実験・観察記録   愛の時限爆弾起動!





 胸キュンなんて言葉は女だけの感覚用語だと思っていた。
 本当にキュンと苦しくなった胸に手を置き、幸太郎はじっと時人の横顔を見つめる。
「なんてかわいいんだ」
 一時でもその顔が見れないことなど耐えられないと思うほどに、愛しい。瞬きの一瞬でも耐えられな
い。
 男とは思えないニキビの痕一つないふっくらとした頬に、俯き加減になると長めのまつ毛が影を落と
す。
 貴重さでいえばダイアモンドにも匹敵するほどの神々しい微笑みに、時人の周りに妖精の光が乱舞し
ているようにすら感じる。
 その微笑が向けられているのが自分ではなく、お茶漬けのお椀を受け取ったチカであることが、心の
奥底を引っかかれたくらいに妬ましい。
 時人の笑顔は俺のものだ!
 そう思った瞬間から、幸太郎の足は止まらなかった。
 一直線に時人の前まで歩いていった幸太郎が時人の腕をとる。
 荒々しいまでに細い二の腕を掴んで引き寄せる。
 強く引かれて平衡感覚を失った時人が倒れこむ。
 それを胸の中に抱きとめた幸太郎が、ギュッと強く抱きしめると時人の耳元に囁いた。
「好きだ。時人、誰よりも愛してる」


 本当にチカ作のお茶漬けはおいしかった。満足だった。
 料理ができるということに今まで関心を持ったことはなかったが、自分の工学的な才能にひけをとら
ない素晴らしい能力であるのだと、今なら思えるほどだった。
「おいしかった。今度作り方教えてもらえるかな?」
 今までは決して人に教えを請うような真似はしなかったが、今日の幾分オープンになった気持ちでな
ら言うことが恥ずかしくなかった。
「うん」
 嬉しそうに頷くチカの笑顔がかわいらしいと思えるほどに。
 その時、不意に痛みに顔が歪むほどの力で二の腕が握られ、引っ張られた。
 眩暈にも似た自分の体の軸を失った感覚で倒れこみ、自分を支えるものを捜してしがみ付く。
 腕を引かれた力は痛かったが、抱きとめてくれる胸は優しかった。
 嗅ぎなれた香水の匂いが濃厚に時人の鼻先を掠める。幸太郎の香水だ。
 どうやら転びそうになったところを幸太郎が抱きとめてくれたらしい。無様に転ばないですんだよう
なので、礼の一つでも言わなければならないだろう。
 そう思ったところで、肺から空気が全て搾り出されるほどの力で抱きしめられた。
 ……痛い、痛いって。
 おまけに鼻も口も幸太郎の胸に押しつけられて息苦しい。
 その耳元に聞こえたのは幸太郎の搾り出すような声の告白だった。


「はぁ? おまえ何言って」
 幸太郎の胸から顔を上げて言うが、言葉に力がこもらない。
 あまりに自分を見下ろすその目が冗談を言っているようではなく、熱を帯びて潤んでさえいたからだ。
 柄にもなく、時人は自分の心臓が跳ね上がっていることに気付いた。
 それはそうだ。人生初の愛の告白だ。ただそれが男であったというだけで。
 そしてこの初めてづくしのこの事態に混乱している時人をよそに、モゾモゾと動き出す存在があった。


