Chapter 7   The effective medicine of the witch brings bitterness
(魔女の秘薬と痛み)


 禍々しいほどに深い青が揺れていた。
 拘束された手足を揺すってみてもピクリともせず、かえって手首と足首を覆った拘束具で皮膚が擦
り切れるだけだった。
 青い薬液ブルーブースターが腕へと繋がった管を通って体の中に大量に流し込まれていく。
 体を突き抜けていく苦痛は普段の比ではなく、脳内をスパークして駆け巡る雷撃はグアルグから正
常な精神を奪っているといってもよかった。
 アルカディア上部からの実験命令に出頭して以来、ブルーブースターが使われ続けてきたが、今点
滴によって送り込まれているほどの容量を投与されるのははじめてであった。
 これが今回の実験の目的だったのだろう。今までの投与は慣らしに他ならなかったのだ。
「ぐああああ、うおおおおお!」
 食いしばっている口から、意図せずに獣めいた叫びが喉の奥を切り裂くようにして湧き出る。
 脳内をスパークする黄色い光は、時に赤く、時に黒く瞬き、グアルグの心を翻弄していった。
 血を見たい。破壊される命を自分の手の中におさめたい。泣き叫ぶ苦痛に悶える顔を見てみたい。
 妄想のように見え隠れする、背を向けて逃げていく若い男を引き倒し、首筋にかじりつき噛み千切
ることを想像するだけで興奮が体を駆け巡っていく。
 だがその妄想を中途半端で断ち切るのが体を駆け抜ける激痛だった。
 食いしばる歯から血を滲ませながら目をあけたグアルグは、最後の一滴が点滴の管の中に吸い込ま
れ、青い薬液が腕の中へと消えていく様を憎憎しげに睨んだ。
 腕の拘束が計ったいたかのごとく外れる。
「このときを待ってたぜ」
 自ら針を抜き去ったグアルグがベッドから起き上がると獲物を狙う捕食者の顔つきでカギが外され
たドアに向う。
 頭を駆け巡っていた妄想が現実になるときがきたのだと確信があった。
 ドアを開けたそこにあったのは、かつて自分が生死をかけて戦った円形闘技場であった。


 そこで繰り広げられたのは、誰もが目を覆う凄惨な殺しだった。
 殺されたのは軍に入ったばかりの新人のリザルトであった。だがただのリザルトではなく、外部か
らスパイとして送り込まれたものだった。
 ことの発覚から数々の拷問に耐え抜いたボロボロの体で、生き抜くために与えられたチャンスがグ
アルグとの戦いだった。
 だが実質それは反逆者への見せしめとなる公開処刑に他ならなかった。
 このアルカディアに楯突くものの末路を、目に焼き付けるがいい。
 そしてその通りになったのだ。
 いたぶり殺された少年は、屈辱的な公衆面前でのレイプを受け、苦痛に泣き叫んだ瞬間にグアルグ
の爪で首をはねられたのだった。
 理性をなくし、若い肉に喰らいついた姿は、それまでの暴力に酔っていた見物人をも黙らせるほど
常軌を逸した行為であった。
 神聖なる軍による制裁行為を、猛る欲望で汚したのだ。
 麻酔弾を打ち込まれ倒れたグアルグは、数時間後に目を覚ましたときに自分の記憶している数時間
前の出来事に愕然とした。
 自分はなんということをしたのだと。
 だが同時に理解していた。体があのときの快楽を覚えていた。そして再び暗い顔でその鎌首を持ち
上げ、欲するときがくるのだということも。
 そしてグアルグにとっては、避けたくとも避けがたいことが身に起こることになったのだった。
 あまりに大量投与したことで起こった禁断症状だ。ブルーブースターの効力が切れると、全身の筋
肉が強烈な疲労感と掻痒感をもたらすのだ。
 だが服用とともに再び異常な欲望が体を支配する。殺人欲と強姦欲。
 そうしてすり減らした精神は、ある事件を起してしまうのだった。それがCK11を失う事件だっ
た。
 それを契機に苦しい禁断症状を乗り越え、体からブルーブースターを抜いたのだ。
 だが消えないフラッシュバックはグアルグを凶行に走らせ、自分の犯した失敗を何度も繰り返して
罰するように、子どもを襲い、殺し続けた。
 もう理性と狂気の見境がなくなったグアルグは、ただ時間が戻ることを祈るように、ブルーブース
ターの使用を拒絶しつづけたのだった。
 

 チクっとした首筋の痛みに目をあけたグアルグは、視界から離れていこうとしている注射針に気付
いて目を見張った。
 いつの間に眠ったのか分からなかった。だがその隙をつかれたのだ。
 青い薬液が付着した注射器を掲げた部隊長が、無表情でグアルグを見下ろしていた。
「なぜ打った……」
 憎しみよりも絶望に近い気持ちでグアルグは問うた。
「命令だ。今作戦はただの捕獲作戦ではない。この後につづく掃討作戦の予行演習だ。心など捨てた
最強の軍隊を作りあげるための」
「掃討作戦? なにを掃討する」
 グアルグは自分の中にある感情がどす黒く変容していくのを自覚しながら、皮肉にゆがめた口で部
隊長の緑色の鱗が浮いた顔を見上げた。
「我々の仲間をだよ」
 軍隊長の顔が悲しく歪む。
「嫌なら拒絶すればいい。なぜできない?」
 グアルグの挑発と真実を言い当てる言葉に、部隊長は首を横に振る。
「我々に心は求められない。考えず、忠実であることだけ」
「だったら俺たちの存在意義は?」
「さあな」
 部隊長が降下を始めたヘリの外を眺めながらつぶやく。
「俺にもわからん」


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