Chapter 8   Little hand has a big gun 
(小さな手に大きな銃)



 案内されて入ったのは、月の光が天上のステンドグラスを幻想的に光らせる廃屋だった。
「ここはむかし教会ってところだったんだって」
 マメと手をつないで歩く3歳ほどの少女が笑顔で教えてくれる。
 カオスとマメを救ってくれたのは、女の子ばかり三人を娘とする中年の夫婦だった。
 どうやらこの家族、典型的な女系家族らしく、笑顔で二人を迎えて話し掛けてくれるのは、もっぱ
ら末っ子とごま塩頭のお父さんばかりで、拳銃を油断なく構えた長女と母親は、ニコリともせずにあ
たりを警戒し続けていた。
「メリラ。お話はお家に落ち着いてからにしようね」
「はーい、パパ」
 元気に返事をする末っ子に、お父さんが口チャックと手で示す。
 かつての教会を改装した家の中に入ると、次女が笑顔でマメとカオスにタオルを差し出す。
「お風呂に入ってきてくれる?」
「風呂?」
「ここは神聖なる教会だから、ばっちいものは入れられない!」
 メリラが心得ているとばかりに叫ぶと、キャッキャと嬉しそうに飛跳ねて長女の腕の中に飛び込ん
でいく。
「外はまだ放射能だの病原体だのがひしめく砂漠なんだ。極力清潔にしないと、何がおこるかわから
ない。ここはスラムよりも過酷な場所なんだから」
 長女は初めて末っ子のメリラを抱き上げながら笑顔で言う。
「そら。おまえのかわいい妹もちゃんと風呂で洗ってやりな」
 長女が腕に抱いたメリラの頭をクシャクシャにしながら、頭を洗ってやれと示す。
 たしかにマメの顔も頭も、埃と汗に塗れて真っ黒も汚れ、今にも虫が湧いてきそうな勢いだった。
もちろんカオスも似たりよったりなのではあるが。
「あの……こいつ、俺の妹じゃない。だから、その……一緒に風呂に入るのは」
「あ?」
 途端に険しい顔で睨みつけてくる長女の迫力に、カオスはムッと顔をしかめたものの、ぶっとく逞
しい腕を見るにつけ、勝てそうにないと悟り、マメの手を引いて歩き出す。
「お風呂はこっちです」
 唯一女の子らしい丁寧な応対でカオスを風呂場に先導してくれる次女の後を付いて行く。
 どこで拾ってきたのか、立派な藍染のノレンに「湯」と書かれたお風呂の入り口で、次女が足を止
める。
「ここがお風呂です。ごゆっくり」
「……はい。ありがとう」
 カオスをここはどこじゃという顔で辺りを見回すマメを見下ろし、ため息をつく。
 なんでお年頃の男の子が、見ず知らずの小汚い娘と風呂に入らないとならないんだ。だいたい、こ
いつ風呂に入ったことあるのかよ。もしかして俺が洗ってやらないといけないのか?
 風呂の脱衣室に入って、ちゃちゃっと服を抜いたカオスに、マメも真似して服を脱ぐ。
 ちらっと好奇心で見れば、まったくのお子ちゃまボディーのマメが、同じくカオスの体をしげしげ
と見つめていた。
「まめとカオス、違うね」
 明らかにあらぬところを指さしていうマメに、カオスがその頭をどついてやる。
「そんなところを指さしてはいけません!」
「どうして?」
「はしたないから」
「はしたない、何?」
 まるで三歳児の何でも「なに? なに?」攻撃にあった気分で、マメの手を引いて歩き出す。
「さっさと風呂に入れ」
 マメを岩風呂風の湯船の淵に立たせ、後ろから蹴り飛ばす。
 顔から湯の中に落ちたマメが、「うげ〜、熱い!」と叫んで体を掻き毟って暴れ出す。
「ふふふ。湯とはそういうものだ」
 訳知り顔で頷いたカオスだったが、自分も湯の中に足を入れた瞬間に、あまりの熱さに足を引っこ
めた。
「こりゃ、本当に熱いね」
 思わず呟いた。その足を湯の中から河童のように湧いてきたマメが掴んだ。
「カオスも入る!」
 マメ同様顔から湯の中に落ちたカオスが、「あち〜〜!!」と湯の中で悶えて体中を擦り始める。
「いい湯加減だろ?」
 そのとき、予想外にした女の声。
風呂場に服を着たまま現れた長女の姿に、立って体を掻き毟っていたカオスは慌てて湯の中に体を沈
めた。
「そうそう。一気に入っちまえばどうってことはないんだよ」
 赤い顔で熱さに耐えるカオスを見下ろし、長女が笑う。
「おまえ名前は?」
「カオス。これがマメ」
「カオスとマメね。わたしはハンナ。次女がダニエル。三女がメリラ。母がキャンディス。父が鯉蔵
」
「え? キャンディスに鯉蔵?」
 つい聞き返したカオスは、その言葉の意味を考えると思わず吹き出しそうになり、顔半分まで湯に
浸かった。
「笑いたきゃ、笑いな。でもあとで母ちゃんに殺される」
「……自嘲します」
 長女同様逞しい二の腕にバズーカ砲を抱えた肝っ玉母さんが、キャンディスだったとは。
「マメちゃん出ておいで」
 ハンナに声を掛けられ、お湯の中でバタ足をしていたマメが出て行く。
 そしてハンナの前に座らされると、泡でいっぱいのタオルで体を擦ってもらいはじめる。
「あんたじゃ、できなそうだったからね」
「あ、ありがとう」
 つぶやいたカオスに、ハンナがにやりと笑う。
「あんたも洗ってやろうか」
「!……いや、結構。自分で洗えます」
「遠慮しなくてもいいぞ」
 カオスは初めて自分の貞操の危機を感じて、お風呂で赤くなった顔を蒼ざめさせ、紫色に変色させ
る。
「何本気にしてやがる。わたしだってお前みたいな生っちろいのはお断りだよ」
 豪快に笑い飛ばされ、カオスは自尊心丸つぶれとうな垂れる。
「好きな人はいないの?」
 マメの頭をシャボンだらけにしながらハンナが言う。
「好きな人なんていないよ。そんな余裕なかったし。毎日ネズミとって食べたりさ、狩りの毎日で」
 目に泡が入らないように必死に目を瞑ったマメの顔がおかしくて、カオスはじっとその顔を見なが
ら言った。
「ふ〜ん。だったら今日はご馳走だな」
 ハンナはマメの頭にお湯を流しかけながら言う。
 マメは耳を両手で押さえて、後頭部を直撃する大量のお湯に必死に耐えていた。
「はい、よし出来た」
 ハンナはポンとマメの濡れた頭を叩くと、お湯に入りなと言う。
「そろそろわたしが出てかないと、あんたが茹蛸になりそうだからね」
 おもしろそうにお湯の淵にたって見下ろすハンナに、カオスが噛み付きそうな顔で笑う。
「ご親切にどうも」
「恥ずかしがらずに見せてくれればいいのに」
「批評されるのは好きじゃないから」
 言い返したカオスに、ハンナが笑いながら背を向けて湯から出て行く。
「全く! 年下男をいたぶっておもしろいか!」
 さっそく湯から上がったカオスの後ろで、盛大に水を蹴り上げながらマメが華麗なバタ足を披露し
ていた。
「カオスの体、おいしそう!」
 不意にマメが叫ぶ。
「へ?」
「って、ハンナが言っておけって」
 唖然とするカオスをよそに、マメは悠然とお風呂水泳を楽しむのであった。



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