実験 7  飲めよ、食べよの大宴会だぜ!  




 いつもは鳥の巣とは言わないまでも、床屋にも行かずに適当に切っているせいで跳ねまくっている髪
が、ワックスで立てられて自分のイメージではない姿に変えられてしまっていた。
 しかも抵抗できないのをいいことにメイクまでされた。
 ベタベタとファンデーションを塗られて眉を整えられ。
 美知子が「女装させちゃおうか」と言い出したときには本気で泣きそうになって懇願したほどだった。
「やめて、お願いだから止めて」
 人に泣きながらお願いするなどとは、時人にとっては屈辱でしかなかったが、背に腹は変えられない。
 手錠で拘束されてやられ放題の今の身分では、なにが目的かは分からなかったが美知子とさゆりの胸
先三寸でなんでもできるのだから。
 だが、今となってはさゆりと美知子もただ指示で動いていただけだということが分かる。
 自分を照らし出したライトに目が慣れてきたところで前方をみれば、嫌味なほどに似合ったタキシー
ド姿の幸太郎が壇上で笑っている。
 首謀者は奴だ。
 だがそれにしても、なぜこんなに大勢の人間が着飾って集まっているんだ。
 会場の天井や壁に反響して乱反射するほどの拍手が、自分に向けられている。
 自分を見る目が、いつもの煙たい不快な物体を見る目ではなく、好意的でときに尊敬の気配すら漂わ
せている。
「これはなんだ?」
 隣りで戦隊ポーズを決めている美知子に問えば、「ゴレンジャーショー」などと訳のわからない返事
が返ってくる。
「時人くんの受賞を讃えるパーティーよ。村上さんと学長が主催。幹事は幸太郎くんが受け持ったらし
いけど」
 さゆりが適切な解答をくれるのと同時に、観衆の中から聞き覚えのある村上氏の「よ、天才!」など
という掛け声が聞こえ、花束を抱えて走りよってくるゆりさんの姿がライトの中に現れる。
「もう! なんて自慢の息子なんでしょう」
 人いきれいに酔って興奮しているのか、花束を美知子に押し付けたゆりさんが時人を抱きしめる。
 その腕の中で翻弄されながら、時人はびっくりなどんぐり眼で直立不動で立ち尽くすのだった。
 時人の両腕を取った美知子とさゆりに、ゆりさんが拍手を送りながら脇にどくと、幸太郎のもとへと
歩かされていく。
「ぼくはこんなの聞いてないけど」
 もうここまで来ては、逃走することも叶わないと観念した時人は、両腕を取っている美知子とさゆり
に小声で文句を垂れる。
「だって言ったら逃げてるでしょう。だから幸太郎くんも大変だったみたいだよ。時人くんにばれない
ように計画立てて」
 さゆりが横目で時人を見下ろして、いたずらっぽい笑みを見せる。
 言われて思い返せば、ここのところ幸太郎には避けられまくっていた気がしていたほどだった。
 とくに用があったわけではなかったし、幸太郎と仲がいいわけではないと断言したい時人であっても、
なんとなく嫌われたのかなぁとちょっぴり気持ちが重くなるくらいに、話し掛ける空気を拒否する雰囲
気が幸太郎から漂っていた。
 その理由がわかって、我知らずに胸の中のわだかまりが消えた安堵感にホッと息をつく。
「ん?」
 だがなぜ幸太郎に嫌われていないと分かって安心しなければならないのだと、時人が自分の気持ちに
拒否の反応を見せて首をふる。
 なんだ、なんだこの気持ち。
 そう思っていた矢先に幸太郎の前まで導かれて、嫌味な美形顔を見上げることになる。
「随分かっこよくバケたじゃん?」
 幸太郎が時人を歓待するように肩を抱きながらボソリと告げる。
「おまえがあいつらに要らぬ指示したんだろ」
「いらぬじゃなくて、的確な指示」
 至近距離で向かい合ったお互いの笑顔の中で、視線だけはバチバチと火花を散らす。
 幸太郎に導かれて中央のマイクの公演台の前に立たされる。
「今回、栄誉ある賞を受賞した上条時人くんから、喜びの声をいただきたいと思います」
 巨大な体育館の中を埋め尽くした群集の視線を一身に受けて気持ちが良さそうな幸太郎に反し、時人
はビクリと体を竦める。
「え、聞いてない!」
 再びの大喝采の中で振り返った幸太郎に抗議の声を上げるが、完全無視で背中を押されてマイクの前
に突き出される。
「え」
 思わず出た声がマイクの拾われ、会場がその一言で静まり返る。
 じっと自分をみる目、目、目。
 ゴクリと喉を鳴らしてツバを飲んだ時人だったが、俯いた公演台の上にしっかりと用意されていたカ
ンペに気付いて後ろを振り返った。
 幸太郎が感謝してちょうだいといいたげに眉を上げて微笑んでいる。
「ほ、本日は、ぼくのためにこんなパーティーを用意していただき、ありがとうございます」
 完全に棒読みで顔も上げられない時人に、幸太郎が苦笑する。
「この栄誉ある賞を受賞できたのは、ぼく一人の力では決してありません。常にご教授くださった教授
