第六章 希望は優しさを、失望は隠された本性を




 冷え切った体を抱えて家に帰り着いたローズマリーとフェイを、ジャスティスがまん丸くした目で向
かえた。
「二人で雨の中をデートしてたの?」
 その一言でジャスティスは姉の鋭い睨みとキツイ一言を受けることになる。
「バカな事言ってないで、さっさとお風呂沸かしなさい。それからタオル!」
 怒鳴り飛ばされたジャスティスが慌てて「ハイ」と返事をしてバスルームへと走っていく。
 その後ろ姿を見送ったフェイが、尖った目をしたローズマリーを見下ろして言う。
「お風呂って一緒に入れるの?」
「は?」
 決して緩むことのないお怒りモードの目がフェイを見上げる。
 それに肩をすくめたフェイが、落ち着けとローズマリーに手で示す。
「冗談だって。女王様がお先にどうぞ」
 そこへタオルを大量に抱えた見知らぬ女の子が走り寄ってくる。
「お姉さんとその彼氏さん。どうぞ、タオルです」
 ショートカットのクリクリとして目が快活そうな女の子が、ローズマリーとフェイにバスタオルを手
渡す。
「ありがとう」
 お礼を言ったフェイに対して、ローズマリーは面食らった顔で目の前の女の子を見つめる。
 その視線に気付いた女の子、レイチェルが勢いよく頭を下げる。
「お姉さん、はじめまして。レイチェルといいまして、ジャスティスくんに拾われた貧乏ネコです」
「…………?」
 意味を取り損ねた反応でいたローズマリーだったが、バスルームから顔を出したジャスティスの声に
顔を上げる。
「姉さん、お風呂いいよ」
 腕まくりしたジャスティスに頷いて歩き出したローズマリーに、レイチェルが良い事を思いついたと
手をうつ。
「お姉さん、わたしが夕飯の用意しておきますので、ごゆっくり」
 振り向いたローズマリーにレイチェルがお任せあれと胸を叩いてみせる。
 またいつもの癖を発揮して、ジャスティスがおかしな生き物を拾ってきたらしい。また面倒を見るこ
とになるのはわたしなのだろうか。
 胸のうちでそんなことを考えながら、ローズマリーが頷く。
「よろしくお願いするわ」
「はい!」
 

