エピソード 2

ゲーム「裁きの天秤」・odor of death

 静まり返った村の中を、陰鬱な闇が覆っていた。
 生い茂った木々が陽を遮るゆえにできる陰ではない、禍々しい闇の濃厚な気配が、村全体を覆ってい
た。
 静けさの中に広がる声なき魔の叫び。
 文字通りのカラスの神経を掻き毟る鳴き声に、兵士らは身をすくませた。
「は! カラスか。脅かしやがる」
 額に冷や汗を浮かべながら、男が言う。
「デニス。怖いなら怖いって言ってみな。新人さんにはちょいと荷が重い任務かもしれないからな。ヘ
リのお迎えを要請してやるから」
「うるせえ、ジュリ。お嬢ちゃんこそ、怖いなら俺の背中に隠れてな」
 二人の緊張を和らげようとする軽口の応酬を、年嵩の兵士が手で制した。
「あの音はなんだ?」
 その声に、三人は周囲の音、一つとして聞き漏らさぬ細心の集中力で聞き耳を立てた。
 風に揺れてドアの蝶番が立てる音。
 カラスの悪声。
 水の滴り。
 そして、何か水を含んだものを叩き潰すような連続した音。
「まるで肉を叩いているような音だな」
「それもかなり、血の滴るフレッシュさ」
 デニスとジュリの軽口に、年嵩の兵士が音の方を見に行けと合図を出す。
 ジュリも、デニスに銃と顎で先に行けと合図を出せば、嫌そうに眉を寄せて肩をすくめてみせたもの
の、仕方なしと歩き出す。
 そのあとに続いたジュリも、心なしか緊張して硬くなっていた肩を回すと、ライフルを構えた。
 音の発生源は古びた木造の平屋建ての裏手からだった。
 かつては真っ白に塗られていた壁も床板も、ペンキが剥げて乾ききった皮膚のようにささくれ、何枚
かの床板は無惨に砕けていた。
 ドアの上の電球も砕かれ、破片をその下に散らばらせている。
 そのドアが風に揺れてブキミな喘鳴ににた音を立てる。
 デニスがジュリに合図を送り、建物の横へと入っていった。
 丈高く繁った雑草を踏み分け進んでいく。
 一歩、また一歩と進むにつれて、あの肉を叩く音はよりリアルになり、嫌な想像を掻き立てた。
 その音に混じって、明らかに人間のものである唸り声が聞こえた。
「デニス」
 小声で囁けば、わずかに振り向いて頷き、すぐに発砲できる体勢でマシンガンを構えた。
 家の裏手に回りこむ手前で、大きな木の幹の裏に身を潜め、二人は音の元へと目を走らせた。
 そこには一人の男が立っていた。
 その男が手にしているのは斧。
 その斧が振り上げられる度に、周囲に何かが飛び散った。
 斧の刃が、地面に横たえられたものに突き立てられる。
「…!」
 そのものの正体に気付いた瞬間、デニスが口を手で覆った。
 元人間であろうものが、地面で粉砕されていた。

 すでに疲れきって斧を振るう力が入らずによろけながらも、男はその死絶えた男の体に斧を突き入れ
ていた。
 ジュリの横で、デニスが思わず嘔吐した。
 その音に、男が二人の存在に気付いて後ろを振り返った。
 血走った目に、隈の浮いたどす黒い顔。恐怖に引きつった顔と真っ赤に染まった口。
 その口が、あらん限りの恐怖を形にした悲鳴を上げた。
 男が二人に向かって斧を振り上げ、走り出す。
「デニス!」
 ジュリアは背後で無防備に背中を丸めた男を足でけり倒すと、立ち向かってくる男に銃口を向けた。
「止まれ!!」
 ジュリが警告の声を発する。
 だが男の足はもつれながらも止まることはなかった。
「化け物は出て行け!!」
 男の口から叫びが上がる。
 化け物?
 ジュリはぎりぎりまで引き金を引かなかった。
 だが斧が振り下ろされる前に、男の足に向かって発砲した。
 男が悲鳴を上げて枯れ草の中に倒れこみ、打たれた足を見て、さらに悲鳴を上げた。
「あ、足が、足が食われる。や、やめてくれ、おまえはもう死んだんだろう? どうして俺の足を食う
んだ?」
 男は恐慌に包まれた見開いた目で、ジュリではない何かに向かって訴えていた。
 ジュリは男の背後へと足を進めた。
 その足音に男がよだれを垂らした顔を向けて叫ぶ。
「どこだ? 姿を現せ!」
 男の目は、ジュリを見ていながら、何も映してはいないようだった。
 そのときだった、ジュリはデニス意外の気配を感じて銃口を構え直した。
「誰?」
 その声に、草の中に座り込んでいた一人の少女が立ち上がった。
 正常な瞳の色で、怯えた様子で両手を上げて立ち上がる。
「村の子?」
 その問に、女の子が頷く。そして言った。
「殺してあげて。叔父さんはもう、助からないから」
 女の子の目が、足を打ちぬかれてわめき声を上げる男に注がれていた。
「解放してあげて」
 ジュリアは銃口を女の子からそらすと、男に目をむけた。
 狂気に取り付かれて苦しむ姿が、そこにはあった。
 地面に転がっていた斧に気付いて再び振り回し、そのたびに自らの体を傷つけていた。
「うわ〜!! 来るな。俺によるなーー!!」
 哀れに泣きじゃくり、痛みにもだえる男にジュリアは銃口を向け、引き金を引いた。



