Chapter 6   It a hungry man who will be a dead  (亡者のように飢えた人間)



 光一つない階段を、まめを抱えたままピースとともに駆け下りる。
 急な上に砕けたコンクリートの塊がそこらじゅうに転がる階段ゆえに、自然とスピードが落ちる。
 だがその背後に群がるようにして追いかけてくる殺人鬼、もとい人食い亡者どもの軍団を考えると気
持ちばかりは焦って足がもつれそうになる。
 元地下鉄の駅。
 ずっとここを目指して歩いてきたのだ。夜はここで明かそうと、地図を見たときから決めていた。
 子どものころに伝え聞いて以来、地下を走っていたという電車を思い浮かべて遊んでいた日々の頃か
ら、ある意味カオスの憧れの地であった。
 見たことのある乗り物といえば、ときおり保護都市の中から飛んでくるヘリや兵隊の乗るバイクにト
ラック。だがカオス自身が乗ることがあるとは思えない、かけ離れ過ぎたものだった。身近なところで
はスラムの中でみる手押し車が関の山だった。
 数えきらないほどのたくさんの人を乗せて走る電車は想像するだけで興奮した。
「ここが俺の憧れの地下鉄!」
 突然口走ったカオスに、マメが怪訝な顔で見上げる。
 芝居がかって目を輝かせて見せるカオスが、次の瞬間にはケっと自虐で顔をしかめる。
「って、感動の嵐の中で見回すはずだったのに。なんだよ! このBGMはよ!!」
 カオスたちを取り巻く音といえば、狭い地下鉄駅への階段を吹き抜ける風の上げる甲高い悲鳴と、背
後から聞こえてくる人間のものとも獣のものともつかない雄たけび。自分たちがあげる、神経が参りそ
うな焦った足音と階段を転げ落ちていく石ころの気にさわる音。
「もう、最高じゃん!」
 自棄を起して言うカオスだったが、不意に足を止めて唸り声を発しはじめたピースに転びそうになり
ながらも足を止める。
「ピース?」
 激しく牙を剥き出しにして、闇に沈んだ階段の下に向かって威嚇の声を上げる。
 ピースの見つめる先を見下ろし、カオスはゴクっと唾を飲んだ。
 腕の中からマメが自分の足で階段に降り立つ。
「何かいる?」
 マメを背中に庇いながら、闇の中に目を凝らす。
 カオスはそうしながらも、自分のした決断のまずさを今にして気付いた。
 自分の憧れという思い込みで、行き先を地下鉄と限定していたが、本当にそれでよかったのか? 
暑い太陽の下では、早く日陰に入りたい一心で屋根がある上に地下で涼しい場所が何よりも恋しい場所
だった。
 だが、殺人鬼たちの性質を考えれば、もっとも近寄ってはならない場所だったのではないか?
 殺人鬼たちは闇の中で徘徊する。
 そして光を感受する能力が極端に劣っている。目が退化していると言っていいのかもしれない。それ
は闇の中だけで生活している証拠ではいか?
 眼窩には眼球が埋まっていた。だが全体に真っ白に変わった眼球に、虹彩はなかった。
 カオスは腰の袋の中からマッチを取り出し、擦って火を灯すと、その火を階下に向かって投げた。
 その瞬間に見えた光景に、カオスは喉の奥を引き攣らせた。
 階段を埋め尽くすようにしてひしめき合って登ってこようとしている殺人鬼たち。
 元が人間であることを疑わせるほどになった蓬髪をかき乱し、体中に欠損を負いながら、本能のまま
に人の肉を求めて突き進む。
 その殺人鬼の一人の頭に、マッチの火が落ちる。
 そして一瞬にして燃え上がった。
「ううううぎゃあああああ!!!」
 熱さに狂った殺人鬼が、髪から服へと燃え移った火の中で悶え苦しみ暴れだす。
 その火がひしめき合っていた殺人鬼から殺人鬼へと飛び火して、次第に地下鉄の全容を映し出すほど
に輝きを増していく。
 殺人鬼たちは自分に火がつき、その体を焼く熱さに気づくまで、すぐ隣りにある火の存在にさえ頓着
しなかった。
 見えていないからだ。
 だが確実に聞こえてはいる悲鳴に、空気全体が興奮の色に染まる。
 足元には一面のオレンジ色に燃える火の海。だが背後からは獣と化した殺人鬼の群れ。
 前にも後ろにも進めない。
 カオスは足を竦ませたまま、下せない結論に怯えていた。
 だがその時、不意に耳を大きく動かしたピースが、ウォンと一声吠えると、火達磨の殺人鬼の群れの
