「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



10   海賊王アンギナンド
 授業の終った教室を覗いたチェスナットは、その中にジョリーの姿を捜したが、どこにもあのくしゃ くしゃ頭はなかった。  まだほとんどの生徒が机の上の教科書をカバンにしまって、友だちと学校帰りの計画を声高に話して いる時分なのに、いったいジョリーはどこにいってしまったのだろう? 「ねぇ、チェスナット。ちょっとこれ、食べてみて」  声を掛けられたチェスナットは、廊下に並んだ三人の女の子が手にもった籐の籠を見つめた。  そこにはまだ湯気を立てているカップケーキが並んでいる。 「わたしが?」  この三人組は、顔だけは見て知っているが、名前はしらない。  チェスナットより一つ年上の学年の中でも、随分と強い発言力のある女の子たちで、先陣をきってジ ョリーをいじめていることでも有名だった。  そんな子たちが、わたしにいったい何の用があるというのだろう。  三人の目をかわるがわる見ながら、じっと動かないでいるチェスナットに、業を煮やした様子で女の 子に一人が自分の手で掴んだカップケーキの一つをチェスナットの手に握らせる。 「今日の実習の時間に作ったの。わたしたち三人で考えたオリジナルのレシピなの。桃のカップケーキ。 でも甘いだけじゃ、今日日の女の子たちの健康意識には受け入れられないとおもって、オレンジの皮の ピールなんかも混ぜ込んでみたの」 「ふ、ふ〜ん。すごいね」  得意満面で鼻高々で説明してくれる女の子に、チェスナットは圧倒されて、強制されたように相槌を うつ。 「さ、食べて感想を聞かせてよ」  名料理長の自信でお客様にご自慢の料理を食するように促がす。  じっと見つめてくる視線に怖気づきながら、チェスナットはカップケーキを口にする。  確かに桃の実の香りとオレンジの皮の味が口に広がる。  まぁ、おいしくないことはないが、桃の実が生で使われたせいか全体にべっとりとしていてフアフア 感はないし、オレンジの皮も入れすぎで苦味がきてしまう。 「ね、おいしいでしょう?」  ちっともおいしいと声を上げてくれないチェスナットに代わって、女の子に一人が同意を求めて声を 掛ける。 「う、うん。オレンジの香りがさわやかね」  もう最初の一口以上食べようとしないチェスナットに不満を滲ませた三人だったが、相手がチェスナ ットであることを思って溜飲を下げる。 「ねぇ、これ、あなたのうちの〈海賊亭〉で使ってもらってもいいわよ。わたしたちの考えたレシピを あげる。だから、わたしたち三人の名前をとってスウィーナカップケーキって名前で出してくれない?」  最高の申し出よね、という傲慢な、それでいて顔色を窺う姑息な顔つきでチェスナットにつめよる。  なんてずうずうしいのかしら。  チェスナットはあまりに恥知らずな三人の態度に、怒りよりも憐れさえ感じてどんな顔をしたらいい のか分からなくなる。 「そ、そうね。でも、そういうことはわたしには決められないから。お父さんに食べてもらわないとい けないわね」  苦し紛れにいったチェスナットに、「そうよね。それはそうよ」と三人がお互いに励まし合うように いう。  そして手にしていた籠をグイっとチェスナットの前に差し出す。 「だったらこれ、持っていって。お父さんに食べてもらって」  おもわず受け取ってしまったチェスナットに、三人はよろしくねと手を振って言ってしまおうとする。 「あ、ねぇ」  声をかけたチェスナットに三人が振り返る。 「ジョリーは? どこにいるか知ってる?」  とたんに三人は、そろって腐った玉ねぎでも鼻面に突きつけられたかのように鼻の頭に皺をよせる。 「ジョリー? あんな乞食に何の用があるの?」  乞食ですって?  一気に怒りのボルテージが上がってしまうが、教えてもらう身だと思って我慢する。 「ちょっと伝言があって。ジョリーのお母さんとうちのお父さんが知り合いだから」 「へぇ」  自分たちのカップケーキの審査の行方を握る父親の存在を出されれば、三人もおもしろくない顔なが ら引き下がるしかない。 「あいつなら図書館にいるよ。