第六章 希望は優しさを、失望は隠された本性を




 洗濯物を乾かす独特の太陽に似た暖かい匂いと洗濯機の作動音に耳を傾けながら、ローズマリーは設
置されていたベンチの上に座っていた。
「ああ。疲れた」
 横に座っていたフェイを背もたれにしてもたれかかれば、慣れた手つきで腕を上げ、自分の胸に寄り
かからせて肩を抱く。
「……なんか随分と慣れた仕草ね」
「別にやましいことなんてないぞ。ただいつも妄想して脳内イメージトレーニングしてたからな」
「脳内イメージトレーニング?」
「いつか訪れるマリーとのイチャイチャな日々へのイメージ。そしてかっこいい男な俺様になれるため
のトレーニング」
「ふん」
 バカらしいと呟きながら、それでも口元は笑ってしまう。
 どうせありえないほど愛らしい言葉を吐く自分を相手に、王子様なフェミニンぶりを発揮したフェイ
が颯爽と手を差し伸べるなどという想像をしていたのだろう。
 まるでお姫さまになりたいと夢見る女の子並みじゃないか。
 だが妄想王子はかなり本気で取り組んでいたらしく、鼻で笑ったローズマリーに不満を訴える。
「あ、俺の努力を鼻息で笑い飛ばしやがったな。でも、だからこそこうしてマリーは気持ちよく俺の胸
でまったりできるんだからな」
「はいはい」
 返事とともに、幾分だが遠慮して自分でも支えていた体重を一気にフェイに預けてその顔を仰ぎ見る。
「だったらもっと安らぎを感じさせていただくわ」
 研究所での仕事を終え、大学での研修のレポートも書いた後で、がんばって掃除までしてやったのだ。
遠慮はいらん。
 このまま寝てしまおうかと思いながら、マリーが目を閉じる。
 それに応じて、フェイが体を傾けて自分の胸の正面でローズマリーを抱きとめ、両手で体を抱き寄せ
る。
 体温まで子どものように高いフェイが、布団のようにローズマリーを包んでくれて気持ちがよくなっ
てくる。本物の眠気が湧き上がってくる。
 そんな脳裏に、ふとよぎるものがあった。
そして渡すことを忘れていた紙袋の存在を思い出し、脇にあった袋を目を持ち上げる。
「これ、フェイへの差し入れだったの忘れてた。食べていいよ」
 目を閉じたまま差し入れのベーグルサンドを差し出せば、腕にかかっていた重みが消える。パタンと
腕の力を抜いて再び寝に入るローズマリーの頭上で、フェイが紙袋をガサガサとやり始める。
「お、俺の好きなサーモンサンドと、なかなか高くて手がでないローストビーフサンド!」
 やけに嬉しそうな声が上がる。
 このままフェイの胸の下で寝ていたら、ヨダレが垂れてくるのではないかと思わせる喜びっぷりだっ
た。
「いただきます!」
 常日頃、ローズマリーの手料理を食べる以外にはどんな食生活をしているやらな冷蔵庫だったなと、
フェイの部屋を思い返す。
 冷蔵庫の中にあったのは、水とマヨネーズと卵がニ個。ニンジンとソーゼージが一パック。
 そういえば以前に食い物屋でバイトするのは賄が出るからだと言っていた気もする。じゃあ、フェイ
の食生活を支えているのは、バイトの賄とローズマリーの料理ということになる。それでよくもこんな
にデカイ体が維持できるものだ。今度はデトックス料理でも考えなくてはならないかもしれない。
 そんなことを考えていたローズマリーの顔に、ヨダレは垂れてこなかったが、パンのクズやレタスの
切れ端などが落ちてくる。
「わたしの顔をナフキン代わりにしないでくれる?」
 目にパンくずが入るのが嫌で目を閉じたままで言えば、「ああ、わりぃ」とフェイが呟く。
 だがそれに続いた顔に触れた感触にローズマリーが目を開けた。
 自分の上に覆い被さっていたのはフェイの顔。頬の上に落ちていたパンをキスしながら啄ばむように
して取り去っていく。
 何するのよ! といつものように怒鳴ろうという習慣的行動が出そうになる。だが同時にピクンと動
いた体を止める無言の声があった。
 何も文句を言わないローズマリーに気を良くしたのか、フェイのキスが顔中に注がれ、最後には唇に
落ちる。
「……そこにはなにも落ちてなかったはずだけど」
「そう? すごくおいしそうに見えたから」
「……サーモン味のキスをありがとう」
「ちょっと生臭いか?」
 あっけらかんとフェイが笑う。そして手にしていたベーグルサンドの残りを口に放り込む。
 その子どもっぽい仕草に、ローズマリーも苦笑を浮かべた。
 そして自分も少しはフェイに見習って素直になろうと、穏かになった胸のうちで思うと、フェイを見
上げた。
「昨日はキツイこと言ってゴメン。ちょっとビックリしただけだから」
 素直に謝ったローズマリーに、フェイがキョトンとした顔をして見下ろす。
「ああ。そんなのいいのに……」
 忘れていたわけではなさそうな反応で、照れているのか赤い顔でローズマリーから目を反らす。
「俺も悪ふざけが過ぎたって、反省してます」
 フェイがペコリと頭を下げる。
 やっぱり謝るのはフェイの方が上手だ。そして、謝られて受け入れるのは、謝られなれている自分の
方だ。
 ローズマリーは頷くとフェイの顔に向って手を伸ばした。
「だったらあの言葉は取り消して」
 自分でも思いもよらずに出た言葉に、ハっとしても遅かった。
 顔も耳も赤くなっているのが分かるほど熱くなっていく。
「え? あの言葉?」
 本当に分からないという顔をしているフェイに、ローズマリーが顔をしかめる。
「最後に捨て台詞みたいに言ったじゃない」
「?」
 フェイが首を傾げる。それから、昨日のことを思い出そうとするように腕を組む。
「なんか思い出そうとしても、脳裏に甦るのはマリーの裸の太ももとか腹とかで……」
 せっかく雰囲気を作ってやっているのに、ぶち壊してくれたフェイに、ローズマリーがいつもの調子
で触れるフェイの太ももを思い切りつねってやる。
 それにイタタタと声を上げたフェイが、そのわりに嬉しそうに涙目になりながらわらっている。
 そしてローズマリーの耳元に顔を寄せると言う。
「好きでいるの止めてなんかやらない。もう、抱きしめた腕から離さないから」
 分かっていたくせに、分からない振りをしてたらしい。
 有言実行とでも言うのか、胸の中にローズマリーをギュッと抱きしめる。
「痛いって」
 それに笑い混じりで言ったローズマリーの耳に、作業が終ったと知らせる乾燥機のアラームが聞こえ
る。
 二人でそろって音の方向に目を向け、ナイスなタイミングだと笑い合うのであった。




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