第三章 やってきたカモ



 頭ががんがんと音を立てているように痛む。その上顔が腫れてしまったのか、顔がパンパンに張って
いる。
「んん……う……」
 痛みに顔をしかめながら目を開けたアストンは、目の前で繰り広げられているシーンに絶句し、再び
意識を失いそうになった。
 逆さま国にいる自分の目の前に、ストロベリーブロンドの可愛らしい娘がいるのだが、その手には火
のついた松明があり、片手にはなぜか切れ味ばっちりそうな斧。その斧を眺めながら、にんまりと笑っ
ている。美しいだけに、一変した顔に背骨の中を氷の塊が通過していく。
 そしてその傍らには、やはり美しいが、ストロベリーブロンドの娘よりは年上で理知的な表情の女が
いた。そしてその手にはアストンの首など簡単に切り落としてしまいそうな剣があり、目の前の娘と声
高に言い合っている。
「姫いくらなんでもそれでは、この男が死にますよ」
「え〜〜、でも、まぁ、いいんじゃないのかしら? あの湖に捨てとけば誰も気付かないのだし」
「それではあの湖に二度と入れないではありませんか?」
「まぁ、ロクサーヌ、あの湖気に入ったのね。今度一緒に泳ぎましょう。もちろん裸で」
「いえ、結構です。というか、姫も止めて頂きますよ。あのような姫の品格を疑うような行いわ」
 楽しげに言い合う二人の背後で、アストンは何とか手放しかけた意識を小指の先だけ引っ掛けて取り
戻し、恐怖に鳴る歯の音をなんとか抑えながら辺りを伺った。
 どうやら自分の体は木の枝に逆さまに吊るされているらしい。
 お気に入りのローブは脱がされてしまったらしく、どこを見ても見当たらない。
 おまけに、これは彼女たちの趣味なのか、あるいはこれから行われることにおいて意味をなすのか、
上半身は裸。下も下着一枚でズボンが脱がされてしまっている。
 燦然と輝く太陽の下に晒すには、あまりに貧相な体が木から下がっていた。
 筋肉もない肋骨の浮いた白い体。長い白金のような髪(今はボサボサで顔の周りを垂れ下がってい
たが)。女と間違われるような美貌。そんな男が全身をガタガタを震わせていた。
 そんなアストンの恐怖オーラを感じとってか、斧と松明を持った娘が振り返る。
「あ、こいつ意識が戻ったみたいよ」
 そのニンマリと笑った顔に、アストンには恐怖の序曲が聞こえ始める。
 ああ、ぼくはこの女悪魔に食い殺されるんだ。
 アストンの恐怖のマイナス妄想はドンドンと膨らんでいく。
 あの斧でぼくを切り刻むのか? いやだぁ! 痛い痛すぎる。最初に首ならまだいい。でも腹に刺さ
れたら………ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!
 フッと自分の中から飛び立とうとする意識を感じたが、乱暴に掛けられた水の冷たさに意識が戻る。
「ああ、ダメダメ。深窓のお嬢様ぶってすぐ意識飛ばすのはなしよ」
 同じ目線で鼻先5センチの距離で言われ、アストンは文字通りにぎゃぁぁぁと叫び声を上げた。
「姫。この男、どうやら姫の存在自体に恐怖しているようなので、ここはわたくしにお任せを」
 後ろからした女の声に、娘が振り返る。だがすぐにアストンに顔を戻すと「チッ」と舌打ちする。そ
して女と場所を入れ替わるために立ち上がりながら、しっかり膝でアストンの額に蹴りを加えていく。
 ゴツっと頭の中に響いた音に恐怖は感じるが、あまりの危機的状況に痛みは感じない。
「姫、そうやってなんでかんでも虐めるのはやめてください」
 娘の行いを後ろからきた女が諌める。
 どうやらこの女のほうが自分には味方に近いらしい。
 が、明らかにこちらも味方とは言い難く、手にしていた剣を鞘にキンという音も高くしまうと、アス
トンの前に立つ。
「おまえ、名前を聞こうか」
 女が威圧感たっぷりに鋭い目で見下ろしながら言う。
「あ、あ」
 アストンです。
 あっさり白状しようとしているのに、息も絶え絶えで喉から空気がもれてしまって言葉にならない。
 縛られている手で喉を押さえたアストンに、女が顔をしかめる。
「素直に言わないなら、不本意ですが、拷問も加えますよ」
 女がナイフを取り出して握って見せる。
 ひやぁぁぁぁ、そんなつもりは。ちゃんと言いますから。
 だがアストンのそんな心の叫びも聞こえるはずもなく、後ろの娘が飛跳ねて叫ぶ。
「拷問、やろうやろう。馬糞池に蛇ジャラジャラで上から矢を降らせてやるぞぉ!」
 当然の如く、アストンは呼吸すらを止めて失神したのであった。
 そう、アストン。命の危機です。


