第一章 鳥かごの中で牙を剥く、美しき姫

     
 小鳥のさえずりが窓の外から響いてくる。その軽やかでいて、騒々しい囁きあいに目を覚ましたクリ ステリアはベッドの中で伸びをした。  クリステリアの動きにあわせてふんわりと揺れるベッドにはピンクのレースが幾重にも重なる天蓋が かかっていた。  厚手で重厚感のあるカーテンに朝日は遮られて、部屋の中はまだ真っ暗ではあったが、その分カーテ ンの模様を透かす様にして室内への侵入を試みている太陽光が美しい。  ベッドから降り立ったクリステリアが無数のビーズが揺れるスリッパに足を通すと、窓辺へと歩いて いく。  さっとカーテンを引けば、目の奥をさすような強い朝日が降り注ぐ。  まだ日が昇ってからそれほど時間が立たない時間だというのに、すでに眼下の庭園では下働きの庭師 や厨房で働くコックたちなどが作業を開始していた。  今日も彼らは広大な庭園の中に咲き乱れるバラの手入れをし、ふんわりと湯気の上がるパンを焼き上 げるのだろう。  薄く白いネグリジェをまとっただけのクリステリアは、朝露を含んだ空気に身震いするとクシュっと くしゃみをする。 「クリステリア様。そのような格好で窓を開け放たれていてはお風邪を召されます」  いつの間に控えていたのか、クリステリア付きの教育係、ロクサーヌが背後でいう。 「あら、ロクサーヌおはよう。わたしが何時に起きようと必ず5分以内に現れるのね」  その可愛らしい容姿に似合わない舌打ちをして再び窓の外に身を乗り出すクリステリアに、ロクサー ヌが眉をピクリと動かす。 「クリステリア様。一国の姫たるとも、舌打ちなどというはしたない行いは謹んでいただきます」 「いいじゃない。今はおまえと二人なのだもの」  まるで舌打ちってなに? と言いたげな無邪気で愛らしい天使のような笑顔で振り返ったクリステリ アが言うと、ロクサーヌに抱きつく。 「せっかく早起きしたんだもの、一緒にお庭をお散歩しましょう」  十分に大人の体付きのクリステリアの体当たりに近い抱擁をうけ、ウッと声を上げそうになるのを堪 えてロクサーヌが抱きとめる。クリステリアの警護も受け持つ騎士の称号をもつロクサーヌの意地だ。 だがだからこそ、そのプライドを知っているクリステリアの意地悪だった。 「もちろんお供させていただきます。お庭にはバラが咲き誇っておりますからね」  しっかり腹に向って入れられた膝を受け流しながら、ロクサーヌが何食わぬ顔で微笑んでクリステリ アの体を反転させて侍女を呼ぶ。 「姫のお召しがえを」  ロクサーヌの声に三人の侍女たちが、湯気をあげる洗面器とタオル、ドレスとアクセサリー、櫛に香 水とそれぞれに銀のトレーに載せて現れる。 「本日もしっかりお化けになりますように」  耳元で囁かれ、クリステリアが侍女たちには極上の姫たる笑みを向けながらチラリとロクサーヌに目 をむけてピクリと眉を跳ね上げる。 「化けなくても十分わたしは美しい」 「ええ。バラのようにね。でも、その鋭い棘はお隠しいただかないと」  毒まで含んだ棘なのだから。  ロクサーヌは胸のうちだけでそう言うと、姫の部屋の重い木の扉を抜けた。 「……全く、困ったものだ。教育係のわたしのせいにされてしまう……」  エアリエル王国の第一王女、クリステリア=オーランド=イスタ=エアリエル。  当代一の美姫と謳われ、エアリエル王国の時期女王。その肖像画は飛ぶように高値で取引されるらし い。  が、そのかわいらしい容貌で覆った腹のうちは………。 「あんな子に育てた覚えはない」  ロクサーヌは額を抱えると、この後の姫とのお散歩に待ち受けているだろう惨事を予感して眩暈すら 感じるのであった。 「今日もいい香りがするわね。