、先生方、また側にいて支えてくれた友人たちのおかげです。この機会にぼくからお礼の言葉を送りた
いと思います。ありがとうございました」
 時人は読み上げながら、支えてくれた友人たちという言葉に自然と目が美知子、さゆり、そして幸太
郎へと向っているのに気付いた。
 いつも独りで、それに慣れ、当たり前であったはずの時人に、今は誰かしらが側にいて声をかけてく
れていた。
 煩わしいと口では言いながら、楽しんでいる自分がいることにこの頃気付き始めていた。
 幸太郎と話ができなかったこの2週間を寂しいと感じるくらいに。
 時人はカンペから顔を上げると、いまだかつて経験したことのない自分を見上げる意識の数に圧倒さ
れながらも、ゆっくりと全体を見渡した。
 全員が自分の言葉に耳を傾けてくれている。それも好意的に。
 美しく飾られた会場も、全て自分のためにあるのだ。おそらく幸太郎と美知子、さゆりの努力によっ
て用意されたのだ。
 そして会場の中で自然と目が見つけた、村上氏とゆりさんの姿。
 目があったと分かったらしく、村上氏が頷き、ゆりさんが胸の前で両手を握り締めて見あげてくれる。
「ぼ、ぼくは――」
 自分の言葉で喋り始めた時人は、一瞬眩暈を感じたが、大きく深呼吸すると目を閉じた。
「ぼくは人の心など感じられる人間ではありませんでした。人のためになにかをしようなんて思ったこ
とは一度もなかった。全ては自分のため。工学に進んだのも、自分の能力をどこまで開花できるかとい
う自分の可能性に賭ける気持ちだけでした。
 そんなぼくが、人に喜びを与える、「見る」という能力を補助する装置を作りあげることができるに
至るには、なくてはならない人たちがいました」
 自分の素直な気持ちを確認するのに間をおいた時人が、ゆっくりと語りだす。
「こんな毒舌で、扱いづらいぼくを助けてくれた幸太郎。
 刺々しい気持ちをぼくの中から吸い取ってくれた美知子。
 ぼくに大切なポチを預けて信頼を示してくれたさゆり。
 そして、ぼくには決してできないと思っていたお父さん、お母さんになってくれた村上さんとゆりさ
ん。
 ぼくにとって大切な人たちとつながりを持っていく中で、ぼくにも人としての心が初めて生まれたの
だと思います。
 そしてぼくに居場所を与えてくれたこの大学のみんなに、心から感謝したいと思います。ありがとう」
 最後の言葉を告げて目をあけた時人に、静まり返っていた会場の人間一人一人の顔が映る。
 思いがけない言葉を口にした時人を、沈黙の中で見守っている。
 やっぱりこんなこと言っても、今までの行いが行いだけに受け入れられないか。
 そう思って礼をして立ち去ろうとした瞬間、予想していなかった感情の波をともなった拍手が時人に
送られた。
 会場の中からはポチのワンワンと鳴く声とともに、中にはすすり泣くような声が混じった歓声が送ら
れたのだ。
 心の中に痺れるような感動を叩き込む空気感に、時人は圧倒されて後ろを振り返った。
 そこには同じくびっくりした顔をした幸太郎がいたが、目が合った瞬間にほほえんで頷いてくれる。
 幸太郎に促がされてもう一度観衆に向って礼をした時人は、振り返ったところで幸太郎にガシっと抱
きしめられる。
 いつの間にか幸太郎の横に立っていた美知子とさゆりにも次々に抱きしめられ、恥ずかしさで窒息し
そうになりながらそれぞれの背中をポンポンと叩く。
「思いがけない言葉に、涙腺が緩んでしまいそうになりました」
 用意されていたイスに座りながら、時人は幸太郎の言葉を興奮でジンジンとする頭で聞いていた。
 道化じみた動作で涙を拭ってみせる幸太郎に、会場からはまばらに笑い声があがる。
「これより今回の受賞となりました、上条時人が作りあげたパメラの能力、脳内への映像の供給をみな
さまにも体感いただこうと思います」
 幸太郎の言葉で、立ち上がっていた観衆が席に腰を下ろし、イス一つ一つに掛けられていた電極の装
置に手を伸ばす。
「それでは、皆様にその体験をしていただく前に、この研究の発端となった村上氏に壇上へ来ていただ
きましょう」
 慣れた司会ぶりで手を差し上げ、壇上へと登ってくる村上氏とゆりさんを示す幸太郎に、会場から拍
手が送られる。
 壇上に設置されていたパメラを中心に、時人、幸太郎、村上氏、ゆりさんと並んで座る。
 そしてその背後にキレで覆われた大きなものが設置される。
 それを気にしながら、時人は涙目で見つめてくるゆりさんに照れた笑いを見せる。
「先ほどの時人くんの挨拶にもありました、村上夫妻です。では、村上さん。なぜ時人くんの研究に関
わるようになったのかお話いただけますか?」
 幸太郎にマイクを手渡され、村上氏が頷いた。


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