Chapter 11    Just think what you can . Not   what you want!


 砂の山の向こうを覗き込む。
 黄色く焼けた砂の熱気が顔を焼く。体を支えるためについた手の平は、やけどするかと思
うほどに熱かった。
 それでもじっと身をひそめる。
 熱い太陽の熱に炙られた風に乗って、すでに力のこもらないうめきが聞こえていた。
 カオスの声だ。
 グアルグの笑い声も聞こえる。
 あのサディストのことだ。カオスを殴っていたぶっては楽しんでいるのだろう。
「マメ?」
 少し離れた後方から声を掛けられ、伏せたままそっと振り返る。
 太陽光から守るための布を被ったダニエルが、顔をのぞかせていた。
 そのダニエルに向って唇に指を立て、「静かに!」と指示を出し、そっと砂の山から後退
さる。
「ダニエル、どうした?」
「うん。………」
 そう言ったきり、言葉にはならない空気をかもし出しながら、ダニエルはマメを見つめた。
 長い髪が砂に塗れて薄汚れ、埃と土をつけた顔に張り付いていた。
 マメとさして変わらないだろう年のダニエルだったが、マメの落ち着きを払った態度に、
なんとか平常心を保っていた。だが、弱音はすぐ喉の下にまでせりあがっていた。
 父さんと母さんはどこ? ハンナは? これからどうなるの? 
 メリラとただの子どもに過ぎないわたしたちは、これからどうすればいいの?
 だがその全ての弱音をマメにぶつけて、崩れてしまうわけにはいかない気がしていた。
マメががんばるのなら、自分にだってできるはずだ。守られるばかりではいけない。わたし
はメリラのお姉ちゃんなんだから。
 ダニエルは心の中で自分にそう誓うと、ぎゅっと手を握った。
「メリラは?」
 マメはダニエルの足元にある横穴を示していう。
 以前に避難用にと、鯉蔵父さんとキャンディス母さんが用意していた緊急避難場所だとい
う。
 中にはしばらくは命をつなぐことのできる準備がされていた。食料に水、毛布にいくらか
のクスリ。そして、旅に出るための装備。
 今はその穴倉の中で、メリラが眠っている。
 ワニ男を倒しあと、キャンディス母さんと鯉蔵父さんはハンナとカオスを救出するために
向っていった。
 もちろん相手がグアルグであることを知っていたマメは、彼ら二人を止めたが、ワニ男と
の戦闘で傷ついて体力の限界を迎えていた体では、二人を留めることはできなかった。
 この避難場所へ来ることだけでも精一杯で、ダニエルに抱えられるようにして来たのだ。
 結果キャンディス母さんと鯉蔵父さんは命を落とした。それをマメだけが知っていた。二
人に伝えることもできずに。
 マメはただ沈黙を守り、自分にできる道を探して考え続けていた。
 そんなマメをダニエルが見つめていた。
 カオスと一緒にいたときのマメと、今目の前にいるマメは明らかに違っていた。
 カオスに甘える子どもそのものだったマメが、今はその幼い顔に不似合いな険しい表情で
自分を見ていた。
 視線は自分よりも低いところにあるのに、気分的には見下ろされていると感じる。
 どこか今までとは違う威圧感すらある。
「……マメって、……」
 言いかけたダニエルに、マメがその話はしたくないと目をそらし横穴へと入っていく。
 僅かな光しか入らない天井の低い円形の部屋の中で、目を覚ましたらしいメリラが呆然と
虚空を見つめていた。
「メリラ」
 マメの後ろから入ってきたダニエルが声をかける。
 だがその声に反応はなかった。眼球さえも動かない。
 ただ呼吸にともなって胸が上下していることだけが、生きている証であった。
「……ショックが強かったんだよ。あまりに悲惨な死を見すぎた」
 メリラに近づけずに立ち尽くして言うマメに、ダニエルを頷いた。
 そして意識はここではないどこかに飛ばしながらも、体は緊張して硬くしているメリラの
背中に回ると、足の間にその体を抱きこんで座った。
 ダニエルは何も言わずに、メリラの体をギュッと抱きしめ、腕や顔を摩っていく。
 メリラはただされるがままになっているだけに見えた。だが次第にその体から力が抜け、
ダニエルの胸に揺りかかるようにして落ち着いた呼吸を始める。
 マメはその様子をじっと見守りながら、二人から少し離れた壁に寄りかかって立っていた。
 カオスに会いたい。
 カオスの腕に吊り下がって、悪態をつきながらも決してマメを突き放さない笑顔を見たい。
 マメでいていい、カオスの横にいたい。
 マメは噴出してくる思いに振り回されながら、ずるずると壁に背中を擦りながら床に膝を
抱えて座り込む。
 カオスに会う以前のマメは、マメであって、マメではなかった。
 それを思い出してしまったことが、何よりも悲しかった。
 ただの殺人マシーンであった自分が、記憶の中で自分を見下ろしていた。


