第六章  分かたれた二つの世界


1

 ペルは不恰好なカゴを手に取る。
 そしてそのカゴの中に摘んでは入れていくのは綿の花。
「わたし、綿花って初めて見た。花の中から本当に綿が出てくるんだね。びっくりだよ」
 一面の綿花畑の中でせっせと仕事をするペルとはうって変わり、イサドラは綿花の咲き乱れた一角の
向こうで、草の上に腹ばいになってファッション紙を眺めていた。
「イサドラ、手伝ってよ〜」
 お願いだからと笑顔で丁重に言っては見たものの、チラっと顔を上げてペルを見ただけで雑誌に目を
戻してしまうイサドラだった。
 全く、こんなところはジュリアにそっくりなんだから!
 ペルは内心でそう判断を下すと、仕方なしと一人仕事に専念する。
「ペル、生地を作りたいならさ、蚕とかも飼ったほうがいいんじゃないの?」
「か、蚕?」
 絹の布地を作るには、蚕のつくる繭が必要だ。
 実はペルも考えていたことだった。
 光沢のある生地は憧れだ。絹のサシェやクッションを並べてみたいという希望もあった。
 だがそれにはペルの虫嫌いがネックだった。
 あのモゴモゴと動く太いイモムシが、ペルにはとても好きになれるとは思えなかった。
 じっと思案する風を装うペルをイサドラが見つめていた。
「いいよ。絹は、扱いが難しいものだし、わたしには綿がお似合いよ」
 わざとらしくハハハと笑えば、語尾が小さく消えていく。
「ペルがそれでいいなら、別はわたしはいいけどさ」
 そして再び雑誌に目を落とすと、イサドラがペルに言った。
「ねえ、今日の服、これなんてどう?」
「え?」
 屈めていた腰を伸ばしながらペルが振り返る。
 すると指先を動かしながら空中に一揃いの服の像を描き出すイサドラ。
 真っ白な絹のノースリーブのブラウスと、ウォッシュ加工が施されたジーンス生地の紫色のミニスカ
ート。
「かっこいいでしょ?」
「……うん。でも、誰が着るの?」
「……ペルに決まってるじゃん。何言ってるの」
 ペルが歓声を上げてくれることを期待していたイサドラは、憮然とした顔で野原のあぐらをかく。
「それは、ジュリアが着たら似合いそうだけどさ、わたしは」
「それは思い込み!」
 小さい声でもじもじと言うペルに、イサドラが一喝する。
「ペルは自分がかわいくないし、地味でないといけないと思ってるでしょ。でもそれは間違いです。は
っきりいいます。あなたは間違っている!」
 指さしで言われ、ペルは思わず後退さる。
「ペルはかわいいし、ぜったいこの服だって似合う。イサドラを信じなさい!」
 そう言ってすぐさま映像でしかなかった服を実体化させる。
 それを手の中に受け取りながら、ペルに向かって差し出す。
「あと1時間半でスイレイが来るよ。いくらスイレイを射止めたからって気を抜いちゃダメなんだから
ね」
 その一言で真っ赤に顔を染めながら、ペルは綿花の中をざあざあと音を立てて歩いてくる。
 そのペルの現在の格好は、最初に〈エデン〉のジャック・インしたときのピンクのTシャツと白いス
カートだった。それにタオルを頭に被った農業スタイル。それもここ1週間の間に随分と汚れてきてい
た。
 服を手にしてペルは上目遣いでイサドラを見上げる。
「スイレイには、まだばれたくないんでしょ? 〈エデン〉に居続けているって」
 ペルはこくんと頷く。
「だったら着替えておいでよ。それに、今川で水浴びに行くと、もれなくクラウドがついて来ます」
「クラウドが?」
「うん。今、川で魚取りしてるし」
 クラウドと聞いて顔を輝かせるペルに、イサドラが苦笑する。
 スイレイとクラウドどっちが好きなんだよ。
 そう質問したいところだったが、ペルは真剣に悩みそうなので、胸のうちに止めた。
 ペルは綿花を摘んだ籠をイサドラの押し付けると、川の方向を指差した。
「あっちでいいんだよね?」
「そうだよ」
 ペルは意気揚揚と歩き始める。
 その歩みを止めると、イサドラへと振り返った。
「イサドラ」
「……?」
 カゴを手に立ち上がったイサドラが、小首を傾げる。
「ありがとうね。わたし、イサドラがいなかったら何もできなかった。ここに居ることも、スイレイに
本心を伝えることも」
 イサドラが静かに微笑む。
「いいってことよ」
 イサドラが「おまけ」と付け加えて何かを投げてよこした。
 それを危うい手付きでキャッチしたペルは、目にしたものに微笑んだ。
 トルコ石のついた銀細工の髪留め。
「服は今日一日でまた消すよ。でも髪留めはペルに上げる。それ、わたしが作ったんだし」
「イサドラが?」
 ペルが素直にスゴイ、スゴイ! と両手を叩いて褒める。
「ありがとう。大事に使うからね」
「うん」
 二人は手を振ると、〈エデン〉の草原の中を別れて歩いていった。



 背後の席から携帯のバイブの音が机に伝わって聞こえた。
 ガタっと音を立てて席を立って行く様子を感じつつ、スイレイは内心でその行為にため息をついてい
た。
 授業を真面目に受けない生徒が教室の中でも大半を占めていた。
 というよりも、真面目に受けている生徒の方が少数であるうえに、そんな生徒を変わり者扱いする傾
向があるのも事実だった。
 スイレイが教室の時計を見上げる。
 あとほんの十数分で授業も終わる。そこまで電話なんて待てばいいものを。
 だがそう人を批判しながらも、自分のとっているノートの文字数がいつもよりも少ないことに心のう
ちで苦笑する。
 授業に身が入っていないのは自分も同じだった。
 時間が気になって仕方がない。学校や日常の雑事に奪われる時間以外は、なんとしてもペルと過ごす
時間に当てたかった。
 だが現実の世界では依然として実の兄妹だという障壁があるのだから、人に気取られるような付き合
いをするわけにはいかない。
 あくまでペルとスイレイの関係は、〈エデン〉というバーチャルの世界限定の関係なのだ。
 限度を設けないと、現実を忘れてバーチャルの世界でのペルとの恋に全てを捧げ、盲目的に行動して
しまいそうだった。
 だからこそ自分たちで決めた〈エデン〉での逢瀬の時間が、身を焦がすほどに待ち焦がれる時間だっ
た。
 これではいけないと自分を戒め、ノートを取ろうとペンを持ち直したときだった。
 ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴り出した。
 もちろんバイブにしてはいたが、しつこくなり続けるそれは、なかなか切れる気配がなかった。
 スイレイはそっとポケットから携帯を取り出すと、液晶を見た。
 そしてそこにあるローズマリーからの着信であることを知らせる文字に、眉間に皺を寄せた。
 携帯のメモリーには入ってはいたが、一度として電話が掛かって来た事はなかった。
 すでに20コールは超えているだろうが、決して途絶えることなく続く振動に、スイレイは何かの予
感に突き動かされるように席を立った。
 授業中の教授とも目が合うが、頭を下げて廊下に出る。
 そこで電話に出たスイレイに向けられた第一声は、ローズマリーの冷ややかな罵倒だった。



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