実験・観察記録   愛の時限爆弾起動!




「あー、ああーー。えええーーー」
 中庭にたどり着いたさゆりは、走り続けて乱れた息を整える暇もなく、目の前の光景に驚愕の声を上
げた。
 幸太郎と時人が映画の中のようなキスシーンを繰り広げているではないか。
 それも幸太郎が強引にというわけでもなく、時人の手が幸太郎の首を抱き寄せている。
「え? あれ? これって現実? う〜〜ん。幸太郎くんも時ちゃんも男の子で、濃厚なキスしてて。
……BL?」
 呑気な美知子の呟きに、さゆりがゴクリとツバを飲む。
 まさしくBL。ボーイズラブ。
 一秒ごとに暗くなっていく冷えた大気と二人の背後にある大きな白い月が、また様になってしまうほ
ど美しいキスシーン。
 写メ撮っておこうかな? ……て、おい、自分違うだろう!!
 ショッキングな場面に混乱する自分に突っ込みを入れて、さゆりが辺りを見回す。
 自分たち以外に目撃者はいない。
 そう思って少し安心したさゆりの前で、ドサリと音がして幸太郎が時人を芝生の上に押し倒す。
「ちょ、ま、待った!!!」
 ここに至ってさゆりが叫ぶと、美知子の手を握って走り出す。
 とても一人で止められる自信がなかったからだ。盛り(?)のついた男二人を、細腕の女が阻止でき
るはずがない!
 駆け寄って抱きしめ合う二人を、美知子と目配せして引き離す。
 さゆりは幸太郎を、美知子は時人を幸太郎の代わりになるように抱き寄せて引きずっていく。
 雰囲気に酔って二人だけの世界を築いていた幸太郎は、突然の邪魔者に眉間に皺をよせて不快感いっ
ぱいの表情をみせる。
「なんだ、おまえたちは!」
「なんだじゃないでしょう!」
 幸太郎を後ろから羽交い絞めにしていたさゆりが、幸太郎の耳元で叫ぶ。
 その大声が脳みそに響いたのか、幸太郎が顔をしかめる。
「二人とも。男同士でも好きなら好きあってもいいと思うんだけど、人の目のつくところで抱き合っ
ちゃうのはどうかな? 下手したら、猥褻物陳列罪で掴まっちゃうぞ」
 お怒りモードの幸太郎、さゆり、時人を黙らせるのほほんとした口調で美知子が言う。
「猥褻物陳列罪?」
 その言葉に反応したのは時人だった。
 その罪状で頭に上るのは、春先に出る全裸にコートを羽織ったバカな男たちだ。女性の前でコートを
肌蹴て悲鳴を上げさせて喜んでいる奴らだ。
 このぼくがそんな低脳と同じだと?
 そう思った瞬間に頭に上っていた血が下がり始め、冷静さが戻ってくる。
 ギュッと抱き潰された美知子の肩越しに幸太郎を見やる。
 それだけで胸がドキンと切なく痛むのだが、それは暴走した感情で、冷静さを取り戻しつつある脳み
そは違うことを考え始める。
 幸太郎は男だ。ぼくも男だ。なぜ、幸太郎に抱きしめられて、その胸の厚さにときめかなければなら
ない。ああ、でも、抱き寄せられて体がすっぽりと覆われた安心感は……。いやいや、待て待て。今は
冷静に判断を。
 ぼくは幸太郎が好きだと思ったことはあったか? いや、ない。それ以前に男を好きになったことな
んてないはずだ。恋愛ベタな体質であることは大いに認めるところではあるけれど、少なくとも同性愛
者ではなかったはずだ。ちゃんと女の子が好きになったことだってある。
 だいたいなぜこんなに先走ってキスして抱き合って、服まで脱がされる寸前まで突っ走ってしまった
んだ? 自慢じゃないけど、女の子とだってキスしたのは、今幸太郎を羽交い絞めにしているさゆり一
人だけだ。
 なにがぼくをこんなに衝動的な欲望へとかりたてたのか?
 そんな思考に沈んでいた時人を現実に戻す声が上がる。
「美知子! 俺の時人から離れろ!」
 嫉妬に紅潮した顔で見る幸太郎の姿が目に入る。
「ヤダよーーだ。時ちゃんはみんなの時ちゃんで、幸太郎ちゃんの物じゃないもんね」
 一人事態を全く理解していない、マイワールドのみで生きている美知子が、時人を抱いてクルクルと
回って幸太郎から距離を取っていく。
 振り回される時人としては、目が回ってたまったものではなかったが、さゆりを振りほどいて駆け寄
ろうとする幸太郎の肌蹴たシャツの胸元を目にした瞬間、初めて自分の意志で美知子の動きを止めた。
 幸太郎の胸で揺れ動く愛の時限爆弾の銀色の光。
 そして思い出される、自分の首でもしたチクリという痛みの記憶。
 ま、まさか。
 駆け寄った幸太郎が美知子から時人を引き離し、両肩をギュッと握って時人の顔を熱い視線で見つめ
る。
 だが時人の方は、幸太郎の肌蹴られたシャツの胸元から覗く、胸筋をじっと見つめた。
 ネックレスに連結されて揺れる犬型愛の時限爆弾。そしてその下にある針を刺した痕だと分かる赤い
出血点。
「ああ! 時限爆弾が!!」
 不意に叫んだ時人が、面食らう幸太郎の前で自分のワイシャツのボタンを外して首元を手で探る。
 そしてそこに、あるはずのない金属の感触を見つけて毟り取った。
 なぜ自分に愛の時限爆弾が仕掛けられているのかはわからなかった。
 だが、ワイシャツの下に来たTシャツの襟元のタグにしがみ付いていた愛の時限爆弾が、手の中でモ
ゾモゾと動き続けていた。
「と、時人?」
 幸太郎が時人を見下ろして呟く。
 その腕から後退りした時人が、情けない顔で苦笑いを浮かべる。
 いつも女を連れて歩く幸太郎を軽蔑していた。そしてその自分がバカだと軽蔑している女たちに自分
が見下げられていることに腹を立て、愛の時限爆弾を作った。
 笑ってやろうと思ったのだ。自分の好みとは正反対の女に愛の告白をした後で、なぜこんなことにな
っているのだと慌てる幸太郎を見て、嘲ってやろうと。
 だが蓋を開けてみれば、自分自身が巻き込まれているではないか。
 しかも、こうなったことが切ないと感じる自分がいることが驚きだった。
 これも愛の時限爆弾が注入したアドレナリンのせいかもしれない。まやかしの感情なのかもしれない。
 それでも、今こうして冷静に判断して、自分が幸太郎を愛しく感じているのが嘘の感情であると分か
ってしまったことが切ないと感じている自分がいる。
 好きでいたい。愛されていると感じていたい。
 愛の時限爆弾を作って優越感に浸りたいと思っていた。
 だが、今感じている気持ちは喪失感だ。
「時人?」
 後退さる時人に幸太郎が寂しげに眉を下げる。
 その顔を見上げて時人が言う。
「ごめん。ぼくのせいだ」
 小さく言った時人の目から、涙が零れ落ちた。


