「思い出せない約束」



「そう深いところに埋まっているわけではないと思うから、これで掘ってみなさい」
 そういって動物園のおじさんが貸してくれたシャベルがペルの手にあった。
 タイムカプセルの掘り起こしイベントは、実はもう1年以上前に埋めてから十年のときを経て終って
いた。
 でも中には掘り起こしに来ない人もいて、今も地中に眠っているらしい。
 今はタイムカプセルの埋められたところも花壇になり、一面にアリッサムやベコニアなどが植えられ
ている。
「あとでキレイに花壇を戻してくれれば構わないから。記念に一株くらい持って帰ってもいいし」
 気のいいおじさんは、プラスチックの植木鉢まで分けてくれた。
「なんか、掘り返すのが悪い気がするね」
 ペルはシャベルを握って花壇の中に座りこんで言う。
「大事に扱えば、大丈夫だよ」
 同じく足場を捜しながら花壇の中に入ってきたスイレイが言う。
 急な呼び出しにもすぐに駆けつけてくれたスイレイは、少し緊張した面持ちのペルの肩をポンポンと
叩くと微笑む。
「何が出てくるかはお楽しみ」
「……うん」
 スイレイの笑みにわずかに緊張を解いたペルは、ゆっくりと大きく息を吐き出すと、シャベルを土に
突き立てた。
 

 掘り起こした花をスイレイに手渡し、スイレイがそれを水を張ったトレイに並べていく。
 ちゃっかしもらった植木鉢で寄せ植えまでしているスイレイだったが、ペルはそんなことにも気づか
ずに一心不乱に穴を掘り続けていた。
 いつも手入れされている花壇の土は柔らかかったが、掘り進めるうちに硬く固まった地層に行き当
たる。
「交代しようか?」
 硬い土に苦戦しはじめたペルに声を掛けるスイレイだったが、額に汗を浮かべながらも、ペルは首を
横にふる。
「大丈夫。それに、これは自分の力で見つけたいの」
「そうか。わかった」
 スイレイは花壇の横にしゃがみこむと、じっとペルの様子を見守った。
 次第に深くなっていく穴に、ペルは辺りを行き交う人の気配さえ感じないほどの集中力でに作業に取
り組む。
 手に土がついているのにもお構いなしに汗を拭うために、顔はすっかり泥まみれになっていた。
 やがてシャベルの先がコツンと何かに当って音を立てる。
 期待に目を輝かせたペルが顔を上げる。
 スイレイはペルにうなずくと、一緒に穴の中の砂をかき上げた。
現れたのは一辺5センチくらいの箱だった。
 金属のそれはすでに錆びて朽ちかけてはいたが、しっかりとその内部にある想い出は守り続けていた。
「あった」
 ふたの上部には雨で滲んではいたが、ローズマリーの字で「ペル&ローズマリー」と書かれているの
が見てとれる。プラスチックの覆いの下にあるローズマリーの文字。
 ペルは自分の想い出を守ってくれていたそんな小さなプラスティックの欠片にも、感謝したい思いで
その表面を撫でた。
 地中から掘り出した箱を胸の前に抱き、スイレイと並んで側にあったベンチに移動する。
 揺れるとカランカランと音のする箱を、ペルは壊れ物のような慎重さで運ぶ。
 そっとベンチの上に下ろした箱を、真剣な面持ちでペルが見つめる。
 だがなかなか開ける勇気がでないのか、手を伸ばしかけたままに止まる。
 それをじっと見つめるスイレイを、ペルは震える息で見た。
 スイレイはなにも言わず、ただ頷いただけだった。
 でもその目がペルに大丈夫だよと語りかけてくれる。ペルを深く愛している人間がここにいる。そし
て今から、もう一人のかけがえのない愛情を注いでくれた人間の愛の深さをこの手に受け入れるだけな
のだからと。
 ペルは箱に手を伸ばして触れる。
 錆びてカサカサになった箱のふたを持ち上げ、開ける。
 長い年月を箱の中に封印されて過ごしてきた想い出たちが、箱の中から溢れ出す。
 暗い箱の中をのぞきこみ、ペルは一つ一つをゆっくりと手に取った。
 一つ目は写真。
 動物園で取った写真を入れておいたのだろう。
 水色のワンピースを着て、真っ赤な風船を手にしたペルがそこで笑っていた。
 そのペルの笑顔の横には、同じように笑みを浮かべたローズマリーの若い顔があった。
「こんな顔、見たことないな」
 一緒に見ていたスイレイがつぶやく。
 長い髪を片側で三つ編みにしたローズマリーが、ペルの横に座り込み抱きしめるようにして顔を寄せ
合って写真に写っていた。
「ちゃんとお母さんの顔してる」
 愛しい我が子を、一瞬たりとも側から離したくないという愛情を惜しげもなく振りまいて抱きしめて
いる。
 そんな親子を見下ろしているキリンが背後に映っている。
 次に取り出したのは、小さな皮の袋だった。
 その袋の中から手の平に転がり出たもの。それは指輪だった。リングには大きなダイヤ。
「これ………本物?」
 思わず手の平で光るそれを、触れてはならないものに触れたかのようにスイレイの前へと押しやる。
「ぼくには分かんないけど、ローズマリーがわざわざ安物をタイムカプセルに入れるとも思えないけど」
「そうよね」
 ペルはそっと手の平の指輪とつまむと、目の前にかざす。
 幾分くすんだ輝きを見せるダイヤ。それがローズマリーの指にあったことがあったのだろうか。
 ペルは指輪をスイレイに渡すと、最後の一つを箱の中から取り出した。
 それはなぜこんなところに入れたんだろうと思わせる、レストランの紙ナプキンだった。
 長い年月で水分を失い、黄ばんでカサカサになったそれを、ペルは丁寧に開いていく。
「これ、手紙………」
 紙ナプキンの上に並んだ文字は、確かにローズマリーのものだった。
 遠い過去から、未来の自分へと託されたローズマリーの思い。
 ペルはぎゅっと目を閉じ、深呼吸すると、ナプキンの上の文字を読み始めた。

