第二章 掲げられた道しるべ


 
 俯いてぎこちなく並んで歩く二人。
 もちろんフェイとローズマリーだ。
 ジャスティスとレイリに、「若い二人でごゆっくり」などとお見合い斡旋おばさんのようなことを言
われて庭に追いやられたのだった。
 レイリはいらぬ気をきかせて、みんなでお茶をするつもりでテラスにセットしておいたテーブルに、
二人分のティーセットとケーキを用意してくれてある。
 それを横目で見ながら、ローズマリーは思わず舌打ちしてしまう。
 後ろからトボトボと付いてきていたフェイがその舌打ちに気づき、気まずげに顔を上げる。
「マリー」
「なに?」
 間髪入れず鋭く返された言葉に、思わず足を止めて仰け反りそうになったフェイだったが、あまりの
その態度にムッと顔をしかめると、ローズマリーを睨みつけた。
「マリーの態度はあんまりだ」
 半分駄々っ子の不満のような言い方だったが、まっすぐ歯向かって来たフェイに、ローズマリーも気
分が悪いという顔で目をそらす。
「どうして機嫌が悪くなるのさ。嫌いだって言われて怒るなら分かるけどさ、なんで好きだって言われ
て怒るのさ」
「弟と同い年の男に、しかもハナ垂れ小僧の頃から知ってるあんたなんて、恋愛対象にならないってい
うのよ」
 はっきり言い渡された恋愛対象外だという言葉に、フェイの顰められていた眉がかすかに揺れる。
 だがすぐに意地になっているらしく怒った顔を保つ。
「それだっておかしいだろ。年下にだって好かれて嫌な女はいないだろう。男は汚いって毛嫌いするほ
ど純情な乙女って年じゃないんだし」
 意地悪半分、揶揄半分で横目で見ながら言ったフェイに、ローズマリーが殺気すらこもってはいない
だろうかという視線をくれてくる。
 それでも、フェイはそんな目は昔から見てるから怖くないもんねぇ〜と如実に語る背中でローズマリ
ーの横を通り過ぎて、庭の中をフラフラと歩き出す。
 そして不意に振り返ると、腰を屈め、ローズマリーの目線にあわせて顔をつき合わせる。
 面食らったローズマリーだったが、負けてなるものかと仁王立ちで至近距離のフェイの顔を睨む。
「もしかして、マリーはレイリが好きとか言わないよね」
「バカ言わないで」
「だったら、マリーは同性愛者じゃないよね」
「ノーマルよ」
 そこでちょっと顔を離して思案顔になったフェイは、顎に手を当てる。
 いつの間にやら自分を見下ろすほどにデカクなっているフェイを下から見上げるのが、ローズマリー
には癪に障るのだった。
 ずっとジャスティスとひっくるめて自分が面倒を見てやらないとならない、バカで頼りない小僧だと
思っていたのに、時々高いものを取るのに苦戦していると、後ろから現れてヒョイと取ってくれること
がある。
 しかもそれが自分には両手で持たないとならないような重い鍋であっても、片手で持ってみせる。そ
れに、ジャスティスのような細身でいかにも繊細そうな体つきなら、まだ優位に立った気分でもいられ
るのだが、フェイは逞しい体つきで、時にランニング姿などで家の中をうろちょろしているのを見ると、
肩や二の腕の筋肉が盛り上げってその存在を主張している。
 フェイが男であることを、認めるのがいやだった。
 自分の方が庇護される立場になるのがいやだった。
 フェイに好かれていると分かって怒っているのではない。ただ、自分が弱い女であることが露呈する
ようで嫌だったのだ。
 それに気づいたローズマリーは、そんな片意地な自分にも嫌気がさしてため息をついた。
 そんな考えは女は弱いものという考えへの反発のようでいて、それを自分がすでに認めているも同然
なのだ。
 女は男よりも弱い。それは肉体的な意味では仕方のないことだ。つくりが違うのだから。それに抗っ
て、目をそむけて、女も男と同じように何でもできなければならないと思うのは馬鹿げている。
 人の個性を認めよと主張するなら、男と女のそれぞれもつ良さも認めよと思う。
 そう自分の考えを持っているつもりだったのに、自分自身がそれに反した思いを抱えている理不尽に、
フェイに対して怒って見せているのだろうか。
 物思いにふけっていたローズマリーだったが、ふと目を上げれば、にやにやと笑ったフェイが自分を
見下ろしているのに気づいて、再び眉間が険しくなる。
「俺のこと真剣に考えてくれちゃってた?」
「あんたのことなんかじゃないわよ。もっと高尚なことよ」
 言い捨て、ローズマリーは座り込むと足元に咲いていた花に手を伸ばした。
 旺盛な生命力で増え広がっていくミントが、白く大気にそよぐことを楽しんでいそうな花を咲かせて
いた。
「ミントだろ、それ」
 背中でした声に、ローズマリーは何枚かの葉を引きちぎり、鼻元に持っていって立ち上がる強い香り
を吸い込む。
