第三十五話



 爆発の威力はすざまじいものだった。
 地下1階を爆破したはずなのに、天井は地上何メートルにもわたって貫通していた。
「うっわ。俺たち本当に生きてる?」
 埃と砕け散ったコンクリートの粉で顔を真っ白にしながら、お互いに顔を見合わせる。
 遠くから聞こえるサイレンの音。
 頭上から大量の水が降り注いでくる。
「あ〜あ、大事なスーパーコンピューターも水びたし」
 遥か下まで滴り落ちる水が、黒いコンピューターの脳みそをショートさせようとその魔の手を伸ばし
ていた。
 バチっと飛び散る火の粉に、見下ろしていた一堂がビクっと体を竦ませる。
「大迫力」
「これで何億円分が壊れたのかな?」
 口々に言い合う仲間に苦笑を送りながら、トニーは立ち上がると腰から銃を取上げ、弾をリロードす
る。
「さあ、最後の仕上げといきますか!」
 カチンとなる銃の音に、男たちが興奮した雄たけびを上げる。
「我らが姫、サイドルを取り戻すぜ!!!」



 危うい空気をかもし出しながら、電灯が明滅を繰り返す。
 唯一オペレーターの座るコンピューターだけが予備電源によって安定した光を発していたが、天井を
見上げた研究員たちは部屋が一瞬でも暗くなるたびにビクっと体を竦める。
 それもつい数秒前におこった大振動のせいだった。
 大地震のように揺れたビルは、轟音を立ててその内部を数秒に渡って暗闇で満たしたのだ。
「Mr・ケヴィン」
 沈黙に包まれたオペレータールームの中で、無線の雑音交じりの音が響く。
「わたしだ。何があった?」
「地下の配電盤室で爆破がありました。この爆破で地上三階までの床がぶち抜かれ、スプリンクラーが
作動しています」
「それで?」
「五階部分への敵の侵入はありませんが、窒素ガス注入の作戦は我々の命にも関わりますので、中止い
たします」
「……」
 無線を見下ろし、ケヴィンが沈黙する。
 その時ケヴィンの内心に渦巻いた感情が、おまえたちなど死んでも替えはいくらでもいるであったこ
とは隠しようもないことだった。
 はっきりと顔に浮んだその言葉に、オペレーターたちが沈黙する。
「あと、非常に不味い事態が……」
 ケヴィンの沈黙の後で、言いづらそうな言葉が返ってくる。
「なんだ」
「敵の使った爆弾ですが、おそらく地上だけでなく、地下にも爆風の威力が向かったものと思われます。
そうすると、配電盤室の直下が」
「配電盤室の直下?」
 ケヴィンの呟きのあとを、オペレーターの一人が継いだ。
「まずい! 配電盤室の真下にはスーパーコンピューターが!」
 その声を聞いた瞬間、ケヴィンの顔が豹変する。
「スプリンクラーを止めろ! データーの全てが消える前にコピーを取るんだ!!」
 ケヴィンの怒声にオペレーターたちの指が一斉に動きはじめる。
 部屋に満ちたのは、キーを叩くカタカタというすざまじい数の音と、ケヴィンの荒い息遣いの音だけ
だった。



