「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



 19 地下の門番
 余りに生の気配を漂わせたミイラだった。  血はすでに乾き、肉と皮は土へと変化した完全に命の抜け落ちたかつて人であったもの。だが、その 死体であるはずのものがかつて生きていたものであることを、乾いているからこそ見守る自分の体の中 に忍び込もうとする意志となってまわりを漂う。  白い骨の筋をつくって張りつく筋肉の繊維一つ一つが、今にも叶うならばその手を伸ばそうとするよ うに。  あなたはここを守っているのですか? ここから先へと進むものを拒んでいるのですか?  すでに眼球は消失したミイラの顔を見つめながら、ジョリーは心の中で問い掛けた。  守っているのですか? それとも、苦しみながらここに置き去りにされた末に命を落としたのですか ?  それまで死した人間が恐ろしくて仕方がない様子だったチェスナットが、コソっとジョリーの肩越し にミイラを見た。  頭蓋骨に張り付くようにして生えている髪が顔や肩の乾いた皮膚に貼りつき、うな垂れた顔の周りを 覆っている。  そして髪はその胸元へと繋がっている。 「ねぇ、この人、女の人なの?」  チェスナットが不意に耳元で言う。 「え?」  ジョリーは思っても見なかったチェスナットの言葉に改めてミイラを見上げた。  先入観で海賊だと思っていたために、男だと思い込んでいたのだ。  ジョリーはそっとボロボロに朽ちている服に手をかけると、そっと胸元を覗いた。  そしてそこに、すでに肉としての瑞々しさはないものの、男ではありえない胸のふくらみを見つけて 目を見開いた。 「女の人だ」  チェスナットもその言葉で、恐る恐るジョリーの後ろから出てくるとやっと全体像を見上げるように ドアに磔にされたミイラを見つめた。 「……ねぇ、しかもこの人、ロザリオ下げてる」  胸の谷間に落ち込んだ黒いチェーンの先に、信仰の現れてであるロザリオがしまわれていた。 「教会の人ってことだよね」 「……シスターだっていうの? だったらなんでこんな恐ろしい死に方を?」  神に仕えた女性が、なぜに磔などという仕方で地下の陽も射さず、誰にも看取られることもないとこ ろで死ななければならなかったのだろう。  そしてなによりも、海賊アンギナンドへと通じているのかもしれないこの扉を、なぜ教会の人間が守 っているのだろうか? 「……教会ってなんなの?」  同じ事を考えていたらしいチェスナットが、黒い影のように湧き出した疑念に身を震わせた。  でもそんなことは自分はどうだっていことなのだ。ただアンギナンドに近づきたい。海賊という世界 を垣間見てみたい。  ジョリーはミイラの前から離れると、あたりの壁に手を触れて調べ始めた。 「……なにしてるの?」  松明の明かりを預けられたチェスナットが、ジョリーの背後から壁を照らしながら言う。 「ここへは教会内部から誰かが通って来ているなずなんだ。だとしたら、この扉を越えていく方法が必 ずあるはずなんだ」 「……うん」  必死に壁に爪を立てて調べるジョリーの手を見つめながら、チェスナットも辺りを見回した。  決して高いとはいえない洞窟の中に出現した両扉の重々しい扉。  その扉の前に仁王立ちしたように鎖で手足を扉に拘束した女のミイラ。  松明の揺らめく炎に照らされて影を濃くする様子は、酷く恐ろしげで見た人間を慄かせるには十分な 存在だった。  このミイラ自体が、この扉の先へは進ませない鍵なのだとしたら。  チェスナットはそう思いつくと、ごくりと喉を鳴らしてミイラを見上げた。  一歩引きずるようにして近づくだけで心臓が口から飛び出すかと思うほどに跳ね上がり、冷や汗が背 中から噴き出す。  うつむきあまりミイラの顔は見ないように、目線を斜めに保って扉の前に立つ。  そして指を扉へと伸ばしていく。  明らかに震えて、なにか少しでビクリとするようなことが起これば叫びを上げて逃げ出してしまいそ うな動きで扉に触れる。  錆びてかさついた表面を押す手のすぐ横に、ミイラの腰が目にはいる。  怖いなら、思い切ってさっさと終らせようよ。  自分に言い聞かせながら、チェスナットは腕に力をこめると扉を押した。  自分の押した面が下がってミイラを中心の軸とするように回転し始める。  呆気ないほどにあっさりと動いた扉は、両開きに見せた回転扉であったのだ。 「ジョリー!」  クルリと回り、強張った体を巻き込んで回転していく扉に、チェスナットが恐怖の声を上げる。  ジョリーは伸ばされたチェスナットの手を握ると、ミイラに激突するようにして回転する扉の中に飛 び込んだ。  強く吹き付けてくる風に、松明の炎をバタバタと音を立てて揺れる。  胸にしがみ付いてくるチェスナットを抱きしめ、扉の向こうに広がる世界を一秒でも早く掌握しよう と目を見開くジョリーに、その奥深い全容を決して覗かせてなるものかと深い闇が二人を迎える。  明らかに今まで通ってきたような地下通路とは様相が異なっていた。  巨大な空間だ。  ほんの一メートル前にある見通すことのできない黒い影に、ジョリーもチェスナットに縋るように腕 に力をこめた。 「チェスナット。……ここで待ってて」  胸の中のチェスナットを自分の後ろへと押すと、ジリジリと足を硬い地面に擦らせるようにして進む。  