第一章 鳥かごの中で牙を剥く、美しき姫



 ロクサーヌに伴われて王との約束の庭園の一角に姿を現したクリステリア。
 剣の稽古用の足にぴったりとフィットしたズボンとブラウスという姿で、柄に赤い宝玉を象嵌した剣
を佩いて王の前に立つ。そして優雅に片方の膝を折って礼をする。
「お父様、今日という日がお父様にとって麗しい日であるこをお祈りしております」
「うむ」
 それに笑顔で頷いた王であったが、その声はなぜか鼻詰まり声だった。
「あら? お父様、お風邪でもお召しになったのですか? 大変」
「いや、そうではないのだよ。んん? どうしたのかな?」
 わざとらしく咳払いをしてクリステリアから顔を背けた王が、背後の新鮮な空気を胸いっぱい吸って、
それから苦しい笑みでクリステリアを見る。
 それを見て、ロクサーヌも心底王に同情を覚えた。
 そして背後の、剣の稽古場に立てられた姫専用の更衣室から、姫の着ていたドレスを鼻をつまんで運
び出そうとしている侍女たちを見やる。
 庭園の中を楽しそうに歩いているクリステリアを見つけたロクサーヌは、駆け寄ってすぐに、そこに
漂う異常な匂いに顔をしかめた。
「クリステリア様。この異臭はなんですか?」
「異臭?」
 自分では気付かないのか、本当に分からないという顔で首を傾げる。
 が、それはもう、ちょっと臭いかな? というレベルはとうに超えた、鼻の内部を痛みが直撃するよ
うな匂いだった。
「今日はどんな悪戯をなさったので?」
 あまりの匂いに口で息をしながらクリステリアを睨めば、悪びれるでもなく、疑われたことが何より
も悲しいと両の拳を顎に添えて目を潤ませる。
 あの、姫。その悪臭を放つ姿でそんなことされても、かわいくありません。小指の先ほども。
 口で息をしても、なんとなくあの悪臭の味がする気がして、ロクサーヌは益々顔をしかめた。
「言いましたよね。姫としての品格を落とすようなことはされないようにと。馬糞の中に浸かって来ら
れたのですか? それとも全人類を全滅させることができるような、凶悪な香水の開発でもされている
ので?」
 そこまで言われて自分が臭いことに気付いたのか、クリステリアが自分の手の平やドレスの袖などを
嗅いでいるが、やはり分からないようで首を傾げている。
「そんな匂いがするのかしら? だったらきっとわたくしではなく、ロクサーヌが臭いのよ。もう、女
性なのに、はしたなく放屁でもしたのでしょう。ロクサーヌったら人のせいにして」
 なんですって!!
 そう怒鳴りたいところをグッと堪え、クリステリアに剣を手渡すとその背中を押す。
「さぁ、お時間ですから。王との稽古にいきましょう」
 そうして今にいたるわけだが、着替えればどうにかなるだろうと思ったロクサーヌの考えは甘かった
らしい。
 こうなったら一刻も早く終わらそうと決めたのか、王がスラリと音を立てて剣を抜く。それを見てク
リステリアも剣を抜くと正眼に構える。
「お父様、お手柔らかにお願いいたします」
 それに笑顔を見せた王だったが、自分から向ってくる様子のないクリステリアに、すっと進めた足で
一気に距離をつめると頭上に掲げあげた剣を振り下ろした。
 それを背後にステップをとって避けた姫は、一の太刀で隙ができている脇に向って剣を差し出した。
 だがそれが王の誘い込みであったことを示して、クリステリアの目を見て笑う余裕を見せて王の剣が
姫の剣を打ち払う。
 その勢いに体勢を崩したクリステリアは、その力に逆らわずに前に飛ぶと剣技場の石の床の上を華麗
に前転で王との距離を取り、さっと剣を構えなおした。
 そこにすでに踏み込んできていた王の剣を受け止め、重い剣にグッと歯を食いしばった。
 手加減はしているのだろうが、それでも姫が必ず受け止めると分かっているだけの勢いが乗った一撃
だった。
「なかなか素早い身のこなし。身体バランスも悪くない」
