実験 7  飲めよ、食べよの大宴会だぜ!  




 なんだかおかしい。
 時人はつまづくように手を引かれて歩きながら首を傾げていた。
 どこがどうと問われれば、去年もろくに学園祭に参加していないだけに答えられないのだが、何もか
も自分の思い通りにならない。
 学祭一日目。工学部の教室のいくつかが準備中などと書かれてカギがかけられていて入れない。部外
者でない自分がなぜ締め出されなくてはならないのか分からなかったが、誰もが知らないというし、事
情を知っているらしい幸太郎は忙しそうで恐ろしく殺気立っていて声もかけられない。
 学祭二日目。なぜか朝っぱらから家に押しかけてきた幸太郎にパメラを奪われる。
 セッティングなら自分でやるというものを、幸太郎はわざわざ携帯で教授に電話をかけ、セッティン
グはこちらでするから、上条くんは井上くんの指示に従ってなどと言わせる始末だ。
 目の下に隈まで作ってイラついた雰囲気の幸太郎に気圧され、しぶしぶパメラを渡せば車であっとい
う間に走り去る。
 そしてなんだ、あれ? と考える暇もなく今度は美知子とさゆりペアが現れ、わけのわからないこと
を言って大学へと時人を引っ張り出していったのだ。
「なんでこんな朝早くから学校に来なきゃならないんだ?」
 足早に歩き続ける美知子に手を引かれて歩きながら文句を言う。
 肌寒い朝の風が吹く構内に、人影はまばら。いるのは学祭実行委員の人間と売店の商品を納入にきた
業者の人間くらいだ。
 それもそのはず、時間は朝の6時半だ。
 それでも、もう数時間すれば人いきれで満たされることになる学祭前の特有の、興奮の熾き火の熱と
気だるさが漂っている。
 揺れる学祭の旗や横断幕、地面に転がっている前日の売店のタコヤキの汚れた容器さえも、祭の興奮
の残渣を感じさせる。
 そんな雰囲気を珍しそうに辺りを見回しているのは、さゆりが連れた犬のポチだ。
「ポチなんて連れてきてどうすんだよ!」
 先ほどから時人の質問には何一つ答えずに、だが問答無用に引っ張りまわす二人にキレ気味な声がで
る。
 ポチがそんな時人を見上げてクーンと声をあげる。
「ほら、ポチが怖がってるじゃん」
 さゆりが顔をしかめて、時人を睨みつける。が、先を急ぐらしい足は止まらない。ともすれば老犬ポ
チは小走りにならないとついていけないスピードだ。
「ささ、時ちゃんはこっちの部屋へ」
 美知子があけた扉の中へと押し込まれ、時人はムッとした顔でドアの敷居につま先をつっかけながら
部屋に入る。
 そしてあげた顔が不可解な光景にしかめられる。
「なんだ、これ」
 まるで舞台裏の楽屋のような光景だった。
 三面の鏡つきの鏡台の前には各種メイク道具。壁にかかっているのは赤い蝶ネクタイがセットされた
タキシード。おそらくタキシードの胸に飾るのだろうランのコサージュまで用意されている。
 鏡の前のイスがさゆりによって引かれ、美知子の強引ともいうべき押し出しで鏡の前に座らされる。
「今日の主賓は時ちゃんなんだからね。いつもみたいな寝癖のしわくちゃ白衣でみんなの前に出られた
ら大学の恥なの」
「恥は昨日のおまえらの美少女戦隊ダンスだ!」
 時人が叫ぶ。
 これには美知子とさゆりが揃ってふくれっ面になる。
「なによ! 大人気だったんだから。昨日は何人の男の子に握手と記念撮影求められたと思ってるの?」
「どうせ、オタクのエロショット狙いだろ」
「違うもん。美少女戦隊、ピンクレンジャー・サユリーナとオレンジレンジャー・ミッチェルに会いに
来たんだもん」
 頑と言い張る美知子の口から初めて明かされるレンジャーの名前に、時人が絶句してあんぐりと口を
開ける。
「………サユリーナにミッチェル?」
 昨日の特設ステージの上でポーズを決めていた二人を思い出してげんなりする。
 金髪とピンクの髪のカツラを被り、昨今のメイド流行を意識したのか、短いスカートには小さな白い
レースのエプロンがつき、頭にはフリフリへアーバンド。手にはハートの飾りがついたバトン。
 そんな格好の二人が、いかに練習をつんだか分かる見事なユニゾンで踊って見せたのだ。
「おまえらパンツ見えてたからな」
「あれは見せパンだもん」
 どうりでやけにレースだらけのデカイパンツだと思った。
 時人は一人納得していると、すかさず時人の頭にゴムのヘアーバンドが通される。それで一気に前髪
アップで、オデコ全開だ。
「な、なにする気だよ」
 慌てて立ち上がろうとした時人だったが、にんまりと笑ったさゆりの手がガチャリと音を立てて時人
の手に何かを巻きつける。
「な!」
 イスの肘掛に自分の手を拘束しているのは、銀色にキラリと光る手錠。
「逃げられたら困るから♪」
 さも楽しそうに笑ったさゆりが時人の鼻の頭をツンとつつく。
「それにしても時人くん、お肌きれいね。これは美しく化けるわよ!」
 化粧水を手の取った美知子が、鏡の中でにんまりと笑う。
「これぞわたしたちの腕の見せ所ね」
「だ、だから、おまえたち目的はなんだ! ぼくをどうするつもりだぁ!」
 時人の悲鳴がこだまする。
 だが誰一人、時人を救いに来てくれるような殊勝な人間はいなかった。