「データーは全て頂いた」
 目をあけたサンドラが荒い息の合間に言って笑う。
「データーって?」
「諸悪の根源、青いクスリの製造法とその処方の仕方。アッシャーによる操縦法。そして全ての生産、
使用、搬出の記録。実験データーもあるな。これは国家規模の非常にまずい情報だ」
 それはその通りでしょうよと、肩をすくめて見せるサイドルに、サンドラがその肩を抱き寄せる。
「データーは絶対に誰にも入り込めないプロテクトをかけたコンピューターの中に転送した。今、本物
のデーターを破壊中だ。だから何があってもやつらは俺の奪ったデーターを取り戻そうとするだろう。
だが、データーはお前以外には空けられない」
 次第に肩にかかるサンドラの重みが重くなるのを感じ、その体を支えながらサイドルがサンドラの顔
を怪訝に見上げた。
 目を閉じて微笑むその顔に、今までにない満足感が浮んでいた。
「わかった。ぜったいに誰にも渡さないから」
 ガクンとゆれたサンドラの体が、膝を折って倒れそうになる。
 それを支えて見つめたサンドラの顔の中で、閉じた目から真っ赤な血が流れ始める。血の涙が止めど
なく零れ始めたように、次から次へと小さな川のように流れ落ち、顎から滴り始める。
「サンドラ?」
 胸の中に抱きとめるようにして支えたサイドルに、サンドラが笑う。
「もうそろそろ限界だな。第五層の隔壁はトニーのために開けておいてやりたかったんだけどな。もう
神経がズタズタで動けな……」
 顔中を血まみれにしたサンドラが、自分の体の中から湧き上がってきた血に咽て血の泡を吹き始める。
 横たえた口の中から苦しげに黒い血を吐きながら、喘鳴の音を激しくする。
 どうしたらいいのか分からないままに、跪いたサイドルがその背中を摩る。
「サンドラ、もう、無理しないで。あとはぼくが……」
 だがそう言ったサイドルの手を、ダメだと振り解きサンドラが首を横に振る。
「お……おまえには……他の仕事がある。………だからここは俺が……」
 ごぼごぼと音を立てる喉が鳴り、起き上がったサンドラの口から涎と一緒になった血の塊が滴り落ち
る。
 もう目は開くことがなかった。
 その顔をサイドルに向け、サンドラが手を伸ばす。
 その手がサイドルの顔を掴み、自分の顔に寄せる。
「おまえだけにデーターをあける方法を教える。忘れずに覚えてろよな」
 血に塗れた壮絶な顔に笑みをのせるサンドラに、サイドルが頷く。
 サンドラの指がサイドルの唇の位置をなぞる。
「俺の最後のキスの相手は弟か……」
 皮肉げにささやき、サンドラはサイドルの唇に自分の唇を重ねた。
 その瞬間に、サンドラからサイドルに向かって二人を突き通すように情報が交わされる。
 高速で流れ出す情報と受け取るサイドルの間で、激しいスパークが起こり、二人の体が次の瞬間に弾
き飛ばされる。
 サイドルに見えていたのは、サンドラが一緒に過ごしていたアパートだった。
 そのアパートの中で、サイドルはベットの上に横たわっていた。
 そのサイドルをサンドラが見下ろしていた。
 サンドラが何かを囁く。だが声は聞こえなかった。
 仕方ないかと肩をすくめたサンドラが手招きする。
 気だるく身を起したサイドルに、サンドラは自分のベットの枕を示した。さかんに枕を指さし、Here
と口を動かしてみせる。
 サイドルは分かったと頷き返す。
 そのサイドルに、サンドラも頷くと笑顔を見せる。
 そしていつものようにだらしなく立った姿で、ジーンズのポケットに手を突っ込み肩をすくめて見せ
る。
 そしてその口が告げる。
『じゃあな、後は任せたぜ』



 ハッと目を開けたサイドルは、見慣れた実験室の天井を見つめていた。
 いつもより薄暗く静けさに満ちた実験室の中で、いつもは目覚めてすぐに手を差し伸べる看護士たち
の姿がなかった。
 固い実験室のベットの上から身を起こし、上を見上げる。
 そこには、憤怒の表情で見下ろすケヴィンの姿があった。そしてその手にある拳銃の黒々とした存在
感。
 ケヴィンがオペレータールームから実験室への螺旋階段へと歩いてくるのが分かった。
 逃げなければ。
 頭の中を突き抜けたその考えに、サイドルはベットから飛び降りると、傍らに眠るはずのサンドラに
駆け寄った。
「サンドラ! 行こう」
 横たわったサンドラの体を揺する。
 だが返ってくる反応は何一つなく、代わりに蒼ざめた顔の目や鼻からドロンとした血が流れ落ちる。
「サンドラ?」
 サイドルは全く動いていないサンドラの胸に抱きつくようにして、耳を当てた。
 聞こえるはずの心臓の鼓動の音。
 だがサンドラの胸からは何の音も聞こえなかった。
 ただ激しくなる自分の鼓動の音が聞こえるだけだった。
「サンドラ! サンドラ!! 兄ちゃん!!! なんだよ! 死んだのかよ。ふざけるな。こんなとこ
ろに置き去りにして!!」
 返事を返さないサンドラの体を揺すり、サイドルが叫んだ。
 その背後で螺旋階段を下りる金属音が高く鳴る。
「よくもやってくれたな」
 サンドラの体を抱いて振り返ったサイドルのこめかみに、銃口が押し付けられていた。
 続いた撃鉄を下ろす硬質なカチリという音。
「復讐は必ず果たすのが俺の信条なんだ」




 

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