第四章  掛け違えたボタンは永遠に…… 





 チャイムにドアを開けたローズマリーが、スイレイとバスタオルに覆われた娘の姿に怪訝な顔をした
が、何を言うでもなく二人を家の中に招き入れた。
「ペルの部屋は?」
「こっちよ」
 ペルを抱えたまま言うスイレイに、ローズマリーは先に立って廊下を行くと、ペルの部屋のドアを開
けた。
 そしてペルのベットの上から上掛けをはぎ取ってペルを横たえるのを手伝った。
 完全に脱力してベットに寝かされたペルの顔からタオルが外すと、泣きながら眠ったペルの顔が現れ
た。
「ずいぶんやつれましたね」
「……」
 二人で並んでペルを見下ろしながら、沈黙した。
 青白くなった顔によく見れば隈も浮いていた。
 ペルのチャーミングポイントであった血色の良いふっくらとした頬が、どこかくすんで張りを失って
いた。
 その頬に幾筋もの涙の痕が残っていた。
「何があったの?」
 わずかばかりの非難の色を滲ませたローズマリーの声に、スイレイは隣りに立つ彼女の顔を険しい顔
で睨みつけた。
「それはこちらの台詞だ。過去にぼくたちに何をした」
「何って? カルロスとの情事の一部始終を話せと?」
「……そんな言い方でぼくを煙に巻こうとしても無駄だ。ぼくとペルは自然にできた子どもではありえ
ない」
 断定的に言い切ったスイレイの言いように、ローズマリーはピクリと眉を動かした。
 だが何一つ答えようとはしなかった。
「ぼくはDNAを分析したんだ。ぼくとペルのを。そしたらどうだ。ほとんど重複が無い箇所がないほ
どのDNAの一致だ。まるで一卵性双生児かと思うほどに」
「あなたのその実験の手技に問題があったのよ」
 一流の生殖技師であるローズマリーは見下したように目を細めてスイレイを見た。
 その視線を正面から受け止め、スイレイは感情に訴えかけて話しを決裂させようとするローズマリー
の手法にのってなるものかと気持ちを落ち着けた。
「そうかもしれない。だったら、ジャスティスさんにでも正式に鑑定を申し込みますよ」
「そう。勝手にどうそ」
 ローズマリーは別に問題はないという態度で肩をすくめて見せる。
「……あなたは、ペルをどう思っているのですか?」
「わたしの娘よ」
「そんな事実を聞いているわけじゃない。あなたの気持ちだ。ペルを娘として愛しているのかってこと
だ」
 真剣に問い詰めるスイレイに、ローズマリーは突如笑い声を上げた。
「ずいぶんペルのこととなると熱心ね。しかもレイリの話だと、ずいぶん落ち込んでいたそうじゃない。
食事も取れなくなるくらいに。なにがそんなにショックなのかしら?
 自分の父親が母親以外を抱いてたという事実? 
 あまちゃんで大事な坊っちゃんとして育ったスイレイには受け入れがたい薄汚れた世界でしょうよ。
でも人間誰でも三大欲としてもってるのよ。眠くなる、お腹がすくのと同じでSEXだって誰でもした
くなるものよ。
 男のあなたにだってまともなら性衝動はあるでしょう?」
 妖艶ともいえる笑みを浮かべてローズマリーがスイレイを見る。
 嫌悪感が喉の奥からこみ上げる。
 もちろんスイレイも青臭いことを言うつもりはなかった。性は子どもをもうけるためだけの行為では
ない。愛の行為だ。
 だがローズマリーの口から出る言葉は愛には基づかない、ただの欲望としての話であった。まるで動
物だ。いや動物以下だ。
 SEXが汚れているのではない。ローズマリーが汚れているのだ。
「お坊ちゃま、反論は?」
 挑発してくるローズマリーにスイレイは口を閉ざしたまま、だが視線だけはローズマリーを捕らえて
いた。
 ローズマリーはペルの傍らに腰を下ろすと、頬の涙を指で拭った。
「汚れなき純真な乙女ね、ペルは」
 そこで視線だけでスイレイを見上げたローズマリーが口の端に笑みを乗せる。
「だから手は出せなかった。もっと早く抱いておけばよかったわね。頭の硬いスイレイでは近親相姦な
んて禁忌は犯せないだろうからね」
「あ……あんたは……」
 スイレイは胸の内に吹き荒れた暴風に理性が崩れ去ろうとしているのを感じた。
 怒りのためか、それとも痛みのためか目の前が真っ赤に染まる。
「ぼくとペルがどういう関係にあるかを知っていて、放置したのか?」
「恋人関係に成りつつあったって?」
 ローズマリーが嘲笑う。
「かわいらしい付き合いだったわよね。二人でサイクリングして、サクランボの指輪だったかしら?」
「なんで……」
 愕然とするスイレイに、ローズマリーはペルの机の上を示した。
 そこに置かれた日記帳に気付く。
「日記を読んだのか?」
「だってペルってば何も話してくれないくせに怒ってばかりいるから。何が起こったのか把握するのが
母の務めだと思ってね」
 全てを馬鹿にしくさった態度で言うローズマリーに、スイレイは歩み寄った。
「あんたのせいで、ぼくたちがどれだけ苦しんだと思ってるんだ」