愛しい娘、ペルへ

 あなたがこの手紙を読むことはきっとないでしょう。
 読むあてもないのに手紙を書くなんて、なんて意味のないことなんでしょう。でも、この溢れそうな
思いは、胸の中に抑えておくには熱すぎて、わたしの心が燃え尽きてしまいそうなので、ここに言葉と
して残しておくことにします。

 ペル、心の底から愛しているわ。
 いつでもあなたのことを一番に思っている。
 あなたの笑顔がわたしの生きる意味。
 どうかその笑顔を決して無くさずに、幸せな女の子になってね。
 
 そして、わたしのこの愛情を心のどこかに忘れずに持っていてね。
 ママを忘れないで。
 わたしの世界一の宝物ペル。
 いつの日までも輝き続けてね。

                             R

 ペルは僅かな文字で綴られた手紙を胸に抱きしめると、溢れてきた涙を抑えられずに嗚咽を漏らした。
「お母さん………お母さん………」
 抱き寄せられたスイレイの胸の中で、ペルが小さな声で呟き続ける。
 記憶に残るローズマリーの顔に笑みはない。
 いつも冷たく、つきはなした態度からは愛情の欠片も見出すことができなかった。
 だが、ローズマリーは確かにペルを愛していたのだ。
 ママを忘れずに心の片隅に残していた記憶。
 赤い風船を持って手をつないで歩いたローズマリー。
 目を閉じたペルの目に、次第に見えなかったローズマリーの顔が見えてくる。
 優しさに目尻に皺を寄せた緑がかった茶色の瞳が、ペルに微笑みかけていた。
 この世で一番愛しい娘をみつめる目で。
 ローズマリーの手がペルに伸びる。
 抱き上げられたペルの目線の高さでローズマリーが微笑む。
 そしてペルの頬にキスをすると、ささやいた。
「ペル、大好き」
 ペルは甦った記憶の中のローズマリーに告げる。
「ママ、わたしも大好き。たくさん愛情を注いでくれて、ありがとう」
 ペルの心の中の赤い風船が、青い空高く舞い上がっていった。


「お母さん、手紙読んじゃったよ。嬉しかったよ」
 ペルはローズマリーの使っていたベットに寝転がると、天井にむかって囁いた。
「それからね、タイムカプセルが埋まっていたところから貰ってきたお花。お母さんのお部屋に飾って
おくからね」
 ペルはひと気も飾り気もない部屋の窓辺に置かれた白とピンクの花を見つめた。
 夜風にゆれる花。
 その花にキスをすると、ペルは部屋を出て行った。





                                〈了〉  

                                        

                                                      

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