「灼熱の太陽をこの手に掲げ」




2  海賊亭のぼくのともだち
「ジョリー、さっさと皿洗わねぇか。客に出す皿がねくなっちまうんだよ!」  海賊亭の、まさしく海賊かと思う、ドクロの眼帯をした主人が厨房の中で怒鳴る。 「ああ、分かってるよ!」  ジョリーはついさっき自分が命令してきたくせにと思いつつ、じゃがいもの皮むきを中断すると、汚 れた皿が山盛りの流しへと歩いていった。  皿はオレンジ色やみどりに変色した油で覆われ、見るだけでげんなりするほどに汚れていた。  これだけ見ていたら、いったいこの店では何を食わせてるんだと思わせるような色合いだが、実はな かなかうまい料理をだすことで有名な店だったりする。  オレンジはトマトのソースの残りだし、みどりはバジルとチーズが混じったソーズだ。  本日のお客様がたは、ソースの一滴でも残してなるものかと必死にスプーンですくって食べ尽くして くれたらしい。  店を愛するジョリーにも、嬉しいことではある。  もちろん、あのヒゲずら薄らハゲのおっかない親父は好きにはなれないのだけれど。  一緒にじゃがいもの皮を剥いていたケーヌじいさんの後ろで皿洗いをはじめれば、しょぼしょぼとし た目を鼻眼鏡後しに上げてジョリーを見る。  そして僅かに残った黄色い歯を見せて笑う。 「おまえは何でも手早で、賢いのぉ」 「賢い?」  がちゃがちゃと泡のついたスポンジで皿を擦りながら、ジョリーがイスに座ったケーヌじいさんを振 り返る。 「皿洗ってるの見たって、頭のできは分からねぇんじゃねーの?」 「いや、この年になれば分かるんじゃよ。この不思議の千里眼での」  すっかり白くなって見えているのが不思議なくらいの小さな皺だらけの目を示し、ケーヌじいさんが 笑う。 「へえ。だったらありがたく、俺様は賢いってことにしてもらっておくよ」  ジョリーは溢れ出しそうなほど勢いよく水を出しながら、ちゃっちゃと皿をすすいでカゴの中に放り 込んでいく。 「おい、ケーヌのクソじじい! いつまでちんたらイモの皮向きしてやがる。裏の倉庫からタマゴ持っ て来い。100個だ!」  再び厨房の顔を覗かせた親父が口汚く、唾を飛ばしながら怒鳴る。 「へい。旦那さん」  ケーヌじいさんは、ジョリーと話していたときの笑みを萎れさせ、おずおずと頭を下げるとイスから ゆっくりと立ち上がる。膝も腰も曲がったケーヌじいさんは、立ち上がるだけでも「大丈夫か?」と駆 け寄りたくなるくらいによぼよぼだ。  しかも昔の悪さをしていた時代とじいさんが語る頃の古傷で、左の肢が動かないじいさんは、足を引 きずるように歩いていく。  なにもこんなじいさんに倉庫まで歩かせて、割れやすいタマゴを運ばせることはないだろうに。  なんてくそ意地悪い根性曲がりだ。顔が悪いだけで勘弁しておけ。  そんな思いで目を上げれば、運悪く親父と目があってしまう。  片目だけの真っ黒なご太い眉の下で、小さな目が険悪に顰められる。 「あん? なにか文句あるのか?」 「別に」 「はん。厄介ものだってのに、態度だけは一人前にでかいときている。ケーヌもてめえも、雇ってもら ってるだけでも感謝しろってもんだ」  親父は鼻息荒く文句を言い立てる。  きっと嫌な客でもあったに違いない。八つ当たりはいい加減にしてほしいものだ。  ジョリーはへの字に曲げた口を見られないように顔を下に向けながら、洗いあげた皿をふきんで拭いて いく。  とそこへ救いの天使の声が入る。 「お父さんこそ、馬鹿なこと言ってさぼってないでよ。さっさと働いて! 今日は忙しいんだから」  これが本当にこの親父の種でできた子どもなのかと誰もが思う、可憐な少女が、三角巾と白いエプロン姿 で仁王立ちしていた。 「あ、チェスナット」  とたんに肩をすぼめて一回り小さくなった親父が、振り返って娘を見る。 「それから、ジョリーもケーヌおじいさんも、うちでは大切な従業員です。厄介者なんて、ここ海賊亭 では雇っている余裕はないはずです」  正統な論理を父親に突きつけ、チェスナット嬢が父親を下から睨みつけて見上げる。 「そ、そりゃそうだな、チェルシー。全くだ。さてと……」  親父はわざとらしくレストランを見つめ、「おっと、お客が呼んでるよ」などと呟いて小走りに娘の 横を通り過ぎていく。  もちろん、通り過ぎざまにちゃんと三角巾の頭を撫でながらであったが。 「ジョリー、お皿はわたしが拭くから、ケーヌおじいちゃんの手伝いに行って」  隣りに立ったチェスナットが、ジョリーの手からふきんを受け取り、白いお皿を拭き始める。 「ああ」  職人技のように皿とふきんを操るチェスナットの横顔を見ながら、素直に礼を言うことが照れくさい ジョリーが頭を掻きながら言った。 「あ、ありがとうな。ケーヌじいさんを庇ってくれて」  それだけ言って背をむけたジョリーに、チェスナットが慌てて声をかける。 「ジョリー」  呼び止められ振り返ったジョリーに、チェスナットがふきんに指をかけ、ちょんとジョリーの鼻の頭 を拭く。 「泡ついてたよ」 「あ、ありがとう」  なぜか紅くなったチェスナットに、ジョリーまで紅くなる。  そして二人の間にある空気に居たたまれなくなったジョリーが「あ、いけね」と叫んで駆け出してい く。  その背中を見つめ、チェルナットは濡れたふきんで熱くなった頬を挟んだ。 「な、なんで熱くなるのかしら?」  だがそう呟いてポーとしていたのはほんの一瞬で、ふたたびふきんとお皿を構えれば、職人芸で次々 と真っ白になった皿を積み上げ、力技で運んでいく。  裏の倉庫から一緒にたまごのカゴを運んできたケーヌじいさんとジョリーも戻り、再び忙しい喧騒に つつまれた戦場のような厨房が戻ってくる。  今日も海賊亭は大賑わい。  酒に料理にと、次から次へと厨房から運び出され、忍び寄る夜の静寂もなんのその、明るい喧騒をあ たりに振りまき闇をオレンジの光で満たしているのであった。
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