第二章 運命に魅入られた娘



 森の上空を旋回している大きな鳥の存在に気付いたザインは、胸に下げていた呼び笛を手に取った。
 息を吹き込んでも音のしないそれは、鳥だけに聞こえる音を発する笛。
 その音を聞き取った鳥が、旋回していた軌道を大きく変えると、急降下でザインの上に舞い下りる。
 茶色い訓練された鷹が近くの木の枝に止まる。
「ガルシア。王子からの伝令か?」
 顔なじみの鷹が、ザインの声によく回る首を巡らせて顔を向けると、小さな黒い目を瞬かせる。
 その足に括りつけられた筒から手紙を取り出し、ついでに腰のポーチから干し肉を僅かばかり千切っ
てさし出す。
 鋭い嘴で、だがザインの指は決して傷つけない制御された動きで肉をつまみ、喉の奥に流し込む。
 その様子を眺めながら、ザインは丸まった王子からの指示書に目を通す。
 そしてその文面にフンと大きく鼻を鳴らすと、困った主人だと鷹のガルシアに愚痴をはく。
 彼らしい気負ったところのない素直な文字で、高揚する思いを綴った手紙には、今すぐザインに合流
して欲しい旨が記されていた。
 グラナダとエアリエルの国境に位置するオアシス都市、サイードで待つと記された手紙に了解の返事
をしたため、再びガルシアに託す。
「それにしても、こんな偶然が重なるのだろうか?」
 手紙を収めた筒に蓋をしながらザインが呟く。
 王子の想い人、エアリエル王国王女、クリステリア。その王女に求婚する者に求められているらしい
変わった条件。それは雲隠れした姫を見つけ出し、姫よりも強いことを示してみせること。
 どうやら我王子、グラナダ王国第三王子、トゥールも姫獲得のために乗り出したらしい。
 だがそれは、どう考えても無謀なことこの上ない。どうせほとんど家出のようにして飛び出してきた
に違いない。
 なんと言っても、両国の間には年がら年中戦いの火種が転がっている、危うい関係なのだから。
 一応は平和協定なるものを結ばれてはいるのだが、それも時間とともに綻びはじめ、一つきっかけと
好都合な言い訳ができさえすれば、いつ戦端が切って落とされてもおかしくはない。
 そんな関係にある国の姫に想いを寄せてしまった王子。
「そんなことなら、あの娘を引き止めておくんだったな」
 数十分前に分かれたアンリを思い出し、去っていった方向を見る。もちろん、そこにアンリの姿があ
るはずもない。
 エアリエル王国の美姫、クリステリアと、あのうっかり娘は顔だけはそっくりだったのだ。
「あの娘で王子を納得させておいた方が、エアリエルへの強行突破に比べれば容易い」
 ザインは手紙を持ったガルシアを空に放ちながら、算段をする。
「ここはあのトレジャーハンターに掴まった貰おう」
 ザインは意地悪い笑みを口元に浮かべた。


 オアシス都市サイード。
 オアシスといっても砂漠にポツンとある水辺程度の水源ではない。地下の水脈から水を引いてできた
巨大都市がサイードだった。
 焼けたレンガでできた赤茶色の都市は、だがカラリとした天候と生い茂る緑の木々のおかげで過ごし
やすい。
 エアリエルとサイードの間を行き来する商隊や旅人には大事な宿場であった。
 砂漠の砂が入り込まないようにと築かれた高い城壁の門をくぐり、ザインは王子の下へと急いでいた。
 サイードは犬猿の仲ともいえる二国の間にありながら、独特に栄えた商業都市ゆえに中立を保ち、そ
のために様々な国の文化が入り乱れた様相を持っていた。
 そこここに立った露店にはエアリエルの特産の花々を扱う花屋があったと思えば、その隣りではグラ
ナダ特産の水晶を使った装飾品が並んでいる。
 行き交う人々の肌の色や衣装も様々で、いかにも騎士という風体のザインが歩いてたところで、特に
注目されるでもない。かえってそこらを歩いている大商人たちの衣装のほうが煌びやかで、歩くたびに
金属音を立てる装飾品で身を装っていて、砂漠の焼けた太陽にキラリと光を放つ。
 そんなサイードの露店の軒先を通り過ぎようとしたザインだったが、ふと見慣れた後ろ姿をみつけて、
通り過ぎようとしていた足を止めた。
 細身の背中に一筋縛った黒い髪を垂らした男が一人、露店の安っぽいテーブルについて、きれいに洗
ってあるのかと問いたくなるほど黒ずんだジョッキで酒を飲んでいる。
 周りにいる一仕事を終えた親爺さんたちと意気投合しているらしく、盛んに手振り身振りで会話して
は、盛り上がって笑い声を上げさせている。
 それほど華美ではないが、明らかにどっかの金持ちの坊っちゃんだと分かる絹の服を着て、耳にはシ
ルバーの精巧な彫が施されたイヤーカフス。
 今も見守る先で隣りのテーブルの親父さんの差し出した皿から、ゲテモノの様相をもった肉を指で摘
まんで口に放り込んでいる。
 あの方はまたこんなところで………。
 頭を抱えたくなる。
 ザインは足音を立てずにその背後に立つと、ガシっと強い力で男の肩を掴んだ。
「お………トゥール。こんなところで何をしているのかな?」
 王子と言いかけた言葉を飲み込み、笑顔で尋ねたザインに、当の王子は笑顔でその顔を見上げ、歓喜
の声を上げて立ち上がる。
 そして子どものようにザインに抱きつくと、その背中をポンポンと叩く。
「ザイン。待ちくたびれたよ」
 この過剰なスキンシップには慣れているつもりだったザインも、こうも人の面前で抱きつかれたりす
ると硬直する。
 そして案の定、周りを囲んでいた親爺さんたちもそんな二人を見上げて呆然とした顔をしている。
「おい兄ちゃん。あんたぁ、もしかして男が好きっほうの趣味の人か?」
 そう言われればそうも見えない優顔。
 うんうんと勝手に納得し始める親爺さんに、ザインはベリっと王子を放す。
「ううん、違うよ。この人はぼくの………う〜ん、最強の護衛官」
 にっこり笑って言う王子を横目で見ながら、ザインはとりあえず胸を撫で下ろす。
 この脳天気な王子なら、平気でぼく王子、この人はぼくの騎士なんて言いそうだからだ。
「ではトゥールさま、宿に戻りましょうか」
「うん」
 笑顔で頷いた王子は腰の袋から金貨を一つ取り出してテーブルに置く。
「親爺さんたちの勘定もこれでね」
 いや、それでは多過ぎだと思います。
 そう言いたいところだったが、煌めく金貨に目を丸くした親爺たちに追及される前に立ち去るべく、
王子の背中を押す。
 
 王子としても、一般男性としても半人前のこの男、トゥールがザインの主人。グラナダ王国第三王子
の姿だった。


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