外伝 「キスの後」



2 男はつらいよ〈幸太郎編〉
 フライパンを振るって、ふんわりと回転させたオムレツを皿の上に載せる。 我ながら、いつ見ても完璧なフォルムに色つや。  最後にハートマークをつけたくなるくらいに満足な出来に、つい頬は緩んでしまう。 「今日も会心の出来?」  ダイニングのテーブルについているさゆりちゃんが、マグカップにコーヒーを注ぎながら 言う。  料理に関しては完全に俺の方が腕は上だと認めたさゆりお嬢様は、決して共にキッチンに 入ろうとはしない。  というのも、一度一緒に立ったときに、一応女の子のさゆりちゃんを主導権を握るものと 見て包丁を握らせたのだが、あまりの危なっかしい手つきについ口を出してしまい、機嫌を 損ねさせてしまったのだ。  それ以来、一緒にはキッチンに立たない、とさゆりちゃんは決めてしまったらしい。  俺としては、キッチンでイチャイチャしながら「もう、ご飯の用意でいないよぉ」「ご飯 よりも君を食べたい」なんて在り来たり、でも王道な会話もしたいのだが………。  だが、そんな小さな望みを叶えるのにも、俺的には解決しておかないとならない大きな問 題があるのだ。  その解決なくして、本能が命じる欲望のままに行動することはできない!  白い皿の上にサラダのトマトやルッコラを美しく飾りながら、その胸中では決して美しく も爽やかでもないことを考えている。  いやいや、朝くらい、窓の外の小鳥の囀りくらいに汚れなく、清らかな気持ちでいようじ ゃないか。そう、この純白の皿のように。  ホテルの朝食のように完璧なプレートを両手にキッチンを出ようとしていた俺だったが、 窓の外から聞こえてきた悪声に眉をひそめる。  カラスだ。  朝のさわやかな小鳥の声で己の欲望も消し去ろうと思っていたのに、カラスの声に「やー ーい、欲まみれが外面飾るな! 偽善者! 嘘つき! 性欲魔人!」と言われた気分。 「あれ? オムレツ失敗したの?」  窓の外を見て顔をしかめていた俺に、さゆりちゃんが声を掛けてくる。 「いや、ちゃんとキレイにできましてよ。料理は作り手の心を映すっていうからね。清らか な俺様が作ると、ほ〜〜〜〜ら」  ジャーーンという効果音つきでテーブルにお皿を置くと、期待通りにさゆり嬢が「わ〜、 おいしそう!」と歓声を上げてくれる。  本当に理想的な朝のテーブルが演出されている。  おいしそうな朝食のプレートと、ふんわりと湯気をあげる焼きたてパン。その前に並んだ 色とりどりのジャムに、キレイに扇型に並べられたバター。お揃いのマグカップには恋人の 淹れてくれたコーヒーが注がれていて、その恋人がかわいらしい笑みを浮かべて自分を見て いる。  うん。憧れの光景。  だがそれを嘲笑って、窓の外の木の枝からカラスがカーというよりは、ケッと聞こえる鳴 き声を上げて飛び立っていく。  いちいち文句付けやがって。  胸の内でそう悪態を付きながら、でも顔は笑顔のままでテーブルにつく。  そうしてイスに腰を下ろしたところで、テーブルに飾られた小さな花に気がつく。 「あれ? もしかしてさゆりちゃんが飾った?」  小さなガラスの皿に浮かべられている白や青の小花が、その花びらに水滴の露玉を乗せて 輝いていた。 「うん。お庭の花をちょっといただいちゃったけど、いいかな?」 「ああ、幾らでも採っていいよ。せっかく庭師さんがキレイに作ってくれてるけど、うちじ ゃ誰も関心示さないから。咲いてる花もさゆりちゃんに気づいてもらえるほうが嬉しいと思 うし」 「そうなの? こんなにキレイな庭なのに、もったいない」 「俺もそう思う」  そう言ってコーヒーを一口飲んだところで、少し俯いた視界にニヤニヤ笑っているさゆり ちゃんの顔が入って顔を上げる。 「何?」  問いかける俺に、さゆりちゃんがますます笑いを深くする。 「じゃあ、幸太郎ちゃんも、ちゃんとお花に触れあってあげようよ」  にこやかにそう言ったさゆりちゃんが、自分の胸元を指差す。  そして、大きく開いたスクエアネックのTシャツから覗く、胸の谷間にある一輪の白い花 を示す。 「さゆりちゃん。……バラはそんなところに飾ったらケガするよ」 「大丈夫。トゲは全部取ったもん。……、あ、でも残ってたらいけないから、幸太郎ちゃん、 そっと取ってね。それから生けてあげて」  グッと前に胸を突き出してさゆりちゃんが言う。  なんとも魅力的な光景。  顔には出さないが、心臓はドキンと跳ね上がる。  昨日から何度こんなことが繰り返されていることか。  どうして、こうさゆりお様嬢は俺の理性と繊細な心臓に過激な刺激をくれるのか。  嬉しいよ。嬉しいけど、今の俺には酷なのです。  今のままでさゆりちゃんに手を出すことはしないと決めている俺には。  そっと手を伸ばし、胸には触れないようにバラだけを抜き取ってガラスの皿に浮かべてあ げる。  いつの間に抜かれてしまったのか分からないくらいに、あっさりとやってのけられてしま ったことに口を尖らせ、正面のテーブルについた俺をさゆりちゃんが睨む。 「……何?」 「別に」  さゆりちゃんがパンを掴むと齧りつく。 「また俺のことホモかもなんて思ってるの?」 「……残りの30%くらいは。……でも」  怒った顔で当てつけのように言ったさゆりだったが、ふと深刻な顔になって言葉を詰まら せる。 「でも?」  その表情の変化が気になって先を促したが、さゆりちゃんはそんな表情をしたなんて嘘の ように笑う。 「このパン、本当においしい! 幸太郎ちゃんの朝ごはん食べるの、これで二度目だね。大 学のみんなに自慢しちゃうんだもんね」  ルンと音が出そうなリアクションで言ったさゆりちゃんの胸元で、自分の作った極上オム レツ以上にプルルンな胸が揺れる。  ああ、あっちの方がおいしそうだな。  そんなことを考えつつ、自分の欲をなんとか抑え込む。  ずっと流れるままにしておいた自分のイメージが、今はなによりも恨めしかった。  いつでもOKな一発野郎。歩くエクスタシー。来るもの拒まずのモテ男。  そんな俺のイメージから脱却したい。  というか、そんなイメージを、さゆりちゃんにだけは違うと分かってほしい。  だからこそ。  目の前のたわわな胸に釘付けになりそうな目をひたすら黄色いオムレツに向け、ガマンと 言い聞かせる。  だからお願い。俺の忍耐の限界に挑むように誘惑するのは止めてください。  
back / top / next
inserted by FC2 system