実習では、あまりに汚いから教室から追い出されたのよ。その時間は図 書館で自習しなさいって、先生に言われてたわ」 「そう。ありがとう」  チェスナットは図書館へと足を速めながら、手の中のカップケーキを見下ろした。  だれがお父さんなんかに渡してやるものか。きっと不味くても、お父さんは優しいから自分で改良し てまで、三人の要望にこたえようとするに違いない。  そしてチェスナットは思いついた考えにニヤリと笑う。 「ジョリーにあげちゃおう。きっとおなかすいてるだろうし」  図書館のある三階への階段を上るチェスナットの足取りは、軽快に弾んでいた。  図書館の暗がりの隅っこに座り込んでいたジョリーは、手にした厚い本を膝で支えながら読みふけっ ていた。  題名は「海賊王アンギナンドのすべて」  今まで海賊になりたいとは言っていたものの、どうやってなるものやら、はたまたどんな技術が海賊 に求められるのか知らないでいたというのが事実だった。  もちろん泳げないというのは、海賊にはもっての他であることは理解していたのだが……。 ―― 海賊王アンギナンド。彼を語るとき、その残虐性を抜きにして語ることはできない。    彼がどこで生まれ、どこで育ったのか知るものはいない。忽然と現れ、その海賊としての頭角を あらわしたのである。    彼の名が一躍有名になるのは、古の王国サジュエの秘宝【戦乙女の涙】を手に入れたことだ。    あらゆる秘術で守られ、その存在を知りながら誰も手にいれることのできなかった秘宝を手して 現れたのだ。しかもそのとき彼の乗っていた船に生きて残っているものは、アンギナンド以外、ただの 一人としていなかったのだ。    このときの船、ポイシーヴィルーゴの船長、バードインは、船長室の中で自殺した形で発見され た。ここでは筆舌にはつくせない悲惨な現場であったと聞く。    そんな船を一人で操り、港にたどり着いたアンギナンドは、しかし秘宝をホルゲン王国国王に献 上することで、ポイシーヴィルーゴの持ち主になること、また今までかかっていた嫌疑の全てを白紙の する約束を手に入れたのであった。  そこまで読みすすめたジョリーは、アンギナンドが手にして現れたという秘宝【戦乙女の涙】を思い 浮かべてため息をついた。  それは説明によればティアドロップ型の宝石で、海の青さそのものを凝縮したような輝きを持ってい るという。だが、そのティアドロップの青い宝石は、決して手で触れることはできない。透明の石の内 部にあるそのティアドロップは、もし周りの石を砕こうものならたちどころに、ともに砕けてなくなっ てしまう。非常に繊細な石なのだ。  そして言い伝えによれば、この秘宝を手にしたものは至高の知恵を手に入れることができるという。 それも平和という智。 「アンギナンドには不必要の秘宝だったということか」  小声で呟いたジョリーは、秘宝を眺めるホルゲン王の前で縄で縛られながら不敵にほくそ笑むアンギ ナンドの顔が思い浮かべることができた。  海で黒く焼けた顔にある真っ白な白目と、その中心にある闘争心をいつも燃え立たせている赤い瞳。 無精ひげがうかんだ顎には、戦いの勲章だというべき大きな引き攣れの傷が大きく横たわっている。  そして同時に浮んだのは、誰もが死絶えた船の中で彼が何をしていたかだった。  そもそも、なぜ全ての船員が死絶えたのか? 彼が殺したのか?  ――そして彼にまつわる謎の最大のものが【灼熱の太陽】に関するものだ。    三つの海流がともに交わり、複雑な潮の流れを作り出している海流ファウーヤ。    その海流を渡りきることができれば、そこに幻の島があるという。もちろん誰も目にしたことは ない。だが、そこにこそ、幻といわれた民族イラファンの遺跡と、その民を伝説たらしめる力をあたえ た【灼熱の太陽】があるといわれている。    その伝説に挑んだのがアンギナンド。だが、彼は【灼熱の太陽】を求める旅を最後に姿を消した。 彼の船ポイシーヴィルーゴ号とともに消失したのだ。    かの海賊王と彼の船を海で見つけ、倒したのだと豪語する海賊たちは多いが、どれも信憑性には 欠ける。