「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



11   大陸のなぞ
「今日は宿題があるからお店のお手伝いはお休みしたいって?」  家に帰ってきたチェスナットがやけに大きな本を背中に隠し持ちながら言った。  肩から掛けたカバンもいつもより重いものが大量に入っていることを示して、やけに変形しているう えに、チェスナットの細い肩に食い込んでいる。 「ああ。そんなにたくさん本を読まなぁならんなら、店は無理だろう。どれ、部屋まで本を運んでやろ う」  だがそう言って差し伸べたヴァイロンの手を、チェスナットは飛び上がるようにしてよけ、とってつ けたようにニヘラと笑った。 「大丈夫よ、パパ。重いものをもって階段上ると痩せるっていうから、自分でやるわ」  そう言ってタカタカと音を立てて二階に上がっていってしまったのだった。  その様子を〈海賊亭〉のイスに座って回想していたヴァイロン。  もしや、まだ昨日のよるのことを根にもって、「お父さんなんて大嫌い」と心に刻んでしまったので はあるまいか?  一大事! とイスから立ち上がりかけたヴァイロンだったが、ちょうどタイミングを合わせたがごと く「おはようございます」と入ってきたジョリーに「ウ」と声をつまらせ、恥ずかしそうに再びイスに 腰を下ろした。 「おう、ジョリー」  そしていつもなら声を掛けないジョリーに言ってしまってから、続く言葉を探して目を天に向わせた。 「………」  ジョリーの方も、ヴァイロンんがなぜに声を掛けてきたのかと、無言のままにじっと顔をみつめてく る。それがまた居たたまれなくなる。 「ほら、…えーー。……カイリの調子はどうだ?」  取ってつけたような笑みを浮べ問えば、ジョリーがあからさまに驚いた顔で穴があくほど自分の顔を 見つめてくる。 「……とくに変わりなしです」 「そ、そうか」  本当に可愛げのない小僧だ! そう内心で思いながらイスから立ち上がる。  そんなヴァイロンの後ろ姿を見送り、店中の机の上にあげられたイスを下ろす作業をはじめたジョリ ーは、どうやらチェスナットのことで文句を言ってこようとしてわけではなかったのだと思って胸を撫 で下ろした。  コップに汲んだミルクを飲み干したチェスナットは、机の上に並べた本を見て「よし!」と声をかけ て気合をいれた。  図書館から借りてきたのは、「航海のしくみ」「100年前の海」「海賊王アンギナンド」「世界の 秘宝」「初心者のための水泳法」  さすがに「初心者のための水泳法」まで借り出そうとしているのに気付いたジョリーは嫌な顔をして いたが、そんな顔は見なかったことにしてさっさと借り出してきたのだ。 「そんなに一人で本読んでどうするんだ?」  そう言ったジョリーに、「鈍いわね」と内心では飽きれる。  だから親切に説明してあげる気になれずに、ジョリーに手を差し出したのだ。 「なに?」  目の前に出された手の平に、ジョリーが首を傾げる。 「食ったカップケーキを返せって言われても、もう返さないけど」 「そんなんじゃないわよ」  チェスナットはがくりと肩を落とした。 「さっきのジョリーがケイヌじいさんから貰った石、貸して」 「え? なんで?」  明らかにズボンのポケットに手を当てて、嫌だという態度で身を引くジョリー。 「お願い。一日だけ。明日には必ず返すから」 「………」  チェスナットのことを信頼していないわけではないのだろう。  自分の握り締めたポケットの中の石とチェスナットの顔を何度も見比べ、そのたびに絶対に折れませ んと示す鋭い視線に負けて、手の中の石を差し出す。 「本当に明日返してね」 「分かってるわよ。ケーヌじいさんに貰った大切なものだものね」  チェスナットは机に向ってイスに座ると、ハンカチに包んでおいた石を取り出し、じっと眺めた。 【灼熱の太陽】などと呼ばれる秘宝が本当にこの世の中にあるのかしら? はっきり言って、信じら れない。今生きている世界中の人の中に、一人でも実際に見たことのある人がいるなら信じるけど。  チェスナットはあったらいいなというロマンと、同時に現実主義のしっかり者の心がせめぎ合う。  だがそんなことをいくら考えていても先には進めない! と示すように、厚い本の凝視を勢いよく開 く。 「ヒントはこの石だけ。だったらこれを読み解くだけよ!」  チェスナットは額に気合を込めてタオルを巻くと、猛然と本を読み出した。  ジョリーはヴァイロンの命令であつあつのトマトソースを鍋で大量に温めながら、巨大な木ベラでか き混ぜていた。  盛大に上がる炎の熱が鍋の横から大量に立ち上り、ほんの数分で額から汗がしたたり落ちる。  その汗が鍋の中に落ちそうになって、慌てて首に巻いたタオルで拭う。  その後ろでは、相変わらず腰を折り曲げ足を引きずって歩くケーヌじいさんが、玉ねぎの皮をむいて 白い山を作っていた。  このあとケーヌじいさんはこれを延々とみじん切りにしなければならないのだ。当然、側にいるジョ リーも涙まみれになる覚悟はしないとならない。 「なぁ、じいさん」  汗を拭いながら背中にいるケーヌじいさんに声をかけ、ジョリーは一つの丘を作り上げているように 曲がった背中を見た。  こんな体勢ではなにをするにも、大変でならないだろうなと思う。食べたご飯だって、折れ曲がった 体のどこかで詰まってしまいそうだ。 「なんだ? ジョリー」  玉ねぎの皮を剥く手をとめずに、そっと眼鏡越しの目をジョリーにむけたじいさんがいう。 「この前もらったアレさぁ、海賊王アンギナンドから奪ったものなのか?」  