 泣き出した時人に面食らった三人だったが、ひとまず時人が落ち着ける場所へ移動しようと、工学部
の教室に落ち着く。
 暗くなった部屋に明かりをつけ、幸太郎が抱きかかえた時人をイスに座らせる。
 感情が高ぶっているのか、いつもの高慢ちきな男からは想像できない、子どものような泣きっぷりで
両手で目を擦っている。
「そんなに目を擦ると後で赤くなるから」
 目を擦る両手を握って止めると、俯いた顔をポタポタと涙が零れていく様子が目に入る。
 それを眺めながら、幸太郎が思う。
 前からかわいいとは思っていたが、眼鏡を取った泣き顔はそこらの純正の女よりもずっとかわいい。
 白くてスベスベの肌は今は泣いてピンク色に紅潮しているし、涙の雫を溜めたまつげは天然でクルリ
と曲線を描くほどに長い。男にしておくのがもったいないほどだ。
 だがそう独白しながら、ついさっきまでの盛り上がった気分が次第に引いてきていることにも気付く。
 時人の全てを抱き潰して自分のものにしたいと思ったあの衝動は、いつの間にやらどこかへ消えてい
る。
 そりゃそうだ。俺は自他ともに認める女好き。どう見ても、いくら可愛いとはいっても時人は男だ。
 それなのに、ついさっきの時人とのキスは史上最高に気持ちよかった気がするのは、自分でも今とな
っては理解不能だ。一秒時が進むごとに、自分の気持ちの変化が理解から離れていく。
「えーーっと、俺はどうしてたんだ?」
 いやに密着して座っていることに改めて気付いた幸太郎が、時人からイスを離すと首を傾げて言う。
「それはこっちのセリフでしょう。いきなり男同士のラブシーンまで見せ付けられそうになったんだか
ら」
 さゆりが腕組みして怒った口調で言う。
 その横では美知子がウエストポーチからゴソゴソとハンカチを取り出し、時人の手に押し付けている。
「時ちゃん、そんなに泣かないで。幸太郎ちゃんとキスしたからって、病気にならないよ」
「……ちょっと、その慰めは方向性が違うと思うんですけど……」
 半眼になった幸太郎に睨まれ、美知子がエヘヘと笑う。
 そんな三人の中で、美知子のハンカチで顔を覆って鼻をズズズとすすった時人が泣きしゃっくりに体
を揺らしながら顔を上げる。
 そして手に握っていたものを机の上で開いてみせる。
「あ、これ。ワンちゃんチャーム」
 幸太郎と美知子が持っている時人から贈られてたドーベルマンを象った銀色のチャームに、美知子が
声を上げる。
「それが?」
 ギュッと握っていたために白くなっている時人の手の平を見ながら、幸太郎が言う。
「これ、ただのチャームじゃないんだ。ぼくが作りあげた特別なものなんだ」
 時人は赤くなった目で幸太郎を見ながら言う。
「愛の時限爆弾なんだ」


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