「動物は危機的状況になると、通常では信じられないような動きを見せる。ネコは毛を逆立
てて爪を剥き出しにし、天井すら駆け抜ける」
 直立で立ったマメの目の前を、銀色にギラリと光る鋭い爪が通り過ぎていく、あの爪に少
しでも触れられようものなら、肌は何の抵抗も示さずにその内部に流れる真っ赤な血を差し
出すことだろう。
 直立でマメが立つのは、僅か数ミリの針状の物体の上だった。
 すでに三時間以上を片足で体重を支え、さらに両手、両足には各5キロのウエイトがつけ
られていた。
「おまえにも、この気高いの戦闘種の血が流れている。獰猛で敏捷なネコ科の血が」
 目の前の男の豹紋が浮いた腕が、マメの足元を一閃する。
 それをふわりと舞うようにジャンプしてかわしたマメが、再び一ミリたりとも微動だにし
なかったかのように針の上に立つ。
「なかなかの集中力と瞬発力。持久力もある。見込みありだな。CK11」
 グアルグが笑う。
「でもその小さく軽い体では、破壊力が足りない」
 ぬっと目の前に突き出された顔に、マメが腰に捻りを咥えてパンチを繰り出す。
 それを避けもせずに頬に受けたグアルグだったが、ほんの少し顔を横に動かしただけで、
痛みを感じている様子もなく、その頬でマメの拳を押し返す。
 そしてお返しとばかりにマメの腹に拳を叩き込む。
 ウっとうめいてマメの体が宙を舞う。
 だが床に無様に転がされることなく、片手で床を捉えて後方に回転すると、痛みを訴える
腹を庇うように身構える。
「忍耐力は買ってやろう」
 不敵に笑みを浮べ、両腕を組んだグアルグが隙だらけの姿勢で立つ。
 まるで挑発だ。いつでもかかって来いと。
 だがマメは理解していた。
 さっき腹を殴られたときにグアルグが爪を突き出していたなら、それは簡単にマメの腹を
突き破り、内蔵を貫き通していたことだろう。
 この男には勝てない。
 それでも負け犬のように尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。自分がここで生き残るに
は、自分の利用価値、戦闘能力の高さだけが生きる価値だからだ。
 マメは地面を蹴ると、拳を脇に引き寄せ身構えた。
 グアルグも身構える。
 だが、グアルグの1メートル前で直進と見せた動きに変化をつける。
 今まで隠していた高い跳躍力を見せ、一気にグアルグの頭の上を飛び越える。
 そして足をグアルグの首に巻きつけると、身につけていたナイフを引き抜き、その首筋へ
と這わせた。
 マメが想像したのはグアルグの頚動脈から噴出す血のしぶきだった。
 だが実際には、捻られた自分の足首を抱えて床に叩き落されたのは、自分の方だった。
「動きが見え見えなんだよ。動きに移る前に目で俺の背の高さを確認しただろ?」
 自分の細い瞳孔の動きを瞳を示し、グアルグが笑う。
 口元に光るのは肉食獣の鋭い犬歯。
 だが、その笑顔は、はじめてマメに親しみを見せた笑顔だった。
 グアルグはマメの前まで歩み寄ると、間合いの一歩手前で立ち止まり、両手を開いた。
「もう戦闘ごっこは終わりだ」
「……それは、わたしがお払い箱だという意味?」
「いや」
 グアルグがマメに向って手を差し出す。
「おまえは今日から俺の生徒だ。俺の知る殺しの技を全て教えてやる」
 マメはじっとグアルグの手を見つめた。
 手の甲に浮ぶ滑らかな豹柄の毛皮は、きっと指を這わせれば気持ちのいい感触を伝えてく
れることだろう。
「触っていい?」
 不意にマメの言った言葉に、グアルグが一瞬面食らったような表情を見せたが、次の瞬間
には、お好きにどうぞとでも言うように、肩をすくめて見せる。
 マメはそっとグアルグの手の甲を撫でた。
 柔らかで短い毛が、指の下を滑っていく。
「……本物みたい」
「みたいじゃなくて、本物だ」
「……すごいね」
「ああ。すごいだろ」
 グアルグはマメに笑いかけると、あっという間にマメを肩の上に担ぎ上げた。
「何する!」
 荷物のように肩に担がれたマメが抗議の声を上げる。
「足の手当てだ。明日からすぐに訓練に移るからな」
 暴れるマメの尻を力任せにバンと叩いたグアルグが、声を上げて笑うのであった。


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