 横に座り込んだフェイも同じようにミントを摘まんで葉を取ると、香りを大げさなほどに胸いっぱい
に吸い込む。
「ミントって、マリーっぽいにおいだよな」
「……わたしはローズマリーで、ミントじゃないわ」
 少し笑って言うローズマリーに、一瞬意味を取り損ねたフェイも、ミントと同じくハーブの一種であ
るローズマリーのことを言っているのだと理解して笑う。
「俺、ハーブのローズマリーのにおいって、好きじゃない」
「ローズマリーの香りには記憶力をよくしたり、集中力を高める働きがあるのよ」
「へぇ」
 素直に驚いてみせるフェイが少年の顔になる。
「でも、ミントのにおいのが好き。さわやかだし、よく嗅ぐと、その奥に隠れるみたいに甘いにおいが
ある」
 そう言われ、ローズマリーは手の中のミントをもう一度よく嗅いでみる。するとフェイが言うとおり
に香りが鼻腔を満たしてくれる。
 だがそうしてから、フェイが言わんとする意味を感知して、ローズマリーは横目でフェイを見る。
「わたしのことを、そう言いたいの?」
「うん」
 かわいい少年を装って、フェイが笑う。
「そんわけないでしょう。ツンと鼻を刺激する尖った女だっていうならあってるけど、その奥に甘さな
んてないわ」
 立ち上がってレイリの用意してくれていたお茶でも飲もうと歩きだす。
「そんな風に自分を型にはめて、嫌な女演じることないじゃないか。マリーが優しいことなんて、とう
の昔から俺は知ってるんだから」
「だからそれはあんたの幻想で――」
 勢いよく振り向いて言ったローズマリーは、あまりに近いところにいたフェイの胸にぶつかる。
 そしてそれに気づいたフェイも、びっくりしながらローズマリーを抱きとめる。
 フェイの胸に手をついて身を硬くしたローズマリーは、知らず知らずのうちに頬が熱くなっていくの
に気づいて俯いた。
 そしてフェイの方は思わぬ形で抱きとめたローズマリーが、予想外に反撃して突き飛ばしてこないこ
とに気づき、調子にのってニヤニヤと笑うと、ぎゅっと抱きしめた。
「ちょっと、あんた何してるのよ!」
「いいじゃん。マリー、顔赤いよ」
「これは暑苦しいあんたの体温がいけないのよ」
「あ、そう。俺もローズマリーの体温が感じられて気持ちいい」
「変態!」
「好きな女、抱きしめて気持ちいいなんて当たり前じゃん」
 この時ばかりと、ローズマリーを胸の中に抱き潰す。
 ローズマリーには腕を突っ張って突き飛ばす余地すらない。
 だから反撃できるとすれば一箇所しかなった。
 膝をフェイの股間目掛けて突き上げる。
 途端にみっともなく腰を引いた格好で、フェイが叫びを上げて後ろに転がる。
「なんだよ! 急所攻撃するほど嫌なら、そう言えばいいじゃないか!」
 股間を両手で覆って転げ回る姿を見下ろし、ローズマリーがフンと鼻を鳴らす。
「これでも手加減はしておいたわよ」
 ローズマリーはテーブルについてティーポットからお茶を注ぐと、涙目のフェイに笑いかける。
「どうぞ、フェイ。お茶でもお飲みになって」
 四つん這いになって腰を叩くフェイが、苦しい笑みを浮かべてローズマリーを見上げる。
「そんなことしたって、好きだっていうのは取り消してやらないからな」
「そう」
 涼しい顔でティーカップを口に運ぶローズマリーが、カップの向こうで笑う。
「だったら、いつか潰れちゃうかもしれないわね。あなたの大事なところ」
「俺のが潰れたら、マリーは子ども産めなくなるぞ!」
「あんたの子どもなんて産まないもんね。妄想だけでもずうずうしわよ」
 ああ、いい気分だ。
 やっぱりわたしはフェイより上手でないと。
 満足してお茶を飲むローズマリーだったが、意地で立ち上がったフェイが目の前に立つと、カップを
テーブルに下ろした。
「なによ、怖い顔して」
 下からキッとにらみつけた。
 だが不意をついて身を屈めたフェイがローズマリーの唇に唇と重ねる。
 ほんの一瞬のキスのあとで、フェイが身構えて後ろに飛ぶ退る。
「ああ、危ねぇ。キスするにも身の危険を感じちゃうよ」
 呆気にとられているローズマリーに、フェイはにやりと笑って、わざとらしく唇の端を舐める。
「キスゲット!」
「な!」
「俺、ずっとローズマリー一筋だったから、ファーストキスなの。責任とってね」
 その一言に、ローズマリーが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「何が責任だ! お前こそ責任取れ!」
 つられて叫んだあとで、自分の言っていることの意味を考えて愕然とする。
「はい。責任とって、マリーを彼女とさせていただきます」
 フェイが言う。
 ローズマリーは頭を抱えてため息をつくのであった。



back / 第三部 CODE:セラフィム top / next 
inserted by FC2 system