第三章 やってきたカモ



 腹もいっぱいになって人心地ついたアストンは、大事なローブを丁寧に畳むと、膝の上に置いた。
 いかにも術士といった頭まで覆うフードつきのローブは漆黒で、きっと黙って着ていればアストンも
さぞ様になるのだろうと思うのだが、一箇所笑ってしまうところがあった。
 きっとどこかで枝にでも引っ掛けて破いたのだろう。ちょうど尻にあたる部分にアップリケが縫い付
けられているのだが、それがなんとも可愛らしいクマさんなのだ。頭に紅いリボンをつけた女の子のク
マさんと、青い蝶ネクタイをしたクマさんが手をつないで座っている。
 今もアストンはそのクマさん二人を手で撫でて満足そうに眺めている。
 意外にもそのクマさんに関心を示したのがクリステリアだった。
 目一杯腹に食べ物を詰めて胃のあたりを摩っていたクリステリアが、目を煌めかせてアストンに急接
近する。
 当然アストンは怯えの表情になってイスから転げ落ちそうになる。が、大事なローブはしっかりと胸
に抱いていた。
「それ見せて」
 半ケツになってイスからずり落ちてテーブルを体で押してしまっているアストンに、クリステリアが
手を差し出す。
「………ぼくの大事なダニーとチェリーになにするつもり?」
「ダニーとチェリー? そのクマさん二人はそういう名前なの?」
 なかなか意思がかみ合わない会話をしながら、それでも逃げ出さずに何とか向かい合う。
 今のクリステリアには意地悪オーラがないことを感じとったアストンは、半ケツを回復するまでには
至らなかったが、真っ直ぐにクリステリアの目を見る。
「それどこで縫い付けてもらったの?」
 クリステリアはどうやらダニー&チェリーが気に入ったらしい。
「……自分でやった」
「え? おまえ縫い物とかできるの?」
 針と糸は持ったことがあっても、全く才能がなくボタン付け一つできないクリステリアは、男の身で
こんなに器用にアップリケをつけられるアストンを驚きの目で見る。
「ダニーとチェリーも自分で作った」
「本当に?」
 クリステリアの目が一気に驚きから尊敬に変わる。
 アストンの目には意地悪な真っ黒オーラが、ピンクオーラに変わるクリステリアがはっきりと分かっ
た。
 これなら虐められる心配はないだろう。
 アストンはイスに座りなおすと、胸に抱きしめていたローブをクリステリアに差し出す。
 それを大きく開いた目で受け取ったクリステリアが、そこまで顔を寄せて見なくてもいいだろうとい
う勢いで顔を寄せてじっと眺める。
 丁寧に刺繍で描かれた二匹のクマさんは、微妙な陰影まで色を変えた糸で表現され、フカフカの毛の
感じまで見事に描きこまれていた。その上、なんと言ってもクリステリアの心を惹き付けたのは、愛く
るしいほどにまん丸に描かれ、光を灯した目だった。
「かわいい〜〜〜」
 普通の女の子のように身もだえして言うクリステリアに、アストンは気をよくしてフフンと鼻を鳴ら
す。
 ちょうどそこへお茶を入れてもってきたロクサーヌからカップを受け取り、ふんぞり返りぎみにアス
トンが顎をあげる。
 ついさっきまで怯えて小さくなっていたアストンと、あきらかに不信感たっぷりでいたはずが、アス
トンのローブを手に目を輝かせているクリステリアの変化に目を丸くしたロクサーヌだったが、黙って
向かいのイスに座ると二人の様子を観察する。
「ねぇ、わたしにも作って!」
 クリステリアがアストンに言う。
「……いいけど。なんなら、二人のぬいぐるみ作ってあげようか?」
「本当? ありがとう!」
「うん」
 二人で顔を赤らめて見つめあっているのを、ロクサーヌは何だかなぁと思いながら見つめていた。
 つい数時間前まで姫を暗殺しようとしていたらしいアストンが、テーブルに広げた紙にクマのぬいぐ
るみの詳細設定を書いて見せているし、それを、ついさっきまで拷問計画なんてものを頭で練っていた
はずのクリステリアが、目に星を浮かべて顔をつき合わせるようにして眺めている。
 まるで乳飲み子の頃からの大親友ですという雰囲気だ。
 まぁ、二人ともが子どもだということだろうが………。
 そこまで考えたところで、ロクサーヌはハッとして頭を上げた。
 それでは、わたしはお守をしなければならない子どもが増えてしまったではないか!
 うんざりとしてテーブルに突っ伏すロクサーヌだったが、これから作るダニー&チェリーのことで盛
り上がっている二人には、全く見えていなかった。