なぜなら、その亡骸、船の残骸、その他もろもろがどれ一つとして見つかっていないからです。    一ついえることは、ポイシーヴィルーゴ号に乗っていた船員の何人かの遺体は、見つかっている。 そしてそのどれもが、ありえないくらいに老化した姿であったという謎も残している。    アンギナンドは、かの航海で【灼熱の太陽】を手に入れることができたのか? そして彼はいま どこにいるのか?        先に述べた〈戦乙女の涙〉とともに、この【灼熱の太陽】は神の器と呼ばれる秘宝4つのうちの 一つである。    中心に巨大なルビーをたたえた美しいクラウンだというが、真実はそれを手にしたものにしかわ からない。  ジョリーはポケットの中からケーヌじいさんに手渡された石を取り出して、じっと顔の上に翳してな がめた。  本当にただの石だった。  表面に何かの紋様が書き込まれ、何ヶ所かに穴が空いているだけの石。 「この穴は、誰かが空けたんだろうな。自然に崩れたかんじじゃないし」  ポケットの中に入っていたわりにひんやりと冷たい石をじっと見つめる。  そんなジョリーに声がかかる。 「こんなところで本読んでると、目が悪くなっちゃうよ」  チェスナットが手に何かを抱えた姿で仁王立ちしていた。 「あ、チェスナット。……昨日はありがとうな」 「ううん。こちらこそ、おいしいパスタをありがとう。ジョリーは料理も上手なのね。将来はうちの料 亭の料理長になったらいいよ」  チェスナットは目が悪くなると注意したわりに、平気で本棚と本棚の間の暗がりの中に足を踏み入れ、 ジョリーの隣りの床に直接座り込む。  すると甘い香りがジョリーの鼻先を通り過ぎる。  くんくんと鼻を動かして匂いを辿るジョリーに気付き、チェスナットはクスクスを笑うとカップケー キの一つを差し出した。 「え? くれるの?」 「うん。っていってもわたしが作ったんじゃないんだけど」  ジョリーに事の顛末を聞かせたチェスナットだったが、聞きながらパクパクと食べ尽くしていくジョ リーに「おいしいのかな?」と不安になる。 「う〜ん、腹減ってるから、なんでも口に入ればいいってかんじなんだけど。……それなりに材料はし っかり使ってるからうまいけど、〈海賊亭〉のメニューにできるほどじゃないよな」  ジョリーがチェスナットの疑問に答えるように言う。 「そうよね」  こぼしたクズを払おうとジョリーが本を下ろし、ついでに手にしていたケーヌじいさんにもらった石 も本の上に置く。 「これ、ジョリーがお家に持って帰って責任もって食べ尽くしてね」  言いながら、チェスナットがジョリーが読んでいた本に目を向けた。  そして表紙にある海賊の文字に、やっぱりジョリーの海賊になりたい夢は深く彼の心に刻まれている のだなと思って、すこし不安と悲しさが交じり合ったモヤモヤに胸が包まれる。いつの日か、ジョリー は船に乗り込んでこの町から出て行ってしまうのかもしれない。そして、二度と戻ってこないのかもし れない。  そんな気持ちで、本の表紙に描かれた海流図をみつめた。  色鮮やかな青や緑で描かれた地図に、魚や船、時には人魚まで描かれている。  そしてふと目をあの日、ケーヌじいさんがジョリーに手渡した石に向ける。  そして何かひらめくように見えたものに声を上げた。 「あ!」  本を指さして叫んだチェスナットに、中腰で食べこぼしを払っていたジョリーが動きを止める。 「なに?」 「ねぇ、この石に刻まれているのって」  言われてジョリーは本の表紙の地図と石の刻みを見比べた。 「これは、海の地図なんだ」  ジョリーが手に石を取上げ、初めて気付いた事実に目を見張った。  そして同時に、絵にはない場所に唯一の印のようにつけられた、透明な石があるのに気付く。 「じゃあ、これは何だ?」  石は明らかに、ジョリーたちの住む町の場所を示していた。  ジョリーとチェスナットが顔を見合わせる。  ケーヌじいさんがアンギナントととの戦いの戦利品だと語った石。 【灼熱の太陽】  その言葉がジョリーの脳裏に上り、囁き続けていた。
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