「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



18  冒険への決意
 パチパチと爆ぜる火にあたりながら、ジョリーが枯れ草を火の中に放り込む。  地下トンネルの中を進むようにしてきた二人だったが、湖の天井部分から入り込む光で僅かに育つ草 が焚き火の材料だった。  濡れた体のまま、枯れ草や転がった木の枝を拾い集めてつけた焚き火は、冷えた体に眠気を誘うほど に暖かかった。  膝を抱えて火にあたるチェスナットも、水に入ったせいか疲れを滲ませたトロンとした目で火を見つ めている。  ジョリーは黙ってチェスナットを見ていた目を天井部分にあいた穴に向けた。  斜めに射した光が、さきほどよりも奥へとその光を投げかけている。  湖の湖面で跳ねる光も、オレンジ色に煌めく。  だいぶ陽が傾いてきている証拠だ。 「チェスナット」  声をかけたジョリーに、火をみつめていたチェスナットが顔をあげる。  キョトンとした目で真剣な面持ちのジョリーを見つめて首を傾げる。 「なに?」  それにジョリーは差し込む光を見つめて答える。 「ぼくたちここまで進んできたけど……。ぼくはもっと先を見てみたいと思ってる。でも、チェスナッ トは……」  もうすぐ陽が暮れる。  そうすれば、今は光に溢れるここも闇に包まれる。  もちろん教会側に引き返しても出ることのできるドアは発見できていないが、ここには外界へと通じ ている穴が頭上に開いている。  声を上げ続ければ誰かが見つけて助けてくれるかもしれない。  そうジョリーが言いたいのだと気付いたチェスナットだったが、しばらく考え込んだ後、「ううん」 と首をふる。 「パパに心配かけちゃうね。カイリママだって心配するよね。でも、わたしはジョリーと一緒に行きた い」 「危険かもしれないよ。だって、アンギナンドがしかけた罠だってあるかも」 「かもね」  呑気に笑っているような気がして、ジョリーは声を荒げて言った。  それにチェスナットは嬉しそうに笑う。 「ありがとう。心配してくれてるんだよね。分かってるよ」 「本当に分かってるの? チェスナットは女の子で、しかも親父さんの大事な一人娘で」 「ジョリーだって一人息子でしょ?」  反論されてウッと詰まったジョリーだったが、一人で闇とまだ見たことのない世界への恐怖と闘うよ りも、チェスナットを危険に晒すかもしれないという恐れのほうが、ジョリーには大きかった。  自分は自分の身ぐらい守れる。もしそれができなくて怪我を負ったり、悪くして死を迎えることがあ ったとしても、それは自分が自分で選択した道だと納得できるし怖いとは思わない。  みんなに害虫のようにあしらわれながら小さくなって生きていくよりも、自分の信じた道を突き進ん で死んだほうが意味があるように思えるからだ。  でもチェスナットは違う。チェスナットには大事に思ってくれる家族がいて、友達もいて、自分とは 違う約束された未来がある。  そんな女の子を巻き込むわけにはいかない。  ましてや、チェスナットは、ジョリーをいつの日も蔑むことなくすぐ側で手をつないでいてくれた存 在なのだ。支えであったと言ってもいい。  悔しい思いをして寂しくなったときにも、最後には一人ぼっちにならずに済んだのは、チェスナット が居てくれたからだ。  そんなチェスナットを危険だと分かっていながら連れてはいけない。 「ねぇ、チェスナットは帰ろう」  懇願するように言ったジョリーに、だがチェスナットは笑顔を消すと頑なに唇を噤み、首を横にふる。 「イヤ」 「イヤじゃないよ。ぼくは……チェスナットに怖い思いさせたくない」  俯いて本音を吐き出すように言ったジョリーに、チェスナットは強い口調で言い返す。 「だったら、帰ってこないジョリーを心配し続けるわたしの気持ちはどうなるの? 一緒にいたら助け てあげられるのに、離れたらその一瞬後からずっとジョリーが怪我をしないか、死んじゃわないかって 苦しむんだよ。その方がずっと怖い!」  強い叫びのように言い返され、ジョリーは目を見開いて言葉を失った。 「わたしは、ジョリーのことが好き。この好きって気持ちを軽くみないで。わたしは、まだ子どもだし 人を好きになる気持ちをちゃんと理解してるなんて言わない。でも、パパみたいに後悔して夜に一人で ため息つくような生き方はしたくない。わたしはずっと、ジョリーの隣りにいたい!」 