 愛ノ時限爆弾起動

 上条時人ノ解析
―― 物腰ノ柔ラカナ間
―― 刹那的デ贅沢デナイ人間
―― 押シツケナイ愛情デ優シク接シテクレル人間

 ターゲット選定開始

 男同士で抱擁し合う様子も、壇上で友情を語った二人なら一時は受け入れられた。周りを行き交う人
たちも、特に不信に思うでも、その関係性を疑うでもなく見守っていた。
 が、その抱擁が解かれる様子がなく、戸惑いながら赤い顔をした時人と真剣そのもので愛情のたけを
物語る視線を宿した目の幸太郎を見るうちに、やがて周りが静まり返っていく。
 皆が注目する中で時人が幸太郎の腕からすり抜けて、走り去っていく。
 あ、振られた。
 全員がそう思った瞬間に、ドラマのように「まて!」と声をかけた幸太郎がその後を追って走ってい
く。
 それを見守っていたさゆりは、ドーナツに齧りついたところだった美知子の腕をとって走り出す。
「ふぁ、ふぁに?」
 皿をテーブルに置きはしても、ドーナツは決して手放さない美知子が言う。
「幸太郎くんって、完全なノーマルだよね。女好きの」
「うん。女の子大好きだよ」
「時人くんは男でしょう?」
「へなちょこだけど、性別は男だと思うよ。確かめてみたことないけど」
 呑気にさゆりに引きずられながら走り出した美知子がいう。
「だったら、あれは何?」
 さゆりが会場となっている体育館の重いドアを開けて廊下を見ると、幸太郎の背中が角を曲がってい
くところだった。
「絶対変。なにが起きたっていうの?」
「へ? なにが?」
 美知子とさゆりが体育館から走り出していく。
 会場に残された人々は、本日の主賓たちが次々と走り去っていくのを眺めながら呆気にとられていた。
 が、不意に壇上のモニターに映像が流れ出して軽快な音楽が鳴り出したことで、これも一つの出し物
の演出なのかと納得してしまうのであった。
 モニターに映し出された映像は、先ほどのパメラが見せた映像と比較するなら酷く稚拙でヘタクソな
ものだったが、逆にそれが笑いを誘った。
 題名は「わたしたちはゴレンジャー。世界の人を救うためにいつでも駆けつけるわよ!」
 オープニングの映像の中には、お馴染みとなったサユリーナとミッチェルがいた。その他に、戦隊も
のにお決まりのヘルメットを被った白い犬とそれを抱いた青いスーツを着た眼鏡の少年と、颯爽と銃を
構えた赤いスーツのスカーフを靡かせた青年が描かれていた。
 どう見ても、それは時人と幸太郎だった。


