第四章  掛け違えたボタンは永遠に…… 






 授業が終わったスイレイは初老の男性に近づくと声を掛けた。
「教授、ちょっと研究室使わせてもらいたいんですけど、いいですか?」
「ああ、スイレイ。何か新しい研究題材でも見つかったのかね?」
 重そうなファイルを小脇に抱えて問う目に、好奇に満ちた光がある。どんなに年をとろうと探究心を
失わない少年のような目に、スイレイは後ろめたさを覚えながらも頷いた。
「まだ秘密ですけどね。いい結果が出せたらお知らせしますから」
「ふむ。期待しておるぞ、君の優秀で想像性にとんだ発想には。研究室は自由に使うといい」
「ありがとうございます」
 父のことも教えていた老教授の白い頭がよしよしと頷きながら遠ざかっていく。
 スイレイは確かめようとしていた。
 本当に自分とペルが兄妹なのか?
 ただたんにジャスティスに聞いただけのことで納得することはできなかった。ましてや父カルロスの
子どもを産んだと言っているのはあのローズマリーなのであって、確実なこととは思えなかった。
 本当に父にも身の覚えがあってペルが自分の子どもだと思っているなら、ペルへの対応も違ったもの
になるはずだと思われて仕方がなかったのだ。
 父のペルへの対応はとても娘に対するものではなった。
 もちろん挨拶もするし普通に話もするが、よっぽどジュリアに対するものの方が温かみと親しみがあ
るほどだった。
 あの性格で急に現れた娘に気後れしているということもあるまい。母に対する申し訳なさがあるとも
思えない。
 もともとそれほど家庭的な男ではないのだが。
 スイレイは教授の研究室に入ると、白衣に袖を通した。
 そして持ってきたものをキャビネットの上に置いた。
 白い封筒の中に持ってきていたのはペルの髪の毛。
 ペルの部屋にあったブラシについていたものを持ってきたのだった。
 なによりも確かなのは遺伝子だ。自分のDNAと比較して共通バンドが揃えば兄妹だという確証に近
づく。
 スイレイは自分の髪の毛とペルの髪の毛からDNAを抽出してDNA鑑定を行おうとしていた。
 髪の根元に残っていた毛根細胞を取り出し蒸留水の中ですり潰す。そこに界面活性剤を入れてかき混
ぜればとろみを帯びた溶液へと変化する。
 塩化ナトリウム溶液を足してDNAから蛋白質を引き剥がす。これに60℃のお湯を足してかき混ぜ
れば、蛋白質だけが固まって浮き上がる。蛋白質は固まり、DNAは水の中に溶け込む。
 この液を濾し、エタノールにこの液を混ぜれば、水だけがエタノールに溶け、DNAが細い紐状に抽
出される。
 スイレイはそのDNAをバイオチューブに取るとそこに制限酵素を加えた。
 DNAの特定部位のみを切断するハサミとしての酵素によって、DNAの断片ができあがる。DNA
には一定の塩基配列が繰り返される特徴があるが、これは個人によって大いにことなる。この繰り返し
のパターンは千差万別で、その特徴的パターンによって鑑定することができる。
 繰り返しが多い遺伝子ほどハサミで切られる遺伝子の長さは長くなり、その分重くなる。繰り返しが
少なければ短く軽い遺伝子の断片が出来上がる。
 制限酵素で切断されたDNAの繰り返し部位、ミニサテライトをゲルの上に並べて電気泳動にかける。
 短く軽い遺伝子は泳動で遠くまで泳いでいき、長く重い遺伝子は近くに留まる。
 このパターンをプロットというナイロン膜に転写する。これにブローブという探索子として使用する
遺伝子を当てると多型遺伝子領域と結合。
 それをX線フィルムに観光させればDNAプリントが出来上がる。
 黒い帯状の写真として示される人間の設計図。
 出来上がった2枚のDNAプリントを手に、スイレイは大きく息をついた。
 これで最終警告が突きつけられるのだ。
 自分とペルの運命がここに記されているはずなのだ。
 二つを並べて眺める。
 同型バンドの数を数える。
「……そ、そんな」
 あまりの結果にスイレイはプリントを持つ手が震えた。
「これでは……双子?」
 90%以上のバンドの一致。
 異なるのは性別だけ。
 そんなことはありえない。たとえ兄妹だとしても、父が共通するだけで母はレイリとローズマリーと
異なるのだ。この結果では、父どころか母も共通になってしまう。しかも性別が異なるだけでほぼ一卵
性双生児であるとしか思えなかった。
 だが一卵性双生児で性別が異なるはずがない。
「どういうことだ。ぼくたちには一体何が……」
 スイレイはプリントを隠すようにしてノートの間に挟むと崩れるようにしてイスに腰を落とした。
 知りたいのはペルと自分が兄妹なのかだけだった。
 だがとんでもない事実が連なって出てきてしまった。
 ありえない。その言葉しか頭の中に沸いてはこなかった。
「あまりに作為的すぎる。人の手が入ったとしか」
 スイレイは自分のやった実験の跡を見つめた。
 DNA鑑定には常に欠点も付きまとう。使用した試料の汚染があればその結果は信用にたるものでは
なくなる。
 未熟な自分の鑑定の途中に何か別の物が混入してしまった可能性とて否定はできないのだ。ペルの部
屋から採ってきた髪の毛だが、ペルのものという確証は絶対的にはない。
 直接ペルに髪を抜いてもらっているわけではないのだ。
「そうだ。きっとぼくがミスしたんだ」
 スイレイは自分に言い聞かせるように言った。
 だが到底もう一度実験をやり直す気にはなれなかった。
 自分のミスの結果導き出した答えなのだと思いつつも、どこか確信があった。
 父とローズマリーが、自分たちふたりの出生において何か倫理に反する行いをしたに違いない。
 これはもう父とローズマリーの情事による裏切りなどという生臭いがありえそうな裏切りではない。
人間としてやってはならない世界に足を踏み入れた神への裏切り。
「……ぼくには、負いきれない。なんてことを父さんとローズマリーは……」
 闇の色を濃くした窓に、頭を抱えたスイレイの姿が映っていた。
 背中を丸め、うな垂れた背中が耐えられそうにない重圧に晒されていた。
 指一本動かすことはできそうになかった。
 こんな事実はなかったことにしたかった。
 いやなかったのだ。自分が忘れさえすれば、全てはうやむやのうちに闇に葬り去られる。後に残るの
は、自分とペルが疑いようのない兄妹であるという事実だけだった。

 
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