第二章 運命に魅入られた娘


 久しぶりのうまい肉にありついて腹いっぱいになったアンリは大あくびをして目を手の甲で擦った。
「まだお疲れなら休みなさい。わたしが火の番をしておりますゆえ」
 アンリの子どものような正直な仕草に笑ったザインが、さっきまでアンリの寝ていた毛布を示す。も
ちろんその毛布はザインのもので、アンリが使ってしまえば、まだ夜半には冷える中を毛布なしで過ご
さなければならなくなるのだが、今にも火に頭から突っ込んで眠り込みそうなアンリを思って言った。
「……はい。ありがとうございます」
 律儀に頭を下げたアンリは、モソモソと草の上を立ち膝で這っていくと、丸まった毛布の上に乗った。
 だがその毛布の側に自分の荷物を詰めた袋が転がっているのに気付いて、その口をあけて頭を突っ込
んだ。
 そして中からお気に入りのチューリップのアップリケつきの毛布を引っ張り出した。
 その毛布を胸に抱えてザインの側までやってくると、その毛布をザインの背中に掛ける。そうしてか
らニコっと笑うと頭を下げる。
「ではおやすみなさい」
 その行動を顔には表さなくとも内心、かなりびっくりしていたザインを尻目に、アンリはあっさり毛
布の中に戻ってぬくぬくと眠り込んでしまう。
 警戒心の欠片もなければ、物事の順序もめちゃくちゃに絡まっているような気がしたが、その寝顔は
なんでも帳消しになるくらいにあどけないものだった。
 こんな娘なら、トレジャーハンターなんて仕事をさせておくよりも、誰かと結婚して家庭におさまっ
た方が幸せになれるのではないかと思って、ザインはアンリの花嫁姿を思い浮かべた。
 肌はグラナダではあまり見られない白い肌だが、きっと砂漠の民が作り上げる紗の花嫁衣裳は似合う
だろう。
 だが、とザインは火を見つめながら思った。あまりにドジ過ぎる。後先を考えずに突っ込んでいく性
格らしいが、豪胆といえば良いのだろうが、女性としては繊細さにかける。毎晩の夕食はネズミの丸焼
きなんてこともありそうで怖い。しかもそれを笑顔で頬張る姿まで鮮明に浮んでザインは目を瞑った。
 こんな娘では立派な妻にはなれそうにない。子どもなどできても、きちんと子育てできるのだろうか
と、先のことながら心配になってくる。
 そんなことを父親のように考えるザインとて独身なのであったが、アンリをもらう男の頭数にはもち
ろん自分はカウントしていなかった。
「あの方がみれば欲しがるかもしれないがな。………いや、やめておこう。やっかい事が俺の身に増え
るだけだ」
 白い肌に赤みがかった金髪。なによりもその容貌。おそらくあの方の好みのど真ん中なのであろうが、
身分が違い過ぎる上に、側室という日陰に置くにはもったいない娘だ。陽気に野山を駆け巡っている方
が、彼女には似合いだ。
 アンリが背に掛けてくれた毛布を手に取ってザインは微笑みを浮かべた。
 陽の匂いがする毛布だった。
 高価なものではないし、ヘタクソな針使いで縫い付けれたアップリケは曲がっているは、縫い目もが
ちゃがちゃだったが、彼女の愛着はよく伝わってくる。何度も洗濯をして、木に吊るして乾かして使っ
ているのだろう。そして、太陽の匂いに包まってヨダレを垂らしながら寝ているに違いない。
 今は自分の毛布がそのヨダレの洗礼を受けていることを知っていたが、嫌な気分にはならなかった。
 意外に側に置けば心休まる存在になるのかもしれない。厄介事も増やしてくれそうだが。
 ザインはそう結論づけると焚き火に枝を投げ込んで、凍える空の星を見上げた。


「本当にお世話になりました」
 すっかり顔色もよくなって爽快そのものの顔のアンリがザインに頭を下げる。
 それはそうだろう。一晩一度も目を覚ますことなく熟睡して、朝もザインの作ってくれた麦の粥を腹
が苦しくなるくらいに食べたのだから。
 お互いに荷物をまとめて背負った二人は、向かい合うと握手を交わす。
「わたしはグラナダを目指して街道を北に向かう。アンリ殿は?」
「わたしはまだ決めてないんですけど、ちょっと手持ちの路銀が少なくなっているので、一仕事して、
またお宝を探します」
「そうか」
 きっと自分で納得した道をまい進する娘だろう。押し付けの道など受け入れる性格ではない。
 ザインは頷いて一枚の紙をアンリの手に握らせた。
「困ったことがあったらここへ連絡を寄越しなさい。できる限りの力にはなろう。こうして知り合えた
のも縁があってこそだ」
 紙を開いたアンリは、そこに書かれたザインの名前とザインに取り付いてくれるのだろう、グラナダ
の自分の屋敷の名前が書かれていた。
「はい。ありがとうございます」
 ペコリと頭を下げたアンリに、ザインは父親の気分で頷く。
「ところで、あの吸血石はどうしよう? 良ければわたしのほうで処理するが」
「はい。お願いします。いくらお宝でも命まで吸われてはたまりませんから」
「うむ。そうだな」
 素直にヒル石をザインに託したアンリが、改めて頭を下げて背を向けて歩き出す。
「またどっかで会いましょう!」
 笑顔で手を振るアンリに手を振り返し、ザインはその背中を見送った。
 それから足元にゴロンと横たわるヒル石を見下ろすと、ひとまず今回の仕事はこれにて終了と胸を撫
で下ろす。
 そして自分の荷物の中から渡されていたリーナルの葉と、ザインには読みとめない紋様の描かれた呪
符を取り出す。
 それをヒル石の上に貼り付けると、呪符の紋様がリーナルの中へと吸い込まれ、そこから黄色い光の
渦が発生する。その光の渦がヒル石の上を這い進むように広がり、やがてその光はヒル石全体を包み込
む。
 アンリの血で真っ赤に染まっていたヒル石が、すっと眠りについたことを示して透明へと変わる。
 これで安全に触れることができるようになったとザインが手に取ると、ヒル石に直接触れる前にクッ
ションのように覆うシールドの感触が伝わる。
「……ふぬ」
 前から何度かリーナルの力は見たことがあったが、今目にしたことに比べれば初歩的な力だったのだ
ろう。傷の上に被せたると痛みが和らいで傷の治りを早くしてくれたり、中には水を石から湧き出させ
たことのある奴も見たが、この術式は見たことがなかった。
 グラナダには今までなかった新しい力。
 それは歓迎すべきものなのか、それとも昔から築き上げてきた絆を焼ききるほどに危険で強大な力で
あるのか。
 主にただ仕えるだけの身ではあったが、それだけに主が間違った道に進まぬように、より早く真実の
姿を見極める務めがあるのだとザインは思っていた。
「ひとまず王子の下に帰りますか」
 小脇にヒル石を包んだ毛布を抱えると、ザインは森の中を歩き出して行った。


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