 ついに苦労の結晶がここに完成間近。
 一段高くなったステージの上から会場中を見回し、幸太郎は感動の中に立っていた。
 ここが本当は体育館なんだと誰が気付くだろうか。
 床一面に絨毯を敷き詰め、中央にはレッドカーペットがステージまで伸びている。
 天井には補強工事までして下げたシャンデリアが煌めき、無骨な体育館の天井を隠すために下げた天
女の羽衣のようなカーテンに、ダイヤにも似た輝きを与えている。
 並んだ円形の大テーブルには正装した招待者が談笑しながら席につき、バイキング形式にしたテーブ
ルの一画からは、ビシっと決まったコックコートに身を包んだコックやソムリエ風なボーイ、給仕のバ
ニーちゃんたちがキビキビと動き回っている。
 もちろん会場に流れる音楽はCDから流しているなんて安っぽいものではない。生演奏だ。
 贅の限りを尽くした最高の宴。
 人知れず、幸太郎がゾクっと興奮に体を震わせる。
 最高の舞台を作り上げてやった。あとは主賓の登場待つのみ。
 そのとき、幸太郎は頭にセットしていたハンズフリーの無線が通信を知らせてピピッと音を立てる。
「こちらメイン会場」
「ボス。準備完了です」
 さゆりの声が告げる。
 そのさゆりの声の後ろから、時人の抵抗する声が聞こえる。
 何か感づいたかもしれない。というよりも、さゆりちゃんとみっちゃんの格好を見れば、誰でもおか
しいと分かるはずだ。
「了解。メインディッシュを中央ゲートに誘導せよ。突入の合図はこちらから出す」
「了解」
 ほとんどスパイゲームのノリだ。
 幸太郎は自分の立つステージの中央、ガラスのテーブルの上にセットされているパメラを見る。
 このパメラと時人が、これからのショーを完璧な完成形へと導けるかの鍵なのだ。
「頼んだぜ、天才君。俺の苦労に報いてくれよ」
 幸太郎がヘッドセットのスイッチを切り替えると、会場の中の客に向って告げる。
「お集まりの皆さん。本日はお忙しい中、我大学の天才少年、上条時人を讃えるパーティーにお集まり
いただきありがとうございます。これより、主賓、上条時人が入場します。あたたかい拍手でお迎えく
ださい」
 幸太郎が腕を上げ、レッドカーペットの先を指し示す。
 生演奏の音楽が一段と盛り上がる曲調に変化し、照明が落ちて暗くなった会場の入り口を、スポット
ライトが照らす。
 会場の中に広がる拍手の音。
 ボーイが左右に開けた扉の向こうから、三人の人間の影が進み出る。
 だが、両脇の二人はしっかり立っているのに対して、真ん中の影は明らかに挙動不信で足がバタバタ
と動く。
「サユリーナ、ミッチェル、時人を逃すな」
「まかせて」
 無線の声がささやく。
 そして同時にライトの中に浮かび上がったのは、昨日の学祭で人気を誇った美少女戦隊、サユリーナ
とミッチェルに抱きかかえられた時人だった。
 

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