第三十六話



 銃口が火を噴く。
 その銃口から出た焼けた光が網膜を焼き、視界を白く染める。
 目を閉じたサイドルだったが、自分の体に感じる痛みはなかった。
 開けた目に入ったのは、抱きかかえていたサンドラの額にぽっかりと開いた穴だった。
 思わず手を放したサンドラの体が実験台の上に落ちる。その体が撃ち込まれる銃弾に、まるで操り人
形のように不気味な形で飛跳ねる。
「や、やめろ!!」
 ケヴィンの放つ銃弾の先に体を割り込ませた瞬間、ケヴィンの銃口が反らされる。
 そして放たれた一発がサイドルの手の平を撃ち抜く。
「うう!!……ぐぅぅぅぅ」
 その手の平を胸の中に抱えてうずくまったサイドルを、ケヴィンが凍りついた、それでいて怒りに燃
えた視線で見下ろす。
「まさかこんなチンピラどもに、こうも損害を与えらえることになるとは。わたしのキャリアに汚いバ
ツがついてしまうではないか」
 そう言ったケヴィンが弾の尽きた拳銃を床に放り投げる。
 それに撃たれる恐怖が去ったと気を緩めた瞬間、サイドルのこめかみにケヴィンの蹴りが跳んだ。
 固い革靴の先が防ぐ暇もなく頭を抉る。
 瞬間に呼吸が止まり、目の前が真っ赤に染まって体が吹き飛ぶ。
 床に転がる自分の体の向きが分からなくなり、こみ上げる吐き気を堪えながら蹲る。
 その混乱に耐えるサイドルの体を、さらに打ちのめそうとするようにケヴィンが掴み上げる。
「君が兄なしではただの非力な小僧だということは知っているんだよ。このろくでなしの兄なしではね」
 目を開けてはみたが、蹴られた右の視界はなかった。
 つるし上げられた体に力が入らない。
 ケヴィンのすぐ前にある自分の顔の中で、鼻血が滴り落ちていく不快感だけがやけにリアルだった。
 首を傾げて反応のないサイドルを見ていたケヴィンが、ことさらの痛みを与えてやろうと握っていた
サイドルの襟首を離し床に落ちるに任せる。
 そして実験台の上で生きている間は取ることができないだろうというほど捩れた体位で転がるサンド
ラの体を両手で掴み上げる。
「みっともない死体だと思わないか。大事な脳みそさえ自分の中に抱えて置けないのだから」
 額を貫通して後頭部に開いた穴から、白い脳みそが脳漿とともに滴り落ちていた。
 その死者を冒涜して恍惚としたケヴィンの顔を見上げ、サイドルはありったけの呪いをこめて睨みつ
ける。
「確かにサンドラはどうしようもないチンピラだったかもしれない。だけどあんたはその上をいく人間
の屑だ」
 口の中に溜まった血を吐き出しながら、サイドルが言う。
 その言葉におもしろい話を聞いたかのようにケヴィンが爆笑の声を上げる。
「人間の屑! 結構だ。その屑に殺されるこいつはなんだろうな?」
 サンドラの死体をサイドルの元へと放り投げる。価値のないゴミのようにして。
 そのサンドラの体を腕の中に抱え、サイドルは手に触れたものに気づいた。
 サンドラの精神と自分の精神をリンクさせるために繋いでいた電極が剥き出しになって手の中にあっ
た。
 実験の時には、両のこめかみと両手首、胸に両足首につなげられる電極線。
 それを手の中に握った瞬間、サイドルの頭の中にひらめく考えがあった。サンドラに出来ていたのな
ら、自分にだってできるはずだ。
 握った電極の中へと意識を集中させていく。
 そんなサイドルを見下ろし、ケヴィンが訝しげに目を細める。
「ここのデーターを奪われたことは確かに痛いが、おまえがここにいる限りは、最大の功績と人質があ
ることになる」
「へえ、そうかい。そんなに自分の保身が大切?」
 自分がしようとしていることに感づかれないように、適当に相槌だけは返す。
「保身? ふん。自分の身がかわいければこんな計画に首なんぞつっこまないさ。もっとも自分の身を
危険に晒すのがこの部署だ。世間に知られれば袋叩きの目に合う。俺は責任を取らされてクビ。裁判に
かけられて運よければ懲役300年?」
