第二章 ニューワールド



 密林の中でしゃがみ込み、印をつけてエリアごとに区切ったなかの植物を採取していく。
 薬液を入れたバイオチューブの中に花粉を落とし、キャリーバックの中に並べていく。
 熱帯雨林の気候区分にあたる蒸し暑い森の中での作業に、ジャスティスは首に巻いたタオルで汗を拭
い、立ち上がると腰を伸ばした。
 キャーリーバックの中に並んだバイオチューブの栓が、容量の半分ほどまで並んでいた。
「今日も大猟だ」
 あたり一面に茂る見たこともないような植物群を、ジャスティスは期待を込めて見つめた。
 世界にあると知られる植物の種類は25万種にも及ぶ。
 そして現在米国で医師が処方する薬の半数以上が、この植物をから抽出したものである。
 よく知られる植物では花壇を飾る日日草が、小児白血病に用いられているが、日日草の白血球の生産
を低下させ、免疫機構を抑制する働きを研究した結果得られたクスリである。
 また有名なコカインも、現地住民が空腹と疲労感を和らげるものとしてコカの葉をかんでいたことか
ら、コカイン分子の分離構造の一部を修正することで、麻酔薬として用いられるようになった。
 植物が生産する化学物質は、想像以上に複雑で、様々な可能性を秘めている。
 だが、その植物が、無思慮な伐採によって絶滅を繰り返している。
 植物が絶滅することは、イコール、ある種の病気に対する特効薬となりうる植物の消滅でもあった。
 その状況を愁いたカルロスが考え出したのが、このバーチャルリアリティーの地球【NW】ニューワ
ールドの創造だった。
 だが当初失敗を繰り返していた計画が、ある時期をもって進展を始めた。
 カルロスの気まぐれでスイレイに貸し与えていた領域で、子どもたちの作った〈エデン〉が、二人の
思い描いていた世界が実現していたのだ。
 ただちにカルロスは〈エデン〉の構造をコピーし、それをニューワールドに反映させた。
 そして、そこ時からこの植物の標本集めがはじまったのである。
「それにしても、よくもこんなに草や木が生えたもんだ」
 現実の世界では経験したこともないほど多種多様な植物の中に埋もれながら、ジャスティスが呟く。
 この全てを採取していこうというのだから、気の遠くなるような作業ではあったが、地道に作業する
ことが性にあっているのか、ジャスティスには楽しい仕事であった。
「それにしても、熱い」
 頭上を飛び越えていく大きなとんぼを避けながら、ジャスティスはキャリーバックに並んだバイオチ
ューブを眺めた。
「うん。だいぶ採取できたな。一休みするか」
 ジャスティスは耳にいれたイヤホンと通信のためのマイクをONにして、現実世界で自分の動きを観
察しているであろうカルロスに呼びかけた。
「カルロス」
「……」 
 だが返って来る返答はなかった。
 その代わりに聞こえてきた鈍い音に、ジャスティスは舌打ちした。
「いびきかいて寝てるよ」
 ずいぶんな所長さまだ。
 ジャスティスは苦笑とともに天に向かって中指を立てる。
「俺は休むからな。おまえもちゃんと仕事しろ!」
 ジャスティスは子どものように足元の草を荒っぽく踏み散らかしながら、森の奥へと入っていく。
 レーダーで確かめても、この辺り一帯に猛獣などの動物の気配はなかった。
 点在する猿の群れがあるらしいが、鳴き声は聞けどもその姿を見たことは今まで一度もなかった。
 ジャスティスは草の中から突然飛び出してきた虫に悲鳴を上げては、一人で笑い声をあげ歩き続けた。
 そして目当ての泉にたどりつくと、靴と靴下を脱ぎ捨て、水の中へと走りこんでいった。
 冷たい水が火照った体に染み渡り、清涼感が体を突き抜ける。
 水をすくい上げて口に含めば、甘い冷水に歯が染みるほどだった。
 誰もいない、緑の空気に染まった森の中の泉が、ジャスティスのみつけたお気に入りのポイントにな
っていた。
 足を水につけたまま湖のふちに腰をかけ、そのまま草の生い茂った地面に横になる。
 少し湿った草と地面に、自然の匂いが立ち上る。
 少年時代に戻ったようだった。
 視界の先にあるのは、信じられないほど高く繁った巨木のこずえと、その向こうにある青い空。
 繁った葉の隙間から射す光は、無数の煌きとなってジャスティスの目に映る。
「どっかのリゾートにいそいそ出かけるよりも、よっぽど気持ちいよ」
 この大地と一体になるように体を伸ばしたジャスティスは、ゆっくりと目を閉じた。
 その顔の上を大きな美しい羽を持った二匹の蝶が優雅に舞っていく。
 その時だった。
 ジャスティスはポケットして大きな振動に跳ね起きた。
「何だ?」
 ポケットに手を入れて確かめれば、それは着信を知らせる携帯電話だった。
「あ、出してくるの忘れてた」
 カルロスと定めた規則として、【NW】へは研究に必要と見なされるもの以外の現代機器の持ち込み
を禁じていた。
 いつ何が元となって、環境破壊が起こるのか分からないからだ。
 たとえ持ち込んでも、必ず回収することが規則だった。
 当然携帯電話の持込も禁であった。
 ジャスティスはそっと天を仰ぎ、まだカルロスが寝ていることを願った。
「それにしても、誰だよ」
 ジャスティスは携帯を開くと、送られてきたメールを読んだ。
 そして送られてきていた2通のメールに苦笑した。
 ジャスティスの研究助手のカイルからのものだった。
 カイルとは研究よりも、ゲームの話で盛り上がる同士だった。



Subject やりましたよ!



 副所長さま、やりましたよ、ぼくは。
『裁きの天秤』クリアしました。
 これから待ちに待ったエンディングです。
 お先にジュリの美しいお姿とその後を拝見させていただきます。



Subject なんと!!



 スゴイです。なんとぼくが『裁きの天秤』クリア、第一号だというではないですか。
 そして、そんなぼくにジュリからプレゼントがあったんです。
 あのゲームの中心となっていた赤い花のDNA抽出コードです。
 なんてすごいんでしょう。ゲームの世界と現実の世界がクロスするようなこの興奮。
 ありがとう! ジュリ 




「あいつめ、やりやがったな」
 いやにテンションの高いメールの文章を読みながら、ジャスティスはカイルの顔を思い浮かべた。
 帰ったらすぐに報告したくてうずうずした顔で寄って来るに違いない。
 だが、同時にジャスティスはそのメールに違和感を覚えた。
 プレゼントがDNA抽出コードとは、凝り過ぎている気がしたのだ。
 そんなもの一般人が受け取っても、どうすることもできないのだから。
「こりゃ、このゲームの製作者は研究所の人間ってことか?」
 ジャスティスは水から足を上げると、にやりと笑った。
「ぜひともそいつには名乗りを上げてもらって、研究所をやめてもらわないとな」
 そう言って靴を履いて森に入りながら、ジャスティスが宣言する。
「そいつにはもっとゲーム作りに専念してもらわないと」
 ジャスティスは自分の冗談に自分で笑いながら、もう一がんばりと歩いていく。
 そのジャスティスの去ったあとの泉の上を、たゆたっていた陽の光が一陣の風に揺れ動く。
 そして鏡のように澄んだ水面に、辺りの景色を克明に映し出す。
 そこには火のように燃える赤い花が映っていた。






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