第三章 やってきたカモ

  
「こわいよぉ〜〜〜。クマに食べられちゃうかもしれないよぉ〜〜。ぎゃぁぁあぁぁ、あそこに黒い影 が!! おばけだ! おばけに体を乗っ取られて怪物にされちゃうかもしれないよぉ!!」  本気の恐怖の叫びを男が上げ続けるというのは、なかなかもっとうるさい。  まだ夜ともなると冷え込む森の中の小屋で、暖炉の橙色の暖かな光の中で食事をしていたクリステリ アだったが、あまりの騒音にスープをわざとズズズと音を立ててすすった。 「クリステリアさま!」  パンを切り分けていたロクサーヌがそれをすかさず注意すると、恨みがましい目線だけを送って口を への字に曲げてみせる。 「だってうるさくて食事をしている気分になれないじゃない。なんなの、あの男気もプライドもないガ キ以下の男は」  クリステリアがそう文句を垂れている合間にも、アストンの悲鳴は上がり続けている。 「寒いよぉ。凍って死んじゃうよぉ!! お腹すいたよぉ。お腹と背中がくっついちゃう。がりがりの 骸骨になって木に縛られてるなんてヤダよぉ〜〜〜!!」  恐怖を感じているわりに現金に腹が減っているなんていう欲求まで訴えてくるアストンに感心してい たロクサーヌだったが、クリステリアの方は我慢の限界だとスプーンをテーブルに叩きつけると、イス の音も荒く立ち上がった。  そしてロクサーヌが切り分けているパンの塊をむんずと掴むと、ドアから外へと出て行く。 「クリステリアさま?」  手にパン切りナイフを手にしたままで後を追うロクサーヌ。  その前をズンズンんと歩いていったクリステリアは、随分と鼻息が荒い。  そんな二人の登場に、泣き言を言い続けていたアストンも、今度はヒィと息を飲んで口をつぐむ。  一人ぼっちで暗い森の中で木に括りつけられているのが怖くて叫んでいたが、やっぱりこの二人に側 にいられる方がもっと怖い。おまけに一人はナイフを手にしているし、クリステリア姫の形相は鬼のよ うだ。  もしかしらこのまま木に縛られて餓死した方がよかったのかもしれない。きっとあのナイフでこれか らバラバラに解体されて、あの鬼姫がパンに自分の血を浸して食うに違いない。  アストンの得意技、マイナス思考大疾走が発動する。  が、その予想に反して一直線にアストンの前まで早足で歩いてきたクリステリアが、そのままの勢い を手に乗せて、アストンの叫びを上げる口にパンをねじり込む。  いくら柔らかいパンとはいえ、殴るに匹敵する勢いを乗せて口にぶち当たったせいで、パンと歯がゴ ツっと音を立てる。  歯、歯が折れる…………。  涙目でそう思ったアストンだった。そして次に自分の口にあるのが芳ばしいパンだと理解したが、は っきりいって味わって楽しむというよりも窒息しそうであることに気付いてモガモガともがいた。  いや、パンにはたくさんの気泡があるのだから空気も吸おうと思うと吸えるのだが、非常に希薄で苦 しい。  声は聞こえなくなったが、存在自体がうるさいアストンに、クリステリアはいったん押し込んだパン を引き抜くと、耳元で叫ぶ。 「うるさいんだよ、おまえ! わたくしの食事の時間を邪魔するとは、どういう了見だ! わたくしを 誰だと思っているんだ」  その剣幕に言葉を詰まらせて目をまん丸にしていたアストンだったが、ポツリと呟く。 「……エアリエル王国のクリステリア姫」  あっさり言い当てられたクリステリアとロクサーヌが途端に顔色を変える。  なぜ自分たちを襲ったのか聞き出そうとしても、そのたびに失神して泡を吹くだけのアストンに、二 人は自分で勝手に喋り出すようになるまで弱らせやれと思っていて木に縛っておいたのだ。  だが結構普通に聞けば喋ってくれるのかもしれない。 「なぜわたしくしを知っている」 「肖像画を見たことあったし、ぼくにはなんとなく分かる」 「なんとなく?」  自信なさそうにぼそぼそ喋るアストンに、クリステリアが脅迫に近い言い方で聞き返す。  それにビクンと体を震わせたアストンを見て、ロクサーヌが前に出る。  