こんなに素敵なお庭を作ってくれてありがとう」 「いや、姫さまの美しさにはバラたちも顔を隠しますわい」 「まぁ、冗談を言って」  庭番の爺やと言葉を交わし、ほほほと口元を覆って笑うクリステリアの横で、同じように微笑みを浮 かべながらロクサーヌがちらりとその横顔を盗み見る。  完璧に被ったネコは百匹ではきかないかもしれない。  誰が見ても、かわいらしくてお部屋でお人形遊びをして過ごす、大好きなものは甘いチョコレートと 答えそうな外見だった。  ストロベリーブロンドの長い髪を結い上げた額やうなじには、ついちょっかいを出したくなるような 後れ毛が揺れている。瞳の色は鮮やかなアメジスト。その右目の下には本人もなかなか気に入っている 泣きぼくろが一つ。左の口元にも小さなほくろがあり、そこによく指を当てて首をかしげて考えるのが、 彼女の演技の十八番だ。  アクセサリーもイチゴをあしらったものが大好きで、今も髪や耳でイチゴに見立てたルビーが輝いて いる。  その姫が、一瞬の鋭い目配りで辺りを窺うと、バラの花に顔を寄せて匂いを嗅ぐ振りをしてなにかを 手の中におさめる。 「クリステリア様?」  それをすかさず見咎めたロクサーヌだったが、涼しい顔で振り返ったクリステリアがとってつけたよ うに「まぁ大変」と困った顔をしてみせる。 「……なんですか?」  つい嫌な顔でクリステリアを睨めば、怖いわと身をくねらせて上目遣いでロクサーヌを見る。 「お父様とお約束した朝のお稽古のための剣を忘れてきてしまったの。ロクサーヌもってきて」  何がお稽古だ。どうせしらばっくれて逃げるつもりのくせに。きっと悪さをたくらんでいるに違いな い。  そうは分かっていても、むげにご主人様の命令を退けることもできない。 「剣でしたら、わたくしのをお貸ししましょう」  ロクサーヌが腰に刷いた剣を示せば、クリステリアが首を横に振る。 「ロクサーヌは立派な騎士だもの。その大事な剣を使わせてもらうなんてできないわ。それに、わたく し力がないから、ロクサーヌの剣は重くて振り回せないわ」  それは日頃の鍛錬が足りないからです。  そう言いたいところを抑え、ロクサーヌが物いいたげに姫を睨む。 「なあに? そんな疑わしいものを見るような目をして」  分かっていながらしれッと言うクリステリアが、キラキラした目でロクサーヌを見つめる。  そんなことしてもわたしには通じないことが分かっていながら、白々しい……。  だが確かに王との約束の稽古はあるにはあるし、そのためには剣が必要なのは事実だった。仕方なし とロクサーヌは姫をじっと見つめると駄々っ子を言い聞かせるように、約束ですよと言う。 「城を抜け出そうなどとはなさしませぬよう。それから、厩の馬たちにおかしなものを食べさせてゲリ させないでください。それから、姫らしからぬ行いをして己の品格を落としになりませんように」  言っても無駄だと思いながらも言わずにはいられないロクサーヌの苦労など露知らず、クリステリア は素直で従順な子どもを装って頷く。 「分かっているわ、ロクサーヌ。もう、心配性なんだから。わたくしを愛してくれているからこその忠 告だと思ってちゃんと聞くわ」 「ご自分の言葉には責任を持ってくださいませ」  言ってロクサーヌはクリステリアに頭を下げると、全速力で城の姫の部屋に向って走り出す。 「まぁ、早い。今度馬と競走させようかしら」  クスっと笑ったクリステリアが、手の中に持っていたものを開いて見下ろす。  絹のピンクのハンカチの下で、ブーブーと音を立てているものがいた。 「元気なハチさん。わたくしと遊んでくださいね」  その愛らしいはずの顔にあるアメジストの瞳が、凶悪な光を浮かべて笑っていた。
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