 女の子の案内で、彼女の隠れ家に三人は入っていった。
 元は馬小屋だったのだろう、藁の積まれた小屋の隅に、女の子は座り込む。
 水の入った樽と、わずかばかりのリンゴや硬くなったパンが床に転がっていた。
「名前は?」
 女の子の隣りに座り込みながら、ジュリが尋ねた。
「アリッサ」
「アリッサね。わたしはジュリよ」
 大きな図体の男たちは、小屋の入り口に立つと、外を見張って立っていた。
 その男たちにアリッサが目を向けていた。
「あの人たちも味方よ。アリッサを助けるために来たの。怖い顔はしてるけどね」
「おい!」
 ジュリの冗談に、デニスが声を上げる。
 だがアリッサはそうじゃない? というように首を横に振る。
「見張っていてもしょうがないわ。残っている人はほとんどいないし、生き残りはこの時間は外にでな
いから」
 大人びた、あるいは全てに絶望した静かな声で、アリッサが言った。
 ジュリはアリッサの手をとると、ギュッと握った。
 小さいが温かい手だった。
「アリッサ。いったい何があったの? 話くれる?」
 アリッサはうなずいた。だが不意に立ち上がって二人の男の前に近づくと、僅かに開けてみていた窓
やドアを閉めた。そしてドアの隙間に藁を詰め始める。
 小さな体で必死に続けるその作業を、大人たち三人が声を出さずに見守っていた。
「なぜ、藁をつめるの?」
「おじさんみたいになりたくないからよ」
 少女は立ち上がって手を払うと、ジュリの前に戻った。
「始まりは、村長が持ち込んだ一つの花の苗だった」