 声を立てて笑うケヴィンを鼻で笑いながら、サイドルは電極線とつながるコンピューターへと侵入を
試みる。
 そして探る先はケヴィンをここまで余裕にさせている第五防壁のコントロール。
「そうまでしたこの計画に身を投じるのは何でさ。こんな人を人とも思わない実験に、どんな意義があ
る。人の尊厳を踏みにじって」
 サイドルの返答に、ケヴィンが眉を上げて嘲笑の笑みをみせる。
「人の尊厳? 人が自由意志で物事を決定する権利のことを言っているのかね?」
「そうだよ。勝手に、恐怖とありもしない嘘の事実を人に叩き込んで意識を変容させようなんて」
「それのどこが卑劣だというんだ。だれもが日常的に受けているコントロールではないか。買いたくも
ない商品を、さも美しく便利でなくてはならないものだと思う込ませるCMで、おまえはどれだけの物
を無駄に消費してきたと思う? どれだけの女たちが、メディアの作り上げた美しさに惑わされ、自分
の外見に手を入れてきた? 生まれたときから一日に何度となく殺人のシーンを見せられて育った子ど
もたちの死に対する考えは? 殺人に対する忌避感は? ドラマでは殺された死体もヒロインが泣き悲
しみ、取りすがったあとはものの数秒で消え果る。そこに血が流れたことも、命が消え果た空虚な肉の
塊が残ることもない。死のもたらす世界への損失を、思い描く暇もなく、ただ殺人のシーンだけが脳裏
に残る」
 熱に浮かされた人間のように、流れるように言葉を紡ぐケヴィンを、サイドルは途切れそうになる意
識の合間に見上げる。
 第四防壁をOPEN
「日常的に人は知らずに他人の意思によってコントロールを受けているから、あんたもしてもいいって
言いたいの?」
「まさか」
 ケヴィンは大げさに両手を開いて否定する。
「人の自由意志決定権ほどすばらしいものはないよ。それが人に良心という規範があり、良識があるう
ちは。だが、権利を与えられた人間ほど、その権利を振りかざし、権利を主張する。その権利を愛情で
引っこめることを知らない。人は豊かに幸せに暮らす権利があるさ。だがその自分の権利を支えるため
に、どれだけの人間を踏みつけているのか、理解しなければならないはずだ」
「それとこの実験がどう関係するって?」
 現れる電脳の中の防壁にパスワードを組み入れながら、サイドルが言葉を返す。
「一度完全なる自由を手にした人間は、たとえ良心という自分の中の規範にさえ支配されることを嫌う。
それが今の人間だ。子どもは規則を押し付ける親や学校を嫌い、大人は規則で縛ろうとする会社、組織
、国家を憎む。ならば、その絶対の自由という思想に侵された憐れな頭を変容させてやるしか乱れた人
間という集団を統制しり手段がないではないか? 自由の思想の中で信じるものもなく溺れてもがいて
いる人生よりも、思想を与えてやるほうが親切じゃないか? 生きる意義を見出したと恍惚感に浸れる」
 演説に愉悦にひたるケヴィンを尻目に、サイドルが最後のパスワードを解きにかかる。その瞬間に、
ケヴィンの目がサイドルに向く。だが、電脳の空間へと伸ばした触手を引く余裕はなかった。
 現実の体から遊離したサイドルの目が、違う世界を見据えて白目を剥く。
「おまえ……」
 ケヴィンが優越に満ちていた顔に、疑心を浮かべる。
 そして、頭上のコントロールルームからの叫びを聞いた。
「ミスター、防壁を破ろうとするハッキングが!!」
 その瞬間、明らかに第五層の防壁が動き始めた振動が伝わってきた。
 サンドラの死体の下で握られていた電極に気づき、ケヴィンがサイドルを殴り倒す。
 脳震盪を起して床に転がるサイドルに、ケヴィンが唾を吐きかける。
「とんだ悪餓鬼だ。あとでたっぷり調教してやる」
 ケヴィンは完全に意識を失ったサイドルを肩に担ぎ上げると、脱出ルートへと足を向けた。
 その耳に、攻め込んでくる敵の乱れた足音と、銃撃の音が響いていた。


 

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