「だからどうして苦しむのよ。別にわたしは二人に別れろなんて言ってないわ。さっきから言ってるじ
ゃない。抱きたきゃ抱きなさいよ。今すぐにだって構わないわよ。邪魔はしないわ。音も聞かれたくな
いってなら外に出て行ってあげるわよ。協力するわよ。スイレイ、あなたの倫理が許すならね」
 話が通じない。
 スイレイは初めて経験する感覚に苛立った。
 どうして同じ言葉を話しているのに、同じ人間なのに話が通じないんだ。
 まるで異なる文化の宇宙人と話している気分だった。
「そんなことをして、ペルがそのあとどれだけ傷つくのか分かってるのか?」
「ペルが傷つく? もう存分に傷ついてるでしょ? スイレイに愛されたくてたまらないのに、それを
無理に押さえ込むから破裂する思いに心が血を流すのでしょ? だったら抑えなきゃいい」
「そうじゃない。ぼくとペルは兄妹なんだ。これは普通の恋愛として片付けられる問題じゃない。ぼく
たちのDNAに刻まれた禁忌だ。一緒に暮らしてきた家族が性的対象になることはないんだ。そこには
もっと違う絆があって」
「でもあなたたちが一緒に暮らしていたのなんて、ほんの5年にも満たない期間じゃない。本当の意味
での家族とは言えないわ」
「そんな事態を招き寄せたはあんただ! たとえ感情的に兄と妹ではないとしても、その壁は越えては
いけないんだ。じゃあ聞くがあんたは弟のジャスティスに欲情できるのか?」
「……」
 その一言でローズマリーは口を閉ざした。
 どんなに理論を振り回しても、実の兄弟の間では性行為をするべからずという、生まれついて埋め込
まれた良心がゆるしはしない法律を持っているのだ。
「普通は、兄妹は惹きあう事がない。遺伝子が重複することを遺伝子自体が嫌うから。より異なる型の
人間同士のほうが、まるで遺伝子の命令に従って恋に落ちるのかのように一目ぼれしたりする」
 ポツリと口を開いたローズマリーに、スイレイが眉間に皺を寄せた。
「あなたたちはほとんどの遺伝子が同一。でもある部分に改良が加えられた。お互いに引き合う存在と
なるようにね」
「……ぼくたちが操作された命だと認めるのか?」
「……自分でたしかめたのでしょ?」
 ローズマリーはスイレイから目を逸らすと、ペルを見下ろした。
 だがそこに母親としての慈愛に満ちたものはなかった。
「あなたにとってペルは何なんだ? 娘か? それとも実験動物か?」
 スイレイは最後の頼みの綱に頼るように言った。
 どんな過去があろうが、自分が産んだ娘をかわいく思わない母親はいないと信じて。
 だがローズマリーはそんな願いを露わにしたスイレイに嘲りの目を向ける。
「母親はどんな母親も子どもを愛さなければならないなんてことはない。子を愛さない親もいれば、親
を愛さない子どももいる」
 ローズマリーがペルを見下ろす。
「ペルは、わたしの作り上げた最高傑作。それ以上でもそれ以下でもない」
 とどめのように吐かれた言葉に、スイレイは頭を殴られたような衝撃を受け冷や汗を流した。
 そして目の前のローズマリーの胸元を掴み上げると、殴りたい衝動と闘った。
 女を殴るなんてできない。
 でも、目の前にいるのは自分と愛したペルの命を弄んだ女なのだ。自分たちが放っておけば遠からず
男と女の関係になることを知っていながら、それを阻止しようともせずに、返って観察していた女。
「ペルは……母親の愛情さえも持てずに……それなのにもまた、ぼくとも引き離されて」
 胸元を掴み上げられても、ローズマリーの冷淡な態度は変わらなかった。
「愛情なんて不安定なものに頼って生きるほうが馬鹿げている。勝手にそんなものを求められても迷惑
よ」
 頭にカッと血が上る。
 平手がローズマリーの頬に向けられた。
「止めて!」
 だが、その手を止めるようにペルが叫んだ。
 目を醒まして一部始終を聞いていた蒼白な顔が、怒気を露わにするスイレイと冷酷な魔女の表情のロ
ーズマリーを見つめていた。
「もう、止めて。知ってるから。わたしが誰からも愛されていないことは知っているから。もう、これ
以上その事実をわたしの目の前に晒さないで」
 震える唇が紫色に染まり、涙さえも流れない無表情がペルの顔に張り付いていた。
「お願い出て行って」
 全て自分を害するものから身を守ろうとするように自分の前に掛け布団をかき寄せると抱きしめた。
「出て行って」
「ペル」
 手を伸ばしたスイレイにも、ペルは体を竦め、壁に背中を押し付けて後退った。
 ローズマリーが無言のうちに部屋を去る。
 そしてスイレイは、傷ついた表情でペルを見つめていたが、身を切るようにして手を下ろすと、ペル
の前から姿を消した。
 スイレイには、もうペルの心は見えなかった。


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