。わしもチェスナットも認めるところ じゃ」  ケーヌじいさんのいつも見せる顔よりも真剣に人生を説く姿に、チェスナットもうなずく。 「そうよ。ジョリーは偉いわ。怠けることなんてしないで全力で働いているでしょう? それで愚痴っ たりなんて絶対にしないもの」 「そりゃ、大変だと思ってなんで俺だけこんなに苦労するんだって文句言いたくなることもあるけどさ、 母ちゃんが体弱いのも仕方ないし、どっちかっていうと俺を生むために苦労したせいで母ちゃん病気に なったんだから、助けたいんだよ。それに……」  俯き加減で自分の気持ちを語っていたジョリーだったが、不意に口をつぐむと先を続けることなく海 を見つめた。 「それに?」  隣りのチェスナットに尋ねられ、ジョリーは言いにくそうに眉をしかめた。 「親父さんのことと関係があるのかね?」  言いにくそうなジョリーのかわりにケーヌじいさんが言う。  じっと海を見つめたまま、ジョリーは頷いた。 「俺の親父は船乗りなんだって、母ちゃんが言ってた。一時的にこの町に停留していたときに知り合っ たんだって。どうやら俺の親父は海賊だったらしいんだ。だから船が出るときは一緒に連れて行けない って言われたらしいんだ。おまえが大事だからそこ、船には乗せられないって。男しかいない船に若い 女がいることが危険なんだって。航海じたいも危険だし」 「じゃあ、おばさんは、ジョリーのお父さんと別れた後でジョリーを産んだの?」  チェスナットがショックを受けた顔でじっとジョリーを見つめる。  その視線を横顔に感じながら、ジョリーは頷く。 「親父が船で海に出てしばらくしてから、俺が腹にいるのが分かったんだってさ。でも、誰も母ちゃん を助けてはくれなかったって。海賊の男とつきあってただけでなくて、その男の子どもを宿したんだっ て言って、冷たくされたみたいだ」 「そんな……」  ショックと怒りが混じった荒げた声で言ったチェスナットに、ジョリーは苦笑を浮かべる。 「それは今だって続いてるわけだけど」  チェスナットは胸から頭に突き抜けていた怒りが、急激に冷えていくのを感じて肩を落とした。  そうか、だからジョリーはいつも汚い格好しかできないほどに貧しくて、友だちもいなくていつも一 匹狼のようなのかと、事実が胸に落ちる。 「海賊なんてものは、海の上のチンピラに過ぎないからのう。陸の上でまともに生きていく術も力もな いものが、海へと逃げていく。そして足りない頭の変わりに力にものを言わせて他人から物を巻き上げ て生きていくんだ。弱いものが固まりあって威勢と勢いで虚勢をはっただけの集団さね」  ケーヌがそう言っておもむろにサンドイッチを口に持っていく。 「ジョリー、おまえは自分の親父さんを探し出したいから、海賊になるというのか? それとも自分を 見下す町の人間から逃げ出したいのか?」  ゆっくりとサンドイッチを噛みしめながら、ケーヌじいさんがまっすぐに尋ねる。  その問いに、ジョリーの瞳の色が暗く沈んでいく。  ジョリーは自分の心の内の深いところを見つめるのが嫌で、いつの間にか本音とは違うところで心の 表面を掠めた言葉を口にする。 「別に。そんなんじゃないよ。今みたいにこき使われて安銭しか稼げないような仕事よりも、一発当て て母ちゃんを楽にさせてやれるような仕事がしたいだけ。こんなくそ小せえ町でそんな仕事なんてねぇ じゃん。それこそ海賊になるくらいしか」  バカ話のように軽く言って笑ったジョリーに、だが、ケーヌもチェスナットも笑わなかった。  明らかにジョリーが自分たちに対して張った防壁が見えたからだ。   これ以上は踏み込むなと手の平をかざすジョリーが見える。 「……ごめんね、うちの給料が安いから……」  思わぬところで謝られたジョリーは、チェスナットに「冗談だって。親父さんのことは好きになれな いけど、感謝してるんだって」と笑い飛ばす。  そんな二人を黙って見つめていたケーヌじいさんだったが、立ち上がるとズボンのポケットの中から 何かを取りだしてジョリーに差し出した。 「これをおまえにやろう」 「なに?」  笑顔で受け取ったジョリーは、手の平にのった丸い石に紋様を掘り込んだ細工品を眺めた。闇の中で は真っ黒に見える平たい石は、ジョリーの手の平と同じくらいの重さで、石でできた歯車の一つのよう な、それよりも繊細なアクセサリーにもなりそうな彫物のようにも見えた。 「わしが海賊をしていた最後の獲物だ」 「え? そんな大切なもの」  それに笑って欠けた歯を見せたケーヌじいさんが、ギュッとジョリーの手に握らせると店の厨房の方 へと帰っていく。 「海賊になるなとは言わん。だが、わしに言わせれば、あれほど馬鹿げた仕事もなかろう。おまえにな ら、もっと他の仕事もできると思うがな。それを見ながら、よく考えてみることじゃな」  右に傾いて歩く歪んだケーヌじいさんの背中に、ジョリーが頷く。 「……うん。ありがとう」  ジョリーの横でチェスナットも立ち上がる。 「随分おそくなっちゃったね。もう、かえって寝ないといけないね」 「そうだな」  ジョリーも立ち上がると、尻についた草を払い、店の厨房へと歩いていく。  これで長い一日もやっと終る。 「じゃあ、また明日な」  手を振って帰っていくジョリーの背中を見送りながら、チェスナットは複雑な思いで頷くのであった。
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