 あいつは何を考えているんだ。
 普段運動などしない時人はすぐに走り出して息が切れてしまい、膝に手をついて立ち止ると、はぁは
ぁと荒い息をついた。
 体育館を抜けて廊下を走りながら、工学部の校舎へと通じる中庭を走り抜けてきたのだ。
 走ったことで胸の中で心臓が激しく鼓動をうっていたが、それとは違う精神的な高揚で心臓の鼓動が
収まってくれない。
 あのまっすぐに体の中を突き抜けていくような視線が、時人の脳裏から離れてはくれなかった。思い
返すだけで背筋に震えが走っていく。
 愛してるだって? ぼくは男だぞ。
 そう思ったときに中庭に走りこんできた幸太郎の声が聞こえた。
「時人!」
 ハッと顔を上げた時人が再び走り出そうとしたが、走りなれない膝がカクと折れて芝生に倒れこんで
しまう。
 なんて軟弱な体なんだ。人間、頭脳さえあればなんだってできると思っていたが、やっぱり人間は脳
だけでなく筋肉も含めて一個の肢体になっているのだから、全てを総括的に鍛えなくてはならないんだ
な。
 危機的状況になればなるほどに、理屈ばかりが時人の脳内を不必要に駆け巡る。
 そうこうしているうちに、時人が起き上がるよりも早く幸太郎が追いつき、時人の腕を取る。
「なぜ逃げる」
「なぜだって?」
 助け起されながら時人は怒鳴り返すと同時に後退さる。
「ぼくは男だ! なんで同性の男に抱きしめられて、あまつさえ告白されて喜んで受け入れなくてはな
らない」
「愛に性別なんて関係あるか?! 俺はおまえが誰よりも好きなんだ。こんなに誰かを好きだと思った
ことはないくらいに好きなんだ!」
 全く臆したところのない叫びに、時人は反論する言葉が見つからず、ただ後退りだけを続けた。
「あのパーティーだって、おまえのために作りあげたんだぞ。おまえのためだからこそだ。誰がおまえ
以外の人間のためにあそこまで苦労を背負い込む。大好きなおまえのためだからだ。俺は」
 ぐっと踏みとどまって強い視線で時人を見つめた幸太郎が、乙女のように両手を胸の前で握って震え
る時人を見つめて言う。
「俺はおまえのためになら命投げうってもいいと思うくらいに愛してる」
「命投げうつって、そんなことぼくは頼んでない」
 弱々しく言い返した時人だったが、視線をそらした隙に幸太郎に接近されて両腕を握られる。
 見上げた幸太郎の顔に怯えながら言う。
「ぼくはおまえみたいな金遣いの荒い奴は大嫌いなんだ。派手で今この瞬間のことしか考えられないよ
うな低脳な人間は。人の気持ちも考えられない強引な奴も嫌いだ!」
 憎まれ口を叩いても、幸太郎の腕をとる力は弱まらず、自分を見つめる瞳にためらいの色は表れない。
「俺たちは違いすぎる。でもだからこそ惹かれるのかもしれない。自分に欠けている点を補ってくれる
相手だから」
 幸太郎の右手が時人の眼鏡にフレームにかかり、そっと眼鏡を外す。
「や、止めろ。眼鏡がないと何も見えない」
 ぼやけた視界の中で叫んだ時人だったが、ハッとして息を飲んだ。
 良く見えない視界の中でも、誰かの顔が近づくのは気配とともに分かるのだから。
 眼鏡が自分の髪の中にさされたと分かった次の瞬間に、あごに幸太郎の手がかかる。そして、接近し
た幸太郎の顔が時人の瞼に吐息を感じさせた。
 緊張に体を硬くした時人の唇を、幸太郎の唇が覆っていた。
「ん!」
 身を引こうとした時人の背中を抱きしめた幸太郎が、逃げることを許さずにより深いキスへと時人を
導く。
 冗談じゃない!
 ぼくはこんな、強引な上に金食い虫で、いきなり迫ってくるような男は大嫌いだ!
 そう思った時人の首筋でチクリと痛みが走った。
 え?
 その痛みと同時に時人の脳裏を駆け抜けていく考えが合った。
 そういえば、忙しさにかまけて壊れたまま修理していなかった愛の時限爆弾の解析結果はどうなった
のだろう。伝送されてくるはずだった情報を自分のコンピューターのプログラムが受信・解析できなく
なっていたにしろ、愛の時限爆弾本体は機能しているはずなのだ。
 冷静にそう思った脳に、瞬く間に興奮の嵐が襲い掛かる。
 目の前が真っ赤に染まったと感じるほどに、考えることを放棄したくなる快感が体を襲う。
 抱きしめられた背中にも胸にも幸太郎の体温と筋肉の躍動を感じる。唇は柔らかくて温かい舌が自分
を食らい尽くしそうなほどに吸い、撫でる感覚で覆われる。
 大嫌いだと思っていたのに、次第にその思いが侵食されていく。
 大嫌い……嫌い……嫌いだったっけ……嫌いなわけない……好きなのかも……いや、好きだろう……
大好きだ……愛している。
 砕けそうになった膝に、時人が幸太郎の背中に腕を回して抱きつく。
 離された唇に、時人は幸太郎に支えられながら潤んだ目で見上げる。
 幸太郎の背中にいつの間にか明るく光り始めた月の光が見え始めている。
 時人は幸太郎の頬に手を伸ばすと、そっと触れた。
「ぼくも、幸太郎が好きみたいだ。今まで気付かなかったのが不思議なくらい、すごく深くぼくの中に
存在していて」
 見上げた幸太郎の瞳の中で、自分の顔が恥ずかしそうに語っていた。
 もうこれ以上は言葉にすることはできそうになかった。
 時人は自分から顔を寄せると、幸太郎の唇に自分の唇を寄せた。
 



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