 じりじりと姫の耐久力を試すように体重を乗せる鍔迫り合いをしながら、王がすぐ側にあるクリステ
リアの顔に向って言う。
「お褒めの言葉、嬉しく受け取っておきます」
 目が笑っていなかったが、口の端にだけ笑みを見せて姫が応じる。
 そして次の瞬間に、力の比べあいでは分が悪い姫は攻勢に転じて剣を一気に引くと、身を屈めて王の
腹目掛けて鋭い蹴りをくれる。
 鍛え抜かれた鉄板のような腹は、蹴りごときで屈するものではなかったが、そのまま体勢を崩した王
を、クリステリアは剣を放り出し、服の襟を掴んで引くと自分の体の体重と王の体重を利用して放り投
げたのだ。柔道でいうところの巴投げ。
 その闘う発想が母アンブローシアから譲られた才能だとすると、素早さは父ゆずり。王も投げられた
体の反動をうまく殺すと、すぐに立ち上がって剣を構える。
 それに自分の剣を掴み上げたクリステリアが討ちかかる。
 王の剣と姫の剣が斜めに交差し、キーンと高い音を立てる。
 はぁはぁと肩で息をするクリステリアだったが、元来もつ負けん気が顔を覗かせて、目には闘争本能
が宿っていた。
 それを王は、さすがはアンブローシアの血を受継ぐ娘と感心して眺めていた。
「すばらしい。さすがはエアエリエル王国の王位継承者。すでにわたしがこの座を譲っても十分な力を
備えた」
 思っても見ない言葉を言われたクリステリアは、力を抜くと交わしていた刃を引いた。
「……なにをおっしゃっているのです? 今日はただの剣の稽古に来ただけです。それにお父様には王
としてがんばっていただかないと」
「自分が遊べないと?」
 揶揄して言えば、「まぁ」と目を丸くしたクリステリアが怒った顔で頬を膨らませてみせる。
「いや、本気で言っているのだ。おまえももう十七歳。母の跡をついで正統なエアエリエルの血の王を
迎える時が来たのだ」
 いずれそんな話が出る日も来ることだろうと分かっていたクリステリアが、すっと視線をロクサーヌ
に移すと、王の言葉を肯定するように頷かれる。
 それを見てクリステリアも反論はせず、喜んでではないにしても、王家の娘として生を受けたものと
して、その言葉を受け入れようとした。
 だが次に続いた言葉が悪かった。
「そこでな。おまえの婿を探す見合いをすることにした」
 剣を仕舞いながら笑顔で言った王に、一瞬にしてクリステリアの顔が強張った。
 笑みを浮かべたままであったが、明らかに口元がヒクついている。
「見合いですか?」
「そうだ。各国から王子がおまえに会いたさにこぞって」
 やって来るぞ。と王は続けたかったのだ。だが、その言葉は続けることができなかった。
「あ」と声を上げたロクサーヌの声に振り返った王の脳天に、クリステリアの剣がしまわれた鞘が振り
下ろされたのだった。
「お父様のバカーーーーーー!」
 叫びとともに力一杯に振り下ろされた鞘の直撃に、王の額が割れて血が噴出し、姫はわぁーーーーと
ヒステリックな泣き声を上げて走り去っていく。
 皆が想像していた以上の事態の展開に立ち尽くす。
 そして王の体がバタリと大の字に倒れたところでロクサーヌと王つきの近衛兵が走り寄る。
「王!」
 兵の声にウムと声を上げた王が打ち据えられた額に手を当て、「いたたた」と声を出す。
「わたしとしたことが、娘だからと油断した」
 近衛兵に助けられて上体を起こした王は、「申し訳ありません」と頭を下げるロクサーヌに「よいよ
い」と笑ってから、姫の駆けていった城の方を見やってため息をついた。
「やっぱりダメであろうかな」
 それでもすでに各国に打診してしまったものは取り返しがつかない。
 王と直属の近衛隊長に見つめられ、ロクサーヌは心底困った情けない顔でため息をつく。
「なんとか説得してみます」
 あまりに気の重い仕事に、がっくりと肩がおちたロクサーヌに、王が「済まぬな」と呟くのであった。



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