そして手に持っていたパン切りナイフをクリステリアに手渡すと、アストンに笑顔を向けた。 「わたしたちは別にあなたを傷つけようと思っているわけではないのよ。ちゃんと理由を話してくれれ ば。もちろん質問に答えてくれれば、食事も上げるわよ」  その申し出にゴクリと喉を鳴らしたアストンだったが、一応警戒心のようなものは持っているらしい。 疑るようにロクサーヌを見る。 「本当に? ぼくを殺さない? 痛めつけない? 拷問しない?」  最後の質問はクリステリアを見ながら言ったアストンだったが、「ええ」と笑顔で頷くロクサーヌに しばらく考えてから頷く。 「もう魔法を使って攻撃しないと約束してくれれば縄も解いてあげるし」 「魔法はもう使えない。……リーナルの葉が手元にないから」  そう言われてロクサーヌは身ぐるみ剥がした男の荷物の中に、何枚かの葉が大事そうに紙に挟まれて いたのを思い出した。あれがおそらく男の言うリーナルだろう。  魔法の力は異様に強い男であることは確かだが、どこか憎めない間抜けにしか見えない。これが演技 だとしたら賞でもくれてやりたくなるくらいの名演だが、きっと演技ではないだろう。  ロクサーヌはそう判断すると、男を縛っていた縄を解いた。  自分の体を拘束していた縄が緩んでホッとした顔をしたアストンだったが、すぐに目の前にナイフを 掲げたクリステリアがいるのに気付いて体を強張らせる。  顔はかわいいと言えるのだろうと常識的に理解できるアストンだったが、彼のもつある特技によって クリステリアの本質がモロ見えなだけに、恐怖の対象でしかなかった。 「手を拘束するわよ」 「え……うん」  ロクサーヌの言葉に従順に頷いたアストンは、自ら体の前で手首を合わせて差し出す。  それを縛ったロクサーヌが付いて来てと目で示す。  アストンはそれに従って歩き出したが、クリステリアの横を過ぎるときには及び腰になる。その弱虫 態度がクリステリアのいじめ心に炎をつけるとも知らずに。  そっとアストンの耳元に口を近づけたクリステリア言う。 「今晩のスープはおいしいぞ。イモムシをすり潰した緑汁だ」  これでアストンはスープが飲めなくなるだろう。  案の定の蒼ざめたアストンが縄を引くロクサーヌの後ろでつまずいて転ぶのだった。  差し出されたスプーンの上の液体はクリステリアが言った通りに緑色だった。  それに顔を顰めて口をぎゅっと閉じたアストンが首を横に振る。 「アストン。わがままを言うな。わたしたちも豊富にある食材で食べ繋いでいるわけではないんだ」  スプーンを持つロクサーヌが叱る。  だがアストンはイヤイヤと首を振る。  その目の前でクリステリアはうまそうにスープをすする。 「ほら、姫さまはおいしそうに召し上がっているではないか」  あれは普通じゃない姫だから、イモムシでも食べられるに違いない。アストンが心の中で言い返す。  クリステリアは必要以上にモグモグと口を動かし、「このプリプリした歯ごたえがたまらないなぁ」 などとうそぶいている。  それに首を傾げたロクサーヌがもっと目の前にいるのだが、アストンには見えていなかった。 「子どもじゃないんだ。出されたものは何でも食べないから、そんなにガリガリなんだろう」 「そんなんじゃな――」  反論しようと口を開いた隙にロクサーヌがすかさずスプーンを差し込む。  アストンの舌の上にドロリと流し込まれるスープ。  ウッと声を上げたアストンだったが、最初の衝撃が去ると、それがイモムシの味ではなく(別にアス トンはイモムシを食べて味を知っているわけではないのだが)、馴染みのほうれん草の味だと分かった。 「うまいだろう? わたしが作ったんだ。ちゃんと食べろ」  笑顔のロクサーヌが差し出す次のスプーンを口に受けながら、アストンはクリステリアを睨んだ。  騙された!  だが睨まれたクリステリアはフフンと鼻で笑って、パンを優雅に口に入れるだけだった。  
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