間章  世界を動かすもう一つの力



「ヴィンザー老、少しよろしいでしょうか?」
 声をかけた銀髪の女が頭を垂れていた。
 公認ギルドの術師であることを示す青いマントで身を覆い、長い髪を右の肩から三つ編み
にしていた。
「カタリナか。今、星を見ておったのだ。よく澄んだ夜空に幾万の星が煌めいておる。数え
つくすことも叶わぬ星々は、隣り合って輝いているように見えても、実際には遥か遠くにあ
るという。人間の世も同じよの」
 カタリナと呼ばれた女は貴重な教えを拝聴するように静かに耳を傾け、盲た白濁した瞳を
ギルドの長老、ヴィンザー老に向ける。
「マイノールに不穏な動きがございます」
「そうか」
 ヴィンザー老は頷く。まるで天気の話でもしているかのような穏やかで乱されることのな
い呼吸そのままに、周囲の空気が甘やかな感触をまとっていた。
 氷の麗人と呼ばれるカタリナの表情の変わらぬ顔が、だが幾分の緊張に硬くなっていたの
か、ヴィンザー老の空気に触れ、フッと和らぐ。
 ヴィンザー老は背後の天幕に入ると、茶器にお茶を注ぎ、カタリナの前に置く。
「星も動いておる。鮮血の紅に輝くのはノードの若き首領ヴァン・アイクか。この星が急接
近したのが白く清冽な巨星であるグラナダの国王、アクバル・スタン・ツィード・グラナダ。
その対極にあるが我らノードとエアリエル王国。だがその間にあって蠢いている星たちがお
る」
 ゆっくりと木の椅子に腰を下ろしたヴィンザー老が語る。
「グラナダのトゥール王子がエアリエルの王女、クリステリア姫に近づきつつありますが」
 カタリナは揺るがぬ直立の姿勢のままに言うと、白く白濁した目で遠く常人の目には見え
ぬ世界を見るように目を眇める。
「そちらは問題なかろう。あの王子の星に濁りはない。それよりも問題とすべきは、クリス
テリア姫とすでに接触しているマイノールの術師であるが」
 その言葉にカタリナの眉もピクンと跳ねる。
 クリステリアの動向の監視を行っていたカタリナにとって、マイノールの術師であり、強
大な力を秘めてた男の接近に気付かなかったのは屈辱そのものだった。
 相手にクリステリアを傷つける意思が今のところなさそうなので手は出さずにいたが、最
初の攻撃の力の波動を感じたときは、冷や汗が流れた。
 あの時は遠隔による防護壁の構築という超高度な術を使ったために、その後一週間もの間、
カタリナは尽きた力を取り戻すために休眠に入らないとならないほどだった。
「あの者もつかみ所がない。その魂は澄んで清らかであるが、安定しない力と術師としては
脆弱な精神。そう長く放置することはできないであろうのう」
「接触したしましょうか?」
 カタリナの氷と称される変わらぬ表情の中で、一瞬熱い思いが溢れ、隠される。
 ヴィンザー老は知っていた。カタリナは氷などではない。そのうちで燃える熱い衝動を抑
えるために氷で身を装っているだけなのだ。
 その炎の力は、一度戦闘となるとすべてを焼き尽くす劫火となる。
「今はまだ事を起こすときではない。それにあのアストンという術師、うまく使うことがで
きるやもしれぬ」
 ヴィンザー老はそう言って穏やかに笑うと、カタリナに後は任せると皮の袋を手渡す。
 それを恭しく受け取ったカタリナは、腰のベルトに括りつける。
「では、翌朝出立いたします」
「気をつけてな。ミハエルとベルダを連れていくといい」
「は。ヴィンザー老もお体にお気をつけて」
 カタリナは頭を下げるとヴィンザー老の幕屋を後にする。
 それを見送ったヴィンザー老は再び幕屋の外に出て漆黒の天を見上げた。
 その皺に埋もれた小さな目に、淡い黄金の光を灯す星が映る。
「グラナダ。エアリエル。そしてもう一つの大国、オイノール。一角が崩れるか」
 まだ見ぬ未来の風を感じて目を閉じたヴィンザー老の目には、何かが見えていた。
 それは絡み合う思惑という、きな臭い煙を上げる不穏な予兆だった。
 星は天を巡る。
 強烈な光を発する星に目を惑わされ、すぐ隣で輝く星の存在を忘れてしまう。
「アクバル王。惑わされましたな。禍星に」
 ヴィンザー老は小さく呟くと幕屋の中へと戻る。
 茶が上げる香気に、カタリナのために入れた茶を手に取る。
 その温もりが、すべての人の心に伝わりさえすればどれだけ心穏やかに過ごせるものか。
 安堵の中に混じる苦さに、ヴィンザー老はゆっくりと息を吐きだした。

 
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