Chapter 7   The effective medicine of the witch brings bitterness
(魔女の秘薬と痛み)


 僅かな痺れにも似た振動が足元から這い上がる。
 バイクから降りて砂の上に足をつけたグアルグは、星の煌めきが見え始めた空を見上げて息をつく。
「全く厄介なところに逃げ込みやがって」
 そして焼けた砂の上に耳をつけると伝わってくる僅かな音に耳を傾ける。
 地の中を這う轟音を立てるものが目の裏に浮かぶ。
「……地下か……」
 かつて地下鉄なるものがこの地の地下を縦横無尽に走り回っていたとは聞くが、未だに復旧したとい
う話は聞かない。が、何事にも知りえぬところで暗躍する人間たちというのがいるものだ。誰かが勝手
に使用しているということもなきにしもあらずだ。
 グアルグは持ってきた水を頭から被ると、赤から紫へとグラデーションを描く空を見上げて。
「……お客さんだ」
 やがて空中を伝わって聞こえてくるのはヘリのローターの上げる音。
 命令を無視して独走するグアルグを止めるためにきたアルカディアからの使者だ。
 グアルグの頭上で止まったヘリが巻き上げる風に、砂漠の砂が辺りを黄色く染める。
 巻き上がった砂を両手で防ぐグアルグの目の前に縄梯子が下ろされる。
「来い! 命令だ」
 頭上から聞こえた声に口元をゆがめ、グアルグは細めた目でヘリを見上げた。
 そこには鬼のような顔をした部隊長がいた。
 部隊長自らお出迎えですか。
 グアルグが縄梯子に足をかけたのを確認すると、ヘリは縄梯子を巻き上げながら空高く上昇する。
 部隊長自らが差し伸べた腕をつかみ、ヘリの中に乗り込んだグアルグは目の前の緑の鱗で覆われた男
の顔を見やった。
 銃弾も跳ね返すなどと噂される部隊長の硬い鱗の浮いた腕から手を離し、ヘリの中を見回す。
 大型の軍用ヘリの中には十数人の人間の兵隊とともに、饐えた匂いを放ちそうな染みだらけのマント
で身を覆った男が一人。おそらくはリザルト。
 臆病そうな小さな赤い目を上げてグアルグを見たが、すぐにマントの中に顔を隠してしまう。
「で、こんな大層な人数を連れて、部隊長殿はどこへピクニックにいかれるんで?」
 バカにしたように鼻で笑っていっても、巌のような部隊長の顔は変わらない。ただ正面のイスに座る
ように促がすだけであった。
「トニーノはどうした?」
 その問いに、グアルグは声を漏らして笑った。
 すでに事実は知っているのだろうに。
「死んだよ」
「……CK11の仕業か?」
「さあ? でもあんたが勝手に俺に抜け駆けしてトニーノに指示を出さなきゃ、あいつはもしかしたら
まだ生きてたかもな」
 その一言で、無表情だった部隊長の呼吸が変調する。顔色は変わらなかったが、僅かなときをおいて
グアルグを見上げる目に感情が揺らいでいた。
「……CK11に対する上の決定が変わった。生きたまま捕らえろと」
「なぜ?」
 イスの上にふんぞり返って部隊長を見下げるグアルグが、足を組み換えながら片眉を上げる。
「データー分析の結果、あの年齢ではありえないと思われていたブルーブースターへの適応が認められ
た。臨床実験体として回収せよとの通達だ」
 その言葉に、それまで無関心を装ってきたグアルグが膝に手をつき、身を乗り出した。
「適応が認められただ? CK11はあれのせいで死んだんだぞ」
「ああ。でも実際には今も生きて活動を続けている」
 苦虫をつぶした顔で悪態をついたグアルグが、イスの上に音を立てて座る。
「で、俺にどうしろと?」
「これからCK11捕獲作戦を遂行する。その作戦に参加しろ」
 命令の言葉に、グアルグは両手を上げて降参だという意思を示して顔を背ける。
「こんな奴らでCK11が捕獲できるとは思わないが、参加しろというなら参加しましょう」
 横柄な態度でそういったグアルグだったが、目の前につきだされたものに眉を寄せると分隊長を睨み
上げた。
「……なんだよ、これは」
 目の前にあったのは一本のアンプルに入れられた真っ青な色の薬液だった。
「俺は二度とこれはやらない」
 今にも牙をむき出してうなりだしそうな顔で言ったグアルグに、部隊長はだが、手を引くことはなか
った。
 受けとろうとしないグアルグの服の胸に差し込むと、自らも青い液体を口の中に流し込んでみせる。
 そして周りを見れば、ヘリに搭乗していた兵士の全員が配られた青い薬液ブルーブースターを飲み込
んでいる。
 ねっとりとしたゲル状の液体が透明なアンプルの壁面から滴り落ち、男たちの口の中に消えていく。
「人間が飲んでも大丈夫なのか?」
 ささやいたグアルグに、すでにクスリが効き始めたのか瞳の色を黒から赤に変容させた部隊長が答え
る。
「もともとこれはアルカディア軍が開発した兵士の力を高めるクスリだ。それを我々にも使えるか試し
ているだけだ。だが我々はもともと身体能力が限界まで高められているから、適応できるものとできな
いものがいるというだけだ」
 部隊長の顔面の神経が痙攣をおこしたように、緑色の皮膚が波打つ。
「へぇ。だったら俺は適用できない側だ」
「それを決めるのはおまえではない。上だ。俺たちはただ上に従うだけだ」
 苦しげに胸を上下させてイスの上に蹲った部隊長を見下ろし、グアルグは冷めた目でヘリの中を見回
した。
 やはり苦しんでいるのはリザルトである兵士だけだ。人間の兵士はただハイになったような状態で声
高に言葉を交わしているだけだ。
「俺はもうごめんだ」
 グアルグは胸のポケットの中でゆれる青い薬液を見下ろした。
 ちょうどそのとき、ヘリの中で声高に上がった声があった。
 人間の兵士たちが窓の下を指差して叫んでいる。
「なんだ、ありゃ? 砂漠が燃えている」
 グアルグもその兵士の指さしている地上を窓から見下ろした。
 そこにはオレンジ色に辺りを染め上げて燃える炎があった。その中で辺りに散らばって揺れ動いてい
るのは燃えている人間だ。
 火元は地面に埋もれるようにしてある地下へとつながる建物のようだった。
「あれは地下鉄の駅だよな」
「じゃあ、あれは地下鉄にたむろしてるって話の殺人鬼たちだ。あまりに汚ねぇから自然発火でもした
んじゃねぇか?」
「人間の体から出た油でも地下空間に充満して酸化すれば発火するか?」
「さぁな。実験したことねぇし」
 兵士たちが口々にいいあっている。
 それを聞きながらグアルグは違うと思っていた。
 これをやったのはCK11と、ともに行動しているという少年に違いない。
 グアルグの脳裏の一人に少年の顔が浮ぶ。怯えた顔で自分を見上げていた少年は、たしか側に犬を伴
ってはいなかっただろうか。
「がんばれよ、CK11。俺が行くまで待っていろ」
 グアルグは赤い舌で唇を舐め上げた。


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