 走馬灯というのだろうか。
 アストンはつい先日の出来事を思い出していた。
 こんな風にクリステリア姫にかかわることになった始まりとなる事件の出来事だった。
「おまえ、今度こそヤバイって」
「ヤバイっ…ヒック……て?」
 ベッドに泣きながら転がっていたアストンは、仲間の術士の声に顔を上げた。
 涙と鼻水にドロドロの美少年面に、ウッと声を詰めた仲間がそっとハンカチを差し出してくれる。
 それを受け取ったアストンは、礼を言って頭を下げると、ハンカチで鼻をかんだ。
「おまえの任務失敗は毎度だけどさ、今度ばかりは相手が悪かったよな。マイノールの次期長老と名高
いムゼイル様の孫に恥かかせちまったんだから」
「わざとじゃないよ!」
 再び涙を滂沱と流して叫ぶアストンに、苦笑いになった仲間がその背中をポンポンと叩く。
「でもさ、どうやったら女の子の鼻の穴から花咲かせたりできるわけ? おまえってわけわかんないと
ころで、異常な力を発揮するよな」
 このぐらいはできるだろうとつけられた術士の非公認ギルド、マイノールの子どもたちの学校での発
表会での任務だった。アストンの任務は、ムゼイル様の孫娘がプライドでやってみせたい術の発表の影
武者的なものだった。
 学校の先生の化けて側についたアストンが、ムゼイル様の孫娘の握るリーナルを替わりに発動させて
やるだけでよかったのだ。
 ところがどうしたことか、発動したリーナルは不意に爆発すると、真っ黒な顔になった孫娘の鼻から
色とりどりの花を咲かせてしまったのだ。
 見学していた生徒たちは爆発には逃げ腰になっていたが、爆発頭に真っ黒顔で鼻から花を咲かせた姿
に大爆笑。
 恥ずかしさと鼻を花でふさがれた呼吸困難から、顔を赤黒くさせた孫娘は卒倒。
 慌てたアストンは先生の変化から思わず猿の変化に替わってしまい、大ザルが花咲か娘を抱えて退場
などという余興になってしまったのであった。
 力任せに引っこ抜いた花に鼻血は噴出すわ、呼吸を取り戻させようと人工呼吸すれば意識を取り戻し
た孫娘に「変態!」と叫ばれて殴られるはで、アストンはさんざんな目にあったのだった。
 そしてそれだけで事態はおさまるわけがなく、ムゼイル直々にアストンの無期謹慎処分が言い渡され、
持っていたリーナルも没収。
 毎日泣き暮らす生活を繰り返していたのであった。
「ぼくはどうしたらいいのでしょう………」
 もう泣きすぎて脳みそまで涙となって流れ出してしまったらしく、まったく答えを出してくれない自
分の脳に見切りをつけ、助けてくれと仲間の顔を見上げる。
「う〜〜ん、まぁ、でかい仕事をやり遂げて見せるとかかな?」
「デカイ仕事?」
 その言葉は、アストンの中で不意に灯った光であった。
 デカイ仕事を成し遂げればいいんだぁ!
「いや、やっぱおまえには無理――」
 そんな仲間の声はアストンには届いていなかった。
 すっくと立ち上がったアストンは、服の袖で涙と洟を拭うと、颯爽と部屋を出て行った。
 そして長老たちの集う幕屋の前で聞き耳を立て、クリステリア姫という言葉を耳に挟むのだ。
『クリステリア姫がエアリエルの城から出奔したらしい。これはチャンスだ。姫をつかまえて取引の材
料とする。場合によっては生きていなくても構わない』
 デカイ仕事。
 アストンは仲間の持っていたリーナルを失敬すると、そのまま置手紙一つで旅立ったのであった。
『みんなへ

 ぼくアストンは大きな仕事を成し遂げるために旅に出ます。
 大きな獲物を手に凱旋するから、待っててね。あ、それとリーナル貰っちゃったけど、ゴメンネ。      
                              アストン』

 そしてここに至るのである。
 

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