松明の炎を足元へと翳して闇の正体へと近づいていく。 「あ!」  声を上げたジョリーの足が小石を蹴り、闇の中へと転がした。  宙へと放り出された小石は、長い時間の果てにかすかに聞こえる程度の音でカラカラと音を立てた。  腰から震えが立ち上がって座り込みそうになるほどの深淵が口を空けていた。  ドンと後退りした足が膝から砕けて尻餅をつく。 「ジョリー?」  後ろから両手を胸の前で握り締めたチェスナットが走り寄ってきそうなのを腕で制して改めて足先 10センチにある深い亀裂を見つめた。  底までは果てしなく遠い。  これを飛び越えてあちら側へ飛べとでもいうだろうか?  そうだとしたら。  ジョリーは松明の光を掲げると、深淵の向こう側を目を眇めて見つめた。  密度をもった闇が淀みとなってたゆたう中で、微かに再びつづくことになるのだろう洞窟の入り口の ようなものが見えている。  だが、その口が待っている対岸までは、ゆうに5メートルはあろうという亀裂が横たわっている。 「……ジョリー」  横まで這い進んできたチェスナットがジョリーの手を握る。  硬い岩盤についていた手は、握られて初めて震えていることに気付かされる。  「随分深い穴みたいだね」  チェスナットは言いながら小石を拾うと、ポイと放る。  二人で耳をすまして音をたどる。自分の心臓の音さえ邪魔だと思うほどに。  やがてカランと音を立てて小石が着地。  もしかしたら砕けてしまったかもしれない。そう思うくらいに深い落ち込みの末に聞こえた音だった。 「人間だったらグチャだね」  思いの他軽い笑みさえ含む声で言われて、ジョリーはぎょっと目をむいてチェスナットを見る。 「……チェスナット……」 「あ、ごめん。不謹慎だったかな?」  そう言ってから特に腰が引けるでもない様子で膝と手で淵のぎりぎりまで這っていくと底を見下ろす。 「深すぎて見えないや」  チェスナットはそうしてから、山に向って叫ぶように谷底に向って叫んでみたりしている。  残響をともなってチェスナットの声が反響しながら底へと駆けていく。  そのとき、ジョリーのズボンのポケットの中でモゾモゾと動きだすものがあった。  ネズミのホイールだ。  いつも寝てばかりのホイールが、自分からポケットから抜け出ると、ジョリーのズボンを伝って岩盤 の上に降り立つ。 「ホイール?」  二本足で立ち上がって盛んに鼻をヒクヒクするホイールが、その小さな目で辺りを見回して辺りの空 気を伺っていた。  といきなりそのホイールが走り出したのだ。それも亀裂の中へと向って。 「ホイール!!」  小さな茶色の体が深い闇の中へとダイブしていく。  慌てて立ち上がって松明を闇へと掲げたジョリーの顔に、焦りによる冷や汗が浮んでいた。  脳裏に過ぎるのは、悲鳴を上げて落下していくホイールの体が、大きな石に叩きつけられて血を吐き ながら飛跳ねる様子だった。  だが実際にはそんな音も悲鳴も聞こえない。  必死に炎を翳して闇の底を見通そうとするジョリーに、不意にチェスナットがその腕を握った。 「ジョリー、ほら」  チェスナットが指さす。  そこには、ことの他近い位置で走り始めているホイールの姿があった。  いつもの「キュイーーン」と聞こえる鳴き声を発して頭上のジョリーを見上げ、短い小さな足で歩き 始める。 「下へとくだる道があるみたいね」  ジョリーのもつ松明の明かりがホイールが歩いている道を確かめるために這い進む。  緩やかに幾重もの折り返しを作る坂道の上を、赤い光と影が舐めていく。  そしてついに自分たちの足元にある岩盤へと繋がる地点を探し当てる。  ジョリーの肩にこめられていた力が抜け、フゥとつめていた息が吐き出される。 「ホイールのお手柄ね」  チェスナットがジョリーの手を握る。  その落ち着いた態度に、ジョリーが僅かにひがみを混ぜた目つきでチェスナットを見た。 「チェスナットは高いところが怖くないの?」 「うん」  あっさりと肯定したチェスナットが爪先立って足を高く上げながら歩き出す。 「だってわたし、学校では体操の代表選手だったのよ。得意なのは平均台。逆立ちで歩けるんだから」  初めて知るチェスナットの一面に感心しながら、踊っているチェスナットは実際に見てみたいと思う のであった。 「ダンスは得意なの。今度一緒に踊ろう」  クルリとターンを決めたチェスナットがジョリーの手をとって高く掲げて見せる。 「……踊れないよ」 「大丈夫。教えてあげるから」 「また……鬼コーチ?」  ジョリーの嫌そうな顔と声にムッと顔を顰めて見せたチェスナットだったが、闇の底から聞こえてき た二人を呼ぶホイールの声に、ジョリーを見て首を傾げて見せる。 「踊らなくていいから、エスコートしてくれる?」  チェスナットがジョリーの腕に自分の腕を絡める。 「エスコート? ……まぁ、手ぐらい繋いで歩いてあげるけど」  今までも何度も手ぐらいつないだことがあるジョリーなのに、なぜか熱くなる頬にチェスナットから 目をそらせて言う。  そんなジョリーを嬉しそうに見上げたチェスナットがフフフと笑う。 「じゃ、出発進行!」  ピクニックと呼ぶにはあまりに禍々しい闇へと行進。だが、二人の心は軽やかに谷ぞこへの道を下っ ていくのであった。
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