「……チェスナット……」  呆然と呟いたジョリーは火に照らされて赤く染まるチェスナットの顔を見つめた。 「……ぼくは……。ぼくも、チェスナットのことが好きだよ。でも、チェスナットがぼくのこと、そん な風に想ってくれてたなんて知らなかった」  妹のような存在で、側にいてくれるのが嬉しかったが、それはチェスナットの優しさだと思っていた のだ。自分が人を好きになっていいはずがないとも思っていた。  でも、手をつないで胸が弾むように嬉しくなるのはチェスナットだけだった。  ジョリーはじっと自分を見ているチェスナットを見つめ、声を詰まらせる。 「だったらなおさら、チェスナットは連れて行けないよ。安全なところにいて欲しいよ。ぼくじゃ、チ ェスナットをちゃんと守れないかもしれない」  弱ったジョリーの声は、焚き火の爆ぜる音にもかき消されてしまいそうだった。  だがチェスナットはジョリーの隣りに立つと、その手を握った。 「わたしは、守ってもらうだけの存在じゃない。ジョリーを助けてあげられる手にもなれるんだよ。二 人でなら越えられるものって絶対ある。わたしは足手まといじゃないよ。ジョリーの右腕にもなれる頼 れる助っ人なんだから」  ぎゅっと力をこめて握られた手が暖かかった。 「それに、ジョリーは心配じゃないの? こんなところにわたしを置いていって、真夜中の暗闇で声を 嗄らして叫び続けても誰にも見つけてもらえないで泣いてるわたしがいても」  そう言われれば、それもすごくかわいそうな気がしてくる。  寒さ身を丸めて泣きながら眠るチェスナットを想像して、ジョリーが眉を下げる。 「……わかった。一緒に行こう」 「うん」  濡れた服が乾いたのを確認して服を着たジョリーは、身支度を調えたチェスナットに右手を差し出し た。  いつもは手をつなぐことがあっても、決してジョリーから手を差し伸べたことはなかった。スッと馴 染むように割り込んでくるチェスナットを受け入れていただけだ。  でも今は決意があった。  チェスナットは嬉しそうにジョリーの手を握る。 「チェスナット。ぼくが守ってあげるから」  チェスナットが微笑む。 「わたしも、ジョリーを助けるから」  松明を掲げて歩き出す二人の背で、金色の光が別れを告げるように湖面でゆれていた。  時計の針を見上げて焦れていたシスターヴァイオレットが、やっと半周した長針の針に学習室の中回 廊で仕掛けの本を引く。  静かに動き始めた仕掛けに焦る気持ちでスカートの裾を持ち上げながら梯子の階段を下りていく。 「この制約があだになるなんて」  一度扉を開けたら、三十分は作動しない。  それは自分がこの扉を潜るところを見つけられても、すぐに追ってこられないようにするための仕掛 けだった。三十分あれば、秘密を守るための手をとることができる。  だがそれが今回は裏目にでてしまったのだ。 「あの子たち、どうしてこれを」  シスターヴァイオレットは自分の手の中にある絵を動かすための鍵、石の彫物を見下ろして呟く。  祖母、母、そして自分へと受け継がれてきたこの鍵。  石をはめ込み、回転させると絵が動き始める。 「早くしないと」  あの子たちの身に危険が!  ランプの光を掲げ、シスターヴァイオレットは階段を駆け下りていった。  チェスナットが悲鳴を上げる。  突然目の前に出現したものが、あまりに恐ろしい様相を呈していたからだ。  大きな扉がそこにあった。  古くて朽ちかけた両開きの扉には、かんぬきが掛けられていた。  だがそれはただのかんぬきではなかった。  人のミイラだった。  仁王立ちするようにして死絶えた人間が、両手と両足を鎖で扉に封をしている。  目はすでに眼窩にない。  それでもその朽ちた顔からは、誰もこの先に通しはしないという強い思念が感じられた。 「なに、これ?」  ジョリーの背に隠れたチェスナットがシャツの背を握りながら、そっとミイラをのぞき見ていた。 「……本物かな?」  手を伸ばすジョリーに、チェスナットが声をあげる。 「止めて!」 「大丈夫だよ」  そっと触れたジョリーの指の先で、カタカタと音を立てて骨が鳴る。  カサカサに乾いたかつての肉は、ボロ布と化した服の下で崩れて土となって砕け散る。 「これじゃ、先に進めない」  途方にくれた顔でミイラを見上げたジョリーに、ミイラが笑うようにカタカタと音を立てた。
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