 お湯の温かさで体がほぐれ、同時にだるさが全身を覆う。
 自分の部屋の化粧台の前で髪を整えながら、できればこのままベッドに転がって寝入ってしまいたい
という欲求が胸をかすめる。
 が、そうも言っていられない騒音が廊下の向こうから聞こえてくる。
 あの声はおそらくフェイとジャスティスが連れてきた女の声だ。
 なにをそんなにはしゃいで騒いでいるのやら。ちゃんと夕食はできているのだろうかと不安が否めな
い。
 長い髪を首の横で三つ編みにしたローズマリーは、イスから立ち上がるとダイニングへと歩いていく。
 そのダイニングの廊下の前で、案の定フェイとレイチェルが戯れている。
「オー! ナイスなパンチ持ってんなぁ」
「そうでしょう。これで次こそはチャンピオンベルトを狙っちゃうんだから」
 確かに見事に風を切る音をもったパンチが、素早く繰り出されている。
 それを手で受けるフェイも、随分と楽しげだ。
 これがジャスティスの恋人なのかしら?
 つい値踏みの目つきでレイチェルを眺めていることに気付いたローズマリーが、これでは弟離れでき
ない姉ではないかと、気持ちを切り替える。
 あえて、フェイに次第不自然だと訴えられそうな笑みを浮かべてレイチェルに近づく。
「お待たせ。お客様に夕食の用意なんてさせてしまってごめんなさいね」
 完璧な美しいお姉さん像でほほえむ。
 パンチを受けていたフェイの手が思わず緩んで、「いてー!」と叫ぶはめになる。
「あ、お姉さん。温まりましたか? 風邪なんてひいたら大変ですから」
「ええ。ありがとう」
 フェイも風呂上りのタオルを首に巻いた姿だったが、胡散臭そうな目でレイチェルの後ろからローズ
マリーを見つめる。
「ネコ何枚被ってきた?」
 通り過ぎざまにフェイの腹にローズマリーの拳が沈む。
 ウッとうめいたフェイをレイチェルが目を丸くして見る。
「本性現したな、化け猫め!」
 小声で恨み言を言うフェイを置き去りにダイニングに足をいれたローズマリーだったが、鼻をかすめ
た異様な匂いに思わず立ち止った。
 なんだろう、この臭い匂いは。本当に食べ物の匂いだろうか。食欲を誘う匂いではない。まるで仕舞
いこんで腐ってしまった野菜の入ったダンボールの中に頭を突っ込んでしまったような。いや、不気味
な物体がヘロヘロと漂うドブの水の匂い。
 条件反射で眉間に皺が深々と刻まれる。
 キッチンに目をむければ、ジャスティスが困った顔で鍋をかき混ぜながら、修復不可能だと絶望して
いた。
「なに、この匂い」
 ローズマリーの声に気付いて、ジャスティスが焦りの顔と同時に、救世主登場だと頼る視線を送って
くる。
 キッチンの入ると匂いはさらに強烈になり、同時に流しの中にぶち込まれたゴミと化したものを見る
につけ、気力が萎えていく。
「一体なにを作ったの?」
 鍋を覗き込みながらローズマリーが呟く。
 鍋の中が真っ黒に変わっている。
 真っ黒でドロリとした液体の中に、尋ねるのも怖い物体が浮んでは沈んでいく。
「本人がいうにはカレーらしいんだけど」
「これが?」
 ダイニングの入り口からジャスティスとローズマリーの会話を覗き込んで聞いていたレイチェルが、
険しさを増していくローズマリーの顔にビクリと引っこむ。
 それに気付いていながら、ローズマリーが言葉をつづける。
「なにをどうやったら、こんなカレーになるのよ」
「コクを出すっていってイカを丸ごと入れて、かき混ぜてる途中で黒く変わってきた。で、にんにくを
二玉」
「欠片でなくて、丸で二つ使ったってこと?」
「……うん」
 ローズマリーが頭を抱える。
 これでは臭いだけでなく、食べたら腹を壊すこと請け合いな地獄料理だ。
「それから野菜は多いほうが言いに決まってるって、キャベツにニンジン、ジャガイモにラディッシュ、
ほうれん草、玉ねぎ、モロヘイヤ、トマト、ナス、セロリなどなど。あと昨日の夜、ぼくが食べて残し
ておいたパイナップルの残りとか」
 それに考えらえられない量のスパイスをぶち込んだのだろう。
 キチンと並べて保管していたスパイスのビンが、イカのハラワタや小麦粉などに絡まって転がってい
る。
「これ……食べられるかな?」
「…………」
 不安そうなジャスティスの声に、ローズマリーが無言でうな垂れる。
「おい、おまえら失礼だろう。せっかく彼女が作ってくれたものをゲテモノを見るように言って」
 レイチェルを伴ってダイニングに入ってきたフェイが言う。
 もちろんその横に立ったレイチェルは、申し訳なさそうな上目遣いでジャスティスを見ている。
 そしてチラリとローズマリーを見て、目が合いそうになったところで慌ててそらす。
「そこまで言うなら、フェイに味見してもらいましょう」
 皮肉った意地の悪い笑みがローズマリーの顔に浮ぶ。
 味見用の小皿に多すぎるくらいにカレーをすくって手渡す。皿からダラリとイカの足が下がる。
 その色と姿に一瞬眉をビクリと振るわせたフェイだったが、引き攣った笑みを浮かべると受けてたっ
てやると手を伸ばす。
「カレーなんて男だって作れる煮込めばいいだけの料理だぞ。なぁ」
 隣りのレイチェルに縋る視線を送れば、自信のない笑みが返される。
 ここで男気を見せずにいつ見せる、という勢いで皿の中身をを口へと傾けたフェイが目をつむる。
 ボリゴリと音を立ててイカの足が噛み砕かれ……。
「ん? これ………うまい!」
 地獄へのトロッコに覚悟して飛び乗ったフェイを迎えたのは、予想に反して天国へ味わいだった。と
はいっても、美女と天使の飛び交うお花畑の天国ではなく、ムキムキ肉体美の天使に囲まれて食べる男
たちの集いの味わいではあったが。
「本当に?」
 一番びっくりした声を上げたジャスティスが、味見をすると姉を見上げて頷く。
「クサイけどおいしいかも」
 フェイから返却された皿を受け取り、嫌そうに鍋の中を見下ろしたローズマリーだったが、何事も経
験と悟るような気持ちでカレーを皿によそり、口にする。
 最初に口に広がるのはニンニクの強烈な匂いと辛味。だが次に来るのは思いがけずコクのあるイカス
ミの味と野菜のエキスがふんだんに煮込まれた深い味わいだった。最後に口に残ったマメはどうかと思
ったが、確かにおいしいかもしれない。
 地獄のさたも金次第。
 この場にはそぐわない感想を頭に思い浮かべながら、ローズマリーが頷く。
「確かにおいしいかもしれないわね」
 ローズマリーの感想に、いままでシュンと肩を落としていたレイチェルの顔がピカリと輝く。まさし
く電球が切れかかっていた状態から100Wに交換してもらいましたという変化だった。
「本当ですか?」
 その喜劇役者のような唐突な表情の変化に、ローズマリーも思わず見入ってから苦笑に近い笑みを浮
かべる。
「ええ。未知との遭遇に近い美味かしら」
「ヤッターー」
 子どものように飛跳ねたレイチェルがフェイの手をとって、回り始める。
 その様子を眺めながら、ローズマリーが隣りに立つジャスティスに言う。
「ずいぶんと元気のいいお嬢さんだことね」
「うん。ぼくの100倍は元気だ」
「でも、それがあなたにはお似合いかもしれないわね」
 嫌味のない明るさがジャスティスの隣りにいてくれることは、ともすると陰鬱な家の中に眩いばかり
の光を与えてくれるかもしれない。
 レイチェルと手を取り合って二人でキャンプファイヤーでも囲んでいるかのように踊るフェイにも、
ローズマリーがほほえみを浮かべる。
 レイチェルが花火のような強烈な輝きを与えてくれるなら、フェイはランプのように暖かくてまどろ
む空間をくれる優しい光だ。
 ジャスティスとローズマリーは顔を見合わせると、いつもは考えられない楽しい騒々しさに笑みを浮
かべた。


back / 第三部 CODE:セラフィム top / next 
inserted by FC2 system