第一章 鳥かごの中で牙を剥く、美しき姫

     
 姫様が悪戯に勤しんでいる頃、剣を取りに行くという用を言いつかっていたロクサーヌは、姫の部屋 に飛び込んで壁に立てかけられている剣を発見して手にとった。  そこはクリステリアが部屋を出る直前に髪につける髪留めの位置を確かめたドレッサーの前だった。 ここにあったのなら、うっかりと言えど見逃すはずのない場所だった。 「絶対にわざとだな、クリステリアめ!」  周りに人がいないからこそ言える雑言だったが、言ってからつい辺りを見回してしまう。  なんとなくクリステリアには普通と違う超人じみたところがあるのを知ってるだけに、今は外にいる と分かっていても、どこかに潜んでいて聞き耳を立てている気がしてしかたがないのだ。  だが姫つきの騎士である自分が姫に怯えていては示しがつかない。それに、あの姫がただ単に自分を 遠ざけるためにわざと剣を忘れたなどという可愛げのある行為をしたとは思えない。絶対になにかたく らんでいるに違いない。  そう思うと再びロクサーヌの足は全力疾走に向けて力が込められる。  ダンと力いっぱい開けられた扉に、通りかかった侍女たちが首をすくめて、目を大きくして自分を見 ているのに気付いたが、咳払い一つで足早に宮殿の廊下を歩き去る。そして人目が無くなったところで 全力疾走に切り替える。  バカでかい宮殿の石廊下を足音も高く走るロクサーヌだったが、不意に声を掛けられて足を止めた。 「ロクサーヌ。何をそんなに慌てておるのだ。騎士たるものいつでも平常心でものごとに当るべきであ るぞ」  鷹揚に深みのある低い声でそう言ったのは、ロクサーヌの父で現エアリエル王国の国王ランドビンス であった。 「これは王」  ロクサーヌを乱れた息を押し殺して膝をつくと、礼を尽くして頭を垂れる。 「ふむ。そなたがあってクリステリアが見えないと不安になるな」  王は大事に育てているバラのアーチの手入れをしていたのだろう。厚い手袋をした手にはハサミが握 られ、選定した枝があった。 「王のバラも、今年も見事に咲き誇りそうで、クリステリア様ともども満開の時がくるのを楽しみにし ております」 「そうか。そう言ってもらうと育てがいがあるというもの」  顎に蓄えた見事なひげに手を当てながら、王は嬉しそうに目を細めた。そしてひげに紛れ込んでいた クモに気付いて「おお!」と声を上げて慌てて払い落とす。  そんな穏かな理想の父親像の王の姿に、ロクサーヌは微笑みを返しながら心のうちではその王を気の 毒に思っていた。  この王の国王という地位を永らく一人で支えてきて、ご苦労も堪えないだろう。なにしろ王として人 の上に立って命令することが好きでないご気性なのだから。  エアリエル王国は、もとより女王が治める完全なる母系社会でできあがった国だった。昆虫でいえば、 ハチの社会のように、女王が中心となってできあがった国なのだ。  だから本来ならば、クリステリアの母であった女王がこの国を治めていたのだ。そしてランドビンス はその女王となる女の元に婿として入った、隣国の王子に過ぎなかった。  気の強い、暇さえあれば剣技の練習をして騎士を打ち負かしているような女だった彼女には、正反対 のランドビンスは物珍しく、自分にはない世界観をもった男として理想的だったのだ。クリステリアの 母、アンブローシアに対して、ランドビンスは、馬といえば早駆ばかりしていた王女に、二人でゆっく りと並んで森の中を散策する楽しさを教え、花々の様々な彩り、香り、育てることの苦労と達成感を教 えたのだった。  そして今王が手入れしているバラも、そんな二人で育てたものだった。アプリコットカラーと薄い黄 色のバラが左右から伸びて手を絡めているそのバラを、苗から育てのがランドビンスで、そのバラが絡 みつく金属のアーチを作ったのがアンブローシアだった。いまやそのアーチが回廊のように続いて、こ の宮殿の中でもロクサーヌの大好きな場所の一つになっていた。  だがそんなアンブローシアが思いがけない流行病で亡くなり、跡を継がせようにもまだ幼いクリステ リアに代わって、王として国を治めてきたのがランドビンスだったのだ。  この王には王としてのアンブローシアとは違う器があったのだろうが、それでも重責であったには変 わりがない。若かりし頃は銀の美しい髪だったというが、その髪も今は初雪に覆われた野原のように純 白に変わり、繊細な細身の青年だった体も、軍事国家でもあるエアリエルの国王らしく鍛え抜かれたも のに変わっていた。  だがその王が代理を勤めているともいえる国王という立場も、そろそろクリステリアに引き継がれる べき時が迫っていた。クリステリアも今年で十七歳。立派な王子と結婚して国を治めることのできる年 齢になってきたはずなのだ。  だが、現実の姫君はといえば、ロクサーヌもランドビンスも頭に浮んだ姫の作り笑顔と、そのときに 見せる片側だけ口角がクイっと上がる癖に苦笑いを浮かべる。 「なぁ、ロクサーヌ。あの子は自分が時期女王だと理解しているのだろうか?」 「はぁ。おそらくは。ですがこのロクサーヌの力が及びませんで、王にもご心配をおかけして申し訳あ りません」  深く頭を下げるロクサーヌに、王はそんなことはないと示して顔の前で手をふる。 「いや、あの子を相手によくやってくれていると感心しているくらいだよ」  王の方がかえって手におえない悪戯っ子を押し付けてすまないなぁと、ロクサーヌの肩に手をおく。  そして選定していた中から見つけた小さな蕾をつけたバラの枝を手にとると、丁寧に棘を取り除いて ロクサーヌの服の襟につけてやる。 「だがあの子もあのアンブローシアの娘だ。きっと目覚める日がきっと来るだろうと信じているよ。そ れに、わたしにも考えがあってな」  王は秘策だぞと言うと、ロクサーヌの耳元に囁いた。  その言葉に、なぜか言葉を詰まらせたロクサーヌは、自信たっぷりの王に苦笑いを返した。 「なんだ、この秘策効かぬと思うか?」 「はぁ、そうですね。ショック療法にはなりましょうが、そのショックにあのクリステリア様がどう反 応されるかは、予想できかねますゆえ」 「ふむ」  ロクサーヌと王が並んで腕を組んで首を傾げる中、遠く厩の方から尋常ではない馬の嘶きが微かに聞 こえる。  その微かな音に反応した二人は、顔を見合わせると同時に目と目で会話を交わす。 『絶対にクリステリアだ』 「御前を失礼いたします」  さっそく姫の下にはせ参じるために頭を下げるロクサーヌに王が頷く。  だがその背中に小さく呟くのだった。 「でもさっきの話、もうすでに各国に打診してしまったのでよろしくな」 「は?」  駆け出していた足を急停止させて振り返ったロクサーヌの声が上擦る。  さっきのは相談ではなく、事後承諾の命令だったのですか?  ロクサーヌはクラリと眩暈を感じて額を手で覆った。  王は言ったのだ。 『あの姫も好きな王子でも見つければ優しさも身につけるだろう。だから見合いをさせることにしよう と思う』  あの姫がおとなしく見合いなどするだろうか? いや、それよりもいつもの猫かぶりで騙される王子 たちの方が気の毒だ。
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