 眠い目をこすって一番先に起きたロクサーヌが、今朝は三人分の朝食の用意をする。
 メニューはレーズン入りのパンと目玉焼きにハムを焼いたもの。それに昨日の夕飯の残りのホウレン
草のスープだ。
 きっと残り物ではクリステリアが文句を言うのが目に見えていたが、贅沢を言ってもらっては困る。
なんと言っても、こんな生活をしているのも、クリステリアが言い出した家出が原因なのだから。
 後は温め直したスープをよそるだけにして、ロクサーヌがクリステリアを起こしにいく。
 一応こんなことでは起きないことは分かっているのだが、部屋のドアをノックする。
「クリステリアさま。おはようございます」
 もちろん返事はない。
 ロクサーヌがそっとドアを開ける。ギーっと音を立てて開いた部屋の中は、カーテンに閉ざされた闇
だった。
 この小屋は、その昔、クリステリアの母、アンブローシアがお忍びで狩り旅行をした折に自ら建てた
というログハウスだった。もちろん手伝った騎士たちもいるのだろうが、逸話によれば一人で丸太を切
り出し、肩に担いで歩いたというのだから、いったいどれだけの豪傑だったのか。
 部屋の中のベッドも手づくりで、こじんまりとしているが、なかなか寝心地のいいものだった。
 そのベッドに近づき、寝起きの悪いクリステリアを起そうとして、ロクサーヌは一瞬自分の目を疑っ
た。
 クリステリアがベッドにいない。それどころか、ここで寝た形跡がないのだ。
 まさか!
 一瞬にして脳裏に浮んだ最悪の事態に体の中に震えが走る。
 まさか誘拐?
 そう思って最初に思い浮かぶのが、昨日のあのアストンという術士だ。あやつ、バカで間抜けな風を
装っていて、実はクリステリアさまを誘拐するつもりで演じていたというのか。
 一応夜も腕は拘束してベッドに入れてやったし、アストンの部屋にも鍵はかけておいたのだが、そこ
は術士、いかなる方法で抜け出すかは分からない。
 わたしとしたことが!
 ロクサーヌは床板を踏み抜く勢いでクリステリアの部屋から駆け出すと、アストンの部屋へと走った。
 案の定、アストンの部屋のドアに掛けておいた南京錠が廊下に転がっている。
 あの男、ただではおかぬ。
 殺気すら滲ませて腰の剣を抜いたロクサーヌがアストンの部屋のドアを開け放つ。
「アストン!」
 叫んだロクサーヌが部屋の中を見回す。
 と、そこには目の下に隈を作ったアストンがイスから転げ落ちて、寝ぼけと恐怖の大恐慌を起して叫
ぶ姿があった。
 その手には糸を通した針と、作りかけの人形。
「ぎゃぁぁぁぁ! 殺さないで。ちょっと疲れて居眠りしちゃったけど、がんばるから殺さないで!!」
 意味不明なことを叫んで、アストンが床の上で腰を抜かして泣いている。
 剣を頭上に振り上げていたロクサーヌも、憤怒の表情から漂白された間抜け顔になる。
「……アストン、おまえ、何をしている」
 剣を構えたままでそんなことを聞かれて、気弱なアストンがまともに答えられるわけもなく、「あわ
わわわわ」と人間語でない叫びを上げる。
 こいつを相手にしていてもダメだと悟ったロクサーヌが部屋の中を見回す。
 そしてアストンが寝ていたはずのベッドにスヤスヤと眠るクリステリアを見つける。
 真っ白なシーツの上にストロベリーブロンドの髪が広がり、少し開いた口元から穏かな寝息を立てて
いる、愛らしい寝顔。
「アストン、貴様、まさかクリステリアさまに何か不埒な真似を」 
 剣を鞘に戻したロクサーヌが慌ててベッドに歩み寄ると、布団を剥いだ。
 ぬくぬくに暖かかった布団を捲くられて、まだ熟睡中のクリステリアが手足を丸める。が、着衣に乱
れはない。よだれを垂らしている口元を見ても、男を知った色気などというものは皆無だ。
「………アストン」
 いまだに床で震えているアストンを振り返ってみたロクサーヌが、努めて穏かな声と表情で声を掛け、
同じ目線で話そうとしゃがみこむ。
「驚かせて悪かった。クリステリアさまの姿がなかったので、わたしも慌ててしまったのだ。すまなか
った。分かってくれるか?」
 素直に謝ったロクサーヌに、アストンが涙を浮かべた顔で頷く。
 大人の男に子どもじみて涙を流しながら頷かれても苦笑を浮かべるしかないが、美形で女のような顔
で長い銀髪のアストン相手では、か弱い女の子をいじめしてしまった気分で罪悪感を感じてしまう。
 ヒックと泣きしゃっくりまでしているアストンに手を差し伸べ、立ち上がらせてイスに座らせる。
 その正面に座り、ロクサーヌが尋ねる。
「いったいどうして姫がここに?」
 幼い子どもに聞くように顔を近づけて問えば、アストンが消え入りそうな声で言う。
「夜中に姫が部屋に来て、手の縄を解いてから言ったんです。今からダニーとチェリーを作れって。作
らないと拷問するぞって」
 アストンが指さした床の上に、まさしく針が百本束ねられたものが転がっている。
 クリステリアのことだから、あれでアストンに刺すぞと脅したに違いない。
 で、作るのを見張っているはずのクリステリアは、アストンのベッドで眠ってしまったと。
「……そうだったのか……」
 ということは、アストンの部屋の外の南京錠を壊したのはクリステリアということだ。
 その間にも、隈が浮んだ半眼なのにアストンは必死に針と糸で人形を縫い続けている。
 それを哀れな虐められっ子を見守る目で見たロクサーヌだったが、不意に背後でした気配に振り向い
た。
 そこにはムクっと起き上がったクリステリアの姿が。
「アストン! さぼらずにさっさと作るのじゃ!!」
「は、はい!」
 寝ぼけて寝言で言っているだけだと気付かないアストンが悲鳴を上げ、針を進めるスピードを上げる。
が、慌てすぎて指に針を刺して、またまた悲鳴を上げる。
「アストン、落ち着け。姫はまだ寝てるから」
 パニックを起すアストンを宥め、ロクサーヌはため息をつく。
 本当にやっかいな子ども二人を預かった保母さんの気分だった。これからは、姫の護衛というよりも、
アストンの護衛に徹しないと彼の寿命が縮むことは火をみるよりも明らかだった。


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