なんでもないことのように告げたジョリーだったが、その言葉に初めてケーヌじいさんのたまねぎを 剥く手が止まる。 「……わしがそんなことを言ったかの?」 「はっきりとは言わなかったけど。アンギナンドと戦ったと言ってたし、それが最後の獲物だったって」  ケーヌじいさんが目を細める。 「で、ジョリーはあれがなんだと思うのじゃ?」 「灼熱の太陽に関係するもの」  いいながら、ちょうど顔に跳ね上がったトマトソースに「アチ」と声を上げたが、指に真っ赤なソー スをつけて笑ってみせる。これも灼熱の太陽だと。 「そうじゃのう。そうだといったら、おまえはどうすのじゃ?」  皮むきを再開しながら、ケーヌじいさんが言う。 「ん? 今のところどうするもこうするも考えなんてないけどさ。でも、それなら、誰も見たことのな いって言われている秘宝の【灼熱の太陽】もじいさんはその目で拝んだのかなって思って」  グツグツを蒸気の泡を立ち上らせる鍋と苦闘しながらジョリーが言う。 「ふむ。あれがそうなのか、わしにもよく分からなかった。一瞬だけ、見た気もせんでもない。船長室 に踏み込んだ瞬間に、アンギナンドの机の上にあった赤い輝きがな」  ジョリーがかき混ぜていた鍋を、コックの一人が運んでいきながら、ケーヌじいさんの与太話だと笑 いながら去っていく。 「あとさ、一つわかんないんだけど」 「なんだ?」 「じいさんはアンギナンドと戦って、今こうしてここで生きているってことは勝ったってことだろ?  ならなんでアンギナンドの亡骸も海賊王の船、ポイシーヴィルーゴも見つかってないんだ?」  ジョリーはナイフを片手にタオルを鼻の穴に詰め、玉ねぎのみじん切りをはじめながら言う。 「そうさのう、誰もが、わしがアンギナンドと遭遇して戦ったといっても、信じてはくれなかった。だ が何か恐ろしいことがあったのだということは伝わったはずだ。わしの乗っていた船は腐臭をはっする 真っ黒な泥で覆われているうえに、乗組員のほとんどが死絶えていたんだからな」 「え?」  涙を浮かべた顔でケーヌじいさんを見たジョリーだったが、二カッと笑って欠けた歯を見せたケーヌ じいさんに首を傾げる。 「そんな船に乗っていたんだ、頭が変になってしまったに違いない。そう言われた。案外、それが真実 かもしれん」  じいさんはそう言うと、与太話はこれでおしまいだと言いたげにナイフを手にして、玉ねぎを切るこ とに専念し始める。  もうこれ以上はこの話はするなという空気がケーヌじいさんの体から立ち上り、ジョリーは仕方なし に口を閉じた。  今ごろチェスナットは本を読んでいるのかな?  そう思い浮かべてから、そっと厨房から店を覗き見て、いつもなら嫌味の一つや二つや三つや四つは もう言われているはずのヴァイロンが姿を見せていないことに気付く。  幾分元気がないように見えるヴァイロンが、客の食べ終わった皿をトレーに載せてやって来る。  そして目が合う。 「なんだジョリー」  ムッと顔を顰めるヴァイロンだったが、トレーをジョリーに押し付けるだけで文句はなにもでてこな い。  こりゃ、おかしい。  重いトレーに苦戦しながらも洗い場に下がろうとしたところで、ヴァイロンに呼び止められる。 「ジョリー、チェスナットは学校で元気だったか?」 「? うん。すごく」 「だったらいい」  いつもより一回り小さくなったように見える背中を見つめ、ジョリーは首を傾げた。  そしてその頃、チェスナットが部屋で開いていた地図を見つめて声を上げた。 「た、大陸の位置が変わってる。この石に刻まれているのは、100年以上前の大陸移動以前の世界地 図なんだ」  その中で唯一移動があまり見られないのが、今自分たちの住む町のある大陸。そして特徴的な海岸線 で間違うわけもないこの町の位置に、印がついている。透明な石の欠片。何ヶ所かにも石をはめ込むこ とのできる穴があるが今はとれてしまったのかない。 「この町に、アンギナンドに繋がる何かがあるっていうの?」  つい声に出して疑問を吐き出し、ベットの上に寝転がった。  透明な石は海岸線の少し内側に掘り込まれている。  たしかにここは漁業で栄えた町だし、多くの漁師が海に出る港がある。でも、だからこそ海賊などと は関係があるとは思えない。海運業を営む町にとって、海賊ほど忌み嫌うものはいないからだ。 「アンギナンドって、いったいどこの誰なの?」  幼いときから船の上で育ってきたのだろうか? 親も海賊で。でも、それならなぜ海賊の間でも忽然 と現れたなどといわれるのだろうか?  船に乗って命を繋ごうとするのは、もしかしたら孤児だったから? 「孤児……」  孤児をよく引き取って育てているのは、町の教会だ。 「……そういえば、昔パパと教会に行った時、大きな世界地図が壁にかかっているのをみたかな」  まだ小さかった自分が、ヴァイロンと手を繋いで大きな地図を仰ぎ見るようにして見た記憶が甦る。  地図には美しい人魚の姿が描かれていて、それをじっと見つめていた過去の自分。 「この石の印は教会なのかな?」  考えても答えはでなかった。  でも、明日、ジョリーと行ってみようと思った。  何か分からなくてもいい。ジョリーと出かけることができれば、それはそれでデートとして楽しめる のだから。  細かい文字をずっと読み続けていたチェスナットは、手で疲れた目を覆って閉じた。  その目の裏に深い深い青い海の水が、大きな波を描いて揺れていた。  ジョリーと二人で海を船で航海するのも、悪くないかもしれないと、チェスナットは思った。
back / top / next
inserted by FC2 system