第四章  掛け違えたボタンは永遠に…… 




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 ベットに寝転んだまま、ペルは声もなく泣きつづけていた。
 もう自分がなぜ泣いているのかも理解できなかった。
 ただ体のど真ん中に大きな穴が空き、そこを通り過ぎる冷たい風が痛くて仕方がないのだった。
 頭の中には、ローズマリーとスイレイの言い争いの言葉が渦巻いていた。
 お互いに惹き合う存在になるように、遺伝子に改良が加えられていた。
 だとしたら、この世に生を受けた理由が普通と異なるのだ。
 幸せな人生を送る一人の人間として生まれ落ちたのではなく、実験動物として、望んだ形で生きるこ
とだけを求められて命を受けたということになるのではないか?
 だからか。
 ペルはどこかローズマリーの行動を納得した。
 実の兄の元に、恋に落ちると分かっていながら送り込んだのも、実験の一つだったのだ。それならば
実の子どもを手放してた理由も分かる。全ては自分の手の業を証明するために必要な過程だったのだ。
 ペルは涙に咽びながら、クスリと笑った。
 ローズマリーが自分に笑いかけも、愛情らしい愛情も示してはくれなかったが、きちんと食事を与え、
服や学用品も不自由しないように買い揃えてくれた。
 ペルはそれが愛情だと思っていたのだ。それがローズマリーの愛の示し方だと。その愛に縋っていた
のだ。その愛を頼りに自分を支えていたのだ。
 だがどうだ。あれは愛ではなく、世話だったのだ。
 実験動物にも毎日餌をやり、死なないように快適な環境を与えるではないか。
 それは実験動物への愛であるというよりは、自分の実験への熱意なのだ。
「実験動物か」
 ペルの口から笑い声が漏れた。
 馬鹿だったのは自分だったのだ。
 実験動物が自分を愛せと訴えたところで、目を向けてもらえなくて当然だったのだ。それが恋だなん
て、笑えてくるくらいに馬鹿らしい世界だ。
 哄笑が漏れる。
 自分を嘲笑う。
 その笑い声に、喉がつまり、起き上がると大きく咽せて咳き込んだ。
 嘔吐に近い咳にむせ返りながら、ペルはベットの上で両手を握り締めた。
「……なんでよ……なんで、わたしなんて産んだのよ……こんなのってないよ……」
 ボタボタと音を立てて落ちる涙に、ペルは声を上げて号泣した。
 生きている意味が分からなかった。
 普通に生きることさえ許されないのなら、わたしはどうすれば。
 遺伝子の指示のままにスイレイを求め続けながら、越えられない倫理の壁に苦しみ、スイレイに疎ま
れながら生きなければならないのか。
「生きていたくないよ。……こんな……忌み嫌われた存在のままで……」
 ペルは自分の頭を掻き毟った。
 今は髪を強く引く痛みよりも、はるかに心の痛みのほうが大きかった。
 その指に、右のこめかみの違和感が引っかかった。
「……」
 ペルは涙を流しながら、右のこめかみを摩った。
 そこにあるのはジャック。
 〈エデン〉への道を開くジャック。
「……この世界では生きたくない。……〈エデン〉は……」
 ペルはずるずると体を引きずるようにしてベットから抜け出すと、机の上からパソコンとプラスチッ
クケースに入ったジャックを抱えた。
 それをベットの上でセットする。
 パソコンの電源を入れ、こめかみにジャックを装着する。
「イサドラ」
 ペルはパソコンに向かって話し掛けた。
「わたしは〈エデン〉で生きる」

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