第三十七話



「あ〜あ、俺たちってどうしてこう、暗くてむさいところばかりを這い回ることになるんだろうな?」
 咥えたタバコに火をつけながら、トニーがつぶやく。
「それはバランスってやつじゃないんですか?」
「バランス?」
「いい男が苦労する。不細工な奴は最初はちゃっちゃっと苦労なく進んでいく。だけど最後は艱難辛苦
を乗り越え、泥まみれになりながらもいい男がきっちり決めてヒロインと熱いキスを〜〜!!」
「はいはい」
 トニーたちご一行様は、またしても暗く狭い排気管の中を這い回っていた。暗くてお互いの顔もまと
もには見えないが、どうせ真っ黒に汚れていることだろう。なんども蜘蛛の巣に引っかかっただけに、
頭は白い糸が張り巡らされているに違いない。
「なあ、そのヒロインとの熱いキスって、今度ばかりは相手がいないじゃん」
「え? サイドル姫でしょ?」
「あれは男だって」
「この際性別は無視しましょうよ。きれいだからいいじゃないですか?」
「で、熱いキスを交わす王子様は誰だって?」
「「「そりゃ、トニー王子で」」」
 三人が和して言う声に、タバコを咥えたトニーががっくりと頭を落とす。
 とそのとき、ガクンという大きな音が聞こえ、僅かな振動が排気口の中にも伝わってくる。
「サンドラが言ってた第五層ってやつか」
 トニーがそう言ったときに、目の前に排気口の出口が見えた。
「おい、排気口から出るぞ」
「アイアイアサー」
 トニーが排気口の出口の金網を蹴破ると、排気口の上部を掴み、かっこよく勢いをつけて飛び降りる。
 こころの中で10点満点! と呟いた瞬間、飛び出した通路の向こうから近づいてくる駆け足の音に、
トニーが後の続こうとしていた手下三人に手で待っていろと合図を出す。
 そして銃を構える。
 薄明かりの細い通路の向こうから、男が何かを担いで走ってきていた。
「止まれ」
 トニーの声に反応して男が足を止める。
 そしてあからさまに苛立たしげな舌打ちをすると肩に担いでいたものから手を放し、両手を上げた。
 トニーが銃を相手に向けたまま、ライトで顔を照らし出す。
「これはこれは大統領補佐官殿」
 ライトに照らされて眩しそうに目を細めた男、ケヴィンの顔に、トニーが笑みを送る。
 そして肩の上の荷物にライトを向ければ、明らかに気絶したサイドルが担がれていた。
「大統領補佐官殿が、うちのお姫さまと駆け落ちでもなさるので?」
 揶揄を込めてそう言えば、ケヴィンが口の端に余裕の笑みを浮かべる。
「そういう君は高名なバイオリニストのトニーだね。こんなところで君ほどの人物が何をしている。こ
の坊やとは恋人同士だとでも?」
 肩の上のサイドルを顎で示す。
「いや、恋人じゃないけど、親友かな?」
 そう言ってトニーがケヴィンに向かって手を差し出す。
「俺の親友を帰してもらおうか? そしたらあんたのことは見逃してやる」
「ほう。それは随分と親切なお申し出なことで」
 ケヴィンが余裕の態度で肩をすくめて見せると、肩に担いでいたサイドルを指で示す。
「下ろすけど、いいか?」
「どうぞ」
 わずかに膝を曲げて肩から腕の中にサイドルを下ろそうとしたケヴィンを、トニーは銃で狙いをつけ
たままに追った。
 揺らされたサイドルが僅かにうめき声を上げる。
 そして殴られて頬を紫に変色させたサイドルの首が揺れる。
 その顔に目を取られた瞬間をケヴィンは見逃してはくれなかった。
 ケヴィンの左手が一閃する。
 その手から放たれた銀の煌めきに身を捩ってよけたトニーだったが、その間にケヴィンが懐から拳銃
を取り出すだけの時間を与えてしまう。
 ガチっと音を立てて安全装置のはずされた拳銃が、サイドルのこめかみに当てられる。
「これでおあいこかな?」
 ケヴィンはサイドルの脇に手を入れて立たせると、自分の前に盾のように立たせる。
「おまえたちはこの坊やを救いに来たんだろ?」
 これ見よがしにサイドルのこめかみに拳銃を押し付け、ケヴィンが囁く。
 そのケヴィンに銃を構えたままのトニーが頷く。
「だけどこいつをここから連れ出すことは得策とはいえないな。おまえたちが青い薬とよんでいるナー
ブリバースはある意味で禁断症状を起す。一度投与を受けたものは、一生投与しつづけないと一度再生
した神経も絶えてしまう」
「……知ってるよ」
「ああ、あのバカなこいつの兄が試したんだっけ? 無様な死に様だったよ」
「………」
 サンドラの死を伝えて動揺を誘おうとしたのが、ケヴィンがトニーの顔色を窺う。
 そんな目に、トニーが笑ってみせる。
「サンドラが死んだって俺はちっとも構わない。それよりもこの世から俺の死神を消してくれたのかと
感謝したいくらいだ」
「ほう。そりゃおめでとう」
 睨みあったままにお互いに笑い合う。
 そしてケヴィンの走ってきた背後から聞こえてきた銃声や怒声に、トニーが顎で示して肩をすくめて
見せる。
「どうやらあんたの方が分が悪いみたいだぜ」
「そうらしいな。こんなチンピラどもに計画を邪魔されるとは悔しいかぎりだが、負けは負けだ」
 ケヴィンはそう言って笑うと、ドンと目の前に立たせていたサイドルの背中を押した。
 そのサイドルの体を抱きとめたトニーの横をケヴィンが走り抜け、すれ違いざまに隠し持っていたナ
イフでトニーの足の甲を床に繋ぎとめるように突き刺した。
「追ってこられると困るんで、保険にな」
 ケヴィンの声を背中に聞きながら痛みに耐えてサイドルを抱きとめる。
 そのケヴィンに向かって排気口から顔を出した子分が銃を放つ。
 だがおもしろいように当らない弾に、トニーは振り返ってみながらため息をつく。
「このヘタクソ!」
 通路の向こうに消えていくケヴィンの姿を目で追いながら、トニーが排気口から顔を出している男を
詰る。
「だって俺、こまし専門で、実戦向きじゃないってサンドラ兄さんにも言われてたし」
「あっそ」
 トニーは言い捨てると、足に刺さったナイフを見下ろし、蒼ざめたサイドルの顔を見下ろした。
「……おまえの目の前でサンドラが殺されたんだな」
 嫌いだといつも言っていた兄でも、目の前で殺されれば心にどんな傷を負うのか、トニーには分から
なかった。だがきっと、いつも空気のように側にいた存在が消えることの喪失感の大きさは計り知れな
いのだということは理解できた。
 自分もかつて、親友だと思っていつも一緒に行動していたサイドルとリンチの末に引き離された経験
があるゆえに分かる気がした。
 疲れてやつれた顔にかかった髪を手で梳いてやる。
 その背後にどやどやと降り立った子分たちが、サイドルの顔を後ろから覗き込む。
「さあ、トニー王子。サイドル姫を眠りから覚ますキスを!」
「そんじゃあ、一つ」
 トニーが腕の中のサイドルに顔を近づける。
「おお!!」
 興奮に沸く子分たちの声に笑い声を漏らし、トニーが振り返る。
「バカかおまえたちは! 俺は足を串刺しにされてそれどころじゃねえっていうんだよ。手当てぐらい
しやがれ!!」



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