「麻薬?」
 アリッサの話に、ジュリが背後に立つ年嵩の兵を見上げた。
「恐らくそうだろう」
「村長は金になるから、村で大々的に育てようってお父さんと話してた」
「それってどんな花なの?」
 ジュリの問いに、アリッサは森の中を示した。
「見なかった? 森の中一面に咲いている赤い花」
 ジュリと老齢の男が顔を見合わせた。
「あの禍々しいまでに血の色に似た花か」
 デニスが吐き捨てるように言うと、窓の外を見た。
 暗闇に落ちた村の中は閑散とし、誰一人通らない廃墟の様相を呈していた。
「最初は、何の変化もなかった。でも数ヶ月後から、何人か、栽培の途中で体の具合が悪くなるってい
いだしたの。匂いが強い花だからだとみんな思ってたみたい。それが、段々そういう人が増え始めて、
中には全く口をきかない人まで出始めたの。そしてある日、そのうちの一人が作業中に、花を狂ったよ
うに食べ始めた」
「花を?」
 怪訝な顔で眉間に皺を寄せたジュリに、アリッサがうなずいた。
「口を真っ赤に染めて、まるで血が口から溢れているみたいだったって。異様な光景にみんな止めるこ
とも出来なかったって言ってた。それから数日後に、村で殺人事件が起きた」
 アリッサは自分の肩を抱きしめると、床の上で小さくなった。
「朝起きたら、村中が血の匂いで満ちてた。広場には人の体の一部が転がって、井戸の中に体を突っ込
んだ男の人には、頭がついてなかった」
「犯人は?」
 アリッサは頭を左右に振る。
「犯人なんて、探せる状態じゃなかった。だって、生き残っていたのは、子どもと農作業に当っていな
かったごく一部の大人たちだけ。さっき死んだ叔父さんだって、村役場に勤めていたから、助かっただ
けで」
「花の栽培に携わっていた人間が、全滅したってこと?」
 ジュリに、アリッサが真剣な目でうなずいた。
「ずっと変だった。お父さんもお母さんも。急に何もない空見上げて、きれいな蝶が飛んでいるってい
ってみたり、虫に食われて腕がはれてるっていって、なんともない腕を掻き続けて血だらけにしたり」
「え?」
 その話に、デニスが不意に声を上げた。
「どうした?」
 ジュリの声に、だがデニスの目は空中を彷徨っていた。
「……蝶が……小屋の中を舞っている。黒い蝶が。もしかして、おまえには見えてないのか?」
 デニスの視線の先には何もない。
「……」
 その沈黙に、デニスが目を見開いてジュリを見た。
「おい、まさか」
「甘い匂いを嗅がなかった?」
 重苦しい二人の間の沈黙に、アリッサが口を開いた。
「ああ。さっき窓辺で風にのって」
「…感染したかもしれない」
 アリッサのはっきりとした物言いのあとを、沈黙だけが続いた。
「まさかかおりだけで…」
 その時だった、不意に背後に立っていた年嵩の男が叫んだ。
「あああああ!!! 腕が!! 腕から虫が!!」
 ジュリの目の前にある太い逞しい腕には、何の異変も無かった。
 だが男は恐怖に取り付かれた目で腕にたかる何かを叩き落していた。
「ああ!! デニス、取ってくれくれ、腕が食い破られる!!」
 だが、デニスも理解できない顔でジュリを見やるばかりだった。
 アリッサもジュリの背中に抱きつき、男の様子を見ていた。
 男は腰のアーミーナイフを取り出すと、自分の腕に当てた。
「止めろ!」
 デニスが飛び掛ってその腕を掴んだ。
 だが男はデニスの姿も目に入らない様子で腕を振り回し、鋭い刃を腕に当てる。
「早くしないと、もう奴らが腕の付け根にまで入り込んでる。もう、切り落とすしかない!!」
 血走った目で叫ぶ男が、デニスを突き飛ばすと、一気にナイフを自分の腕につきたてた。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
 アリッサムが悲鳴をあげ、ジュリとデニスが後退った。
 うめき声を上げながら、男が自分の肘から下を切断していく。
 断ち切られた動脈から血がふきだし、壁や床に血を撒き散らしていく。
「ああ…あ……ダメだ。間に合わない、虫が頭に!!」
 そう言った直後に、男の目が反転し、白目を向いた。
 そのまま自分の作った血だまりの中に倒れこむ。
「失血で気絶したんだ。今のうちに手当てを」
 デニスが駆け寄った。
 だがそれをアリッサが止めた。
「ダメ! 触ったらダメ」
 アリッサはデニスの服の裾を引いて止めた。
「彼の血に触らないで!」
「どうして?!」
 大きな声にびくっと体を縮めたアリッサだったが、デニスの服をつかむ手は離さなかった。
「あなたならまだ助かるかもしれない。でも、あの感染者の血に触れたら、たぶん助からない」
 そう言い争っている間に、男は意識を取り戻して血の海の中で蠢きはじめた。
 その手が自分の手から落ちたナイフに向かって伸びていた。
「頭に入られる…頭に…頭に…」
 ジュリは部屋の中を見回した。
 そして部屋の後方に、屋根裏へと続くはしごがあるのに気付いた。
「上へ登って!」
 ジュリは叫ぶと、アリッサを抱えて走り出した。
「なんでだよ! おい!!」
 叫びながらも続くデニスに、はしごを先の登らせ、ジュリは後ろを振り返った。
 男が床の血だまりを這いながら、ナイフを手にする。
 そのナイフが、震える手でゆらゆらと首まで運ばれていく。
「ジュリ!」
 名前を呼ばれて、ジュリははしごを上り始めた。
 はしごの一番上の段に足を掛け、手を伸ばしてくれたデニスの腕を掴む。
 その瞬間だった。
 頚動脈を掻ききった男の首から、間欠泉のように血がふき出した。
 天井や壁に血をふきかけながら、男が絶命していく。
「みんな幻覚にとり憑かれて、自分を殺したり、人を殺したり、何かに怯えて狂っていく」
 アリッサの言葉を聞きながら、ジュリはふと視界の端を過ぎったものに、ハッとした。
 黒い蝶が一匹、場違いなほど優雅に舞っていた。
「蝶が…」
 デニスも同じものを見てつぶやく。
 そのデニスの目とジュリの目が合う。
 ともに感染だ。
 かすかに震える手を感じながら、ジュリはアリッサを見た。
「クスリが村長の家にあるの。でも、あの家には鍵がかかってる」
 怯えた目のアリッサを、ジュリは手を掴んで立ち上がらせた。
「村長の家に連れて行って」
 アリッサがうなずく。
 だがその目が屋根裏の窓の外を見ながら、怯えた光でゆれていた。
「夜には、殺人者が村をさまよう」
 夜空に架かった月を、暗雲が覆い隠していった。





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