中へと駆け出した。
「ピース!」
 叫ぶカオスの手をマメが引いた。
「行こう!」
 頷く暇もなく、カオスはマメに引かれて全力疾走に近いスピードで階段を駆け下りていった。
 ピースがその体でなぎ倒していった殺人鬼を踏みつけにして、あるいは伸ばされて掴まれた服が引き
ちぎられるに任せて走った。
 鼻につく匂いは強烈だった。目に染みるほどの腐臭と肉の焦げる匂い。
 どこまで行ったらこの気の狂いそうな集団の中から抜け出せるのか、触れるもの全てを手で払いのけ
ながら、ただ闇雲に進む。
 どこからこんなにもたくさんの殺人鬼が沸いてきたのだろう? それよりもこんなにたくさんの殺人
鬼たちが仲良しで同じねぐらで暮らしていたことの方が驚きだ。
 殺人鬼たちの体に押し潰されながら、カオスは詮のないことを考え、喚き出したい気持ちと戦ってい
た。
 その耳に、聞いたことのない音が届いた。
 金属と金属が擦りあわされるキーンとした音と、風を切って進む轟音。それが地下鉄の中に響き渡る。
 そして音の方向から差し込んだ強いライトの光。
 黒い機体を唸らせて、鉄の塊である電車が地下鉄のホームに滑り込もうとしていた。
 線路上にいた殺人鬼たちを弾き飛ばし、強い風を巻き起こしながら機体が殺人鬼とカオスたちの向こ
うに止まる。
「言葉の意味が分かる人間はその場にしゃがめ!!」
 女の声が叫んだ次の瞬間、電車の窓の一つが開き、そこから機関銃の銃口が顔を出す。
「ピース、伏せ!!」
 カオスは叫びながら、自分もマメを腕の中に抱え込んでその場に伏せた。
 直後に咆哮を上げた機関銃の一斉掃射の音。
 鈍いボスボスという弾が肉体を貫く音と、低いうめきと悲鳴が頭の上に降り注ぐ。
 頭を抱えて伏せたカオスは、銃弾の発射音が止まると同時に顔を上げた。
 そのカオスと、窓から覗いた気の強そうな少女の目が合う。
「ドアから乗り込め!」
 少女が叫ぶ。
 カオスは条件反射のように立ち上がると、マメを抱き上げて電車へと走った。
「ここよ」
 ドアの一つが先ほどの少女の妹だろう人物によって開けられる。
 そのドアの中にマメを放り込みながら、カオスが後ろを振り返った。
「ピース!!」
 カオスの声に反応して走り出したピース。
 すでに動きはじめた電車の中に引きずり込まれながら、カオスはドアからピースに向かって手を伸ば
した。
 だがそのピースのしっぽを握る殺人鬼の手に、その体が死体だらけのホームの上で転がされる。
「ピース、急げ!!」
 悲痛なカオスの叫びに反して、電車はスピードを上げ、ピースとの距離を広げ始める。
「待って、ピースを乗せて!!」
 隣りに立っていた女の子の肩を掴むが、困った顔で見上げられるばかりだった。
 スピードを上げる電車のドアの横に立った少女が、銃を構えてホームに向かって連射する。
「何を!」
 必死で走るピースに向かって撃たれたかに見えた弾は、ピースの背後で蠢く殺人鬼たちの額を正確
に打ち抜いていく。
「犬は人間よりもこの世界で生き抜く術を心得ている。その上忠実だ。きっとこの電車を追っておまえ
の元に返ってくるだろう」
 じっと電車の窓枠にしがみついてピースが見えなくなるまで見送ったカオスは、ひっきりなしに流れ
落ちては風に飛ばされていく涙に咽ながら、嗚咽だけは堪えた。
 床に手をつきうずくまったカオスを残し、銃から空の薬きょうを捨てた少女と女の子が去っていく。
 そしてカオスの横にしゃがみ込んだマメが、大粒の涙を床に垂らすカオスの頭をそっと小さな手で撫
でた。
「ピース、大丈夫。ピース、頭いい」
 カオスはその慰めの言葉に、ただ声を出せないままに頷いた。
「ピース、カオスを守った」
「……うん……ピース………俺の親友だから………」
 自分の言葉に尚更涙が浮かび上がる。
 カオスはじっと自分を見つめるマメの視線に、顔を背けながらその頭を抱きしめた。
 そして顔を見上げようとするマメの目を腕で覆い、ピースを思って泣いた。
 ピース、必ず帰ってこい。
 俺の腕の中に返って来い。そしたら大好きな骨をおまえのために買ってやるから。
 マメとおまえを待っているから。
 


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