第六章 希望は優しさを、失望は隠された本性を




「今度一緒にピクニックにでも行かないか?」
 全員がくさいのなら気にするなと食べ始めたカレーだったが、奇跡のカレーのせいなのか異様にテン
ションの高くなったフェイとレイチェルがガツガツとカレーを食べながら提案した。
「賛成!」
 スプーンを咥えたままに立ち上がったレイチェルが手を上げる。
 そんなレイチェルを非難の色はないものの、驚いた目で見上げるローズマリーに気付き、ジャスティ
スが慌てて「落ち着いて」と声をかけて座らせる。
「そしたらまたこの奇跡のカレー作ってあげるからね」
「う、うん」
 酒でも入っているのかというテンションのレイチェルに、ジャスティスが引き攣った笑いを浮かべな
がら頷く。
「あ、なにその嫌そうな顔! おいしいでしょう。素直に認めなさい」
 レイチェルはそう言ってジャスティスのスプーンを取ると、「あーん」などとカレーを差し出す。見
事にスプーンから突き出したイカの足がポタリとカレーが垂らす。
 テーブルクロスが汚れるのを気にしてローズマリーをチラリと見たジャスティスだったが、目があっ
た姉が仕方ないじゃないと眉と肩を上げて見せる仕草にため息をつきつつカレーを口にする。
「おいちいでしゅか?」
 ごきげんな笑顔に頷き返せば、レイチェルがハイテンションの笑いで喜んでイスの上で飛跳ねる。
「……若いわね」
 それを眺めながら呟くように言ったローズマリーの声に、気付いたフェイがその顔を覗き込む。
「たいして年なんて変わらないだろ。マリーは精神的に老けて……」
 途中まで言いかけたところで睨み上げられ、フェイがやぶ蛇を突いてしまったと口をつぐむと誤魔化
すためのカレーを口にする。
「どうせ若々しさなんてないわよ」
 ローズマリーもカレーを口に運びながら不貞腐れて言ったが、やけに硬い固まりが口の中に転がり込
んできて口の動きを止める。
 眉を顰めて噛みしめれば、ゴリゴリと音を立てて噛み砕かれる。
「な、なに?」
 隣りにまで音が聞こえたらしく、フェイが不気味そうに聞く。
「ごぼうかしら………」
 ごくりと音を立てて飲み込んだローズマリーを、フェイが心配げに見守る。
「大丈夫か?」
「たぶん。でも、ピクニックに行って何か作るのなら彼女にはご遠慮願うかしらね」
「そ、そうだな。ミラクルはそうそう起きないからな」
 ローズマリーのグラスに水を注いでやりながら、フェイがもっともだと頷く。だが同時にいつもは面
倒がって行きたがらないローズマリーが、どうやらピクニックに行く気になってくれているらしいこと
に改めて気付いてにっこりと微笑む。
「なによ、その極上の笑みは」
 フェイのご満悦な笑顔に気付いたローズマリーが、横目でその顔を見ながら言う。
「いや、嬉しいなぁっと思って。マリーと過ごす大自然か。何してラブラブになるかな」
「ラブラブ?」
 かわいらしい疑問形というよりは、凄みを利かせた脅し系問いかけに、だがフェイは気にした風もな
くあれやこれやと呟きながら妄想の世界へと飛び立つ。
 ちょっと、何考えてるのよ! とローズマリーがその腕と掴んだときだった。
「そうですよ! ラブラブ大作戦ですよ。フェイさん、一緒にテンションの低いこの姉弟を天使の飛ぶ
お花畑で笑い転げる世界に導きましょう!」
 カレースプーンを天井に向かって突き上げながらレイチェルが叫ぶ。
 こちらはジャスティスとのラブリーデートを妄想していたらしい。
「よし! 二人で作戦考えるぞ!」
 乗りやすいフェイもレイチェルを真似ると立ち上がり、カレースプーンを掲げる。
 それを、ロウテンションズのローズマリーとジャスティスが唖然と見上げていた。
「作戦って、本来相手にばれないように立てるもんだよね」
 ぼそっと呟くジャスティスに、ローズマリーも頷いた。


 ラブラブピクニック大作戦と題して、リュックからノートを引っ張り出したレイチェルがジャスティ
スを巻き込んで声高に話し合っている。まるで生まれて初めての旅行の計画を立てるかのような興奮に、
二人は笑い転げて何かを書き込んでいる。
そんな姿は、見守るローズマリーには眩しいと感じるほどだった。
 あのテンションは今のわたしにはない。
 そっとその場の雰囲気を壊さないように部屋を後にしたローズマリーは、廊下に出ると自室に向って
歩き始めた。
 夜の闇に染まった窓に、自分の顔が映る。その顔が僅かに微笑んでいるのに気付いて、ローズマリー
は自分の顔に手を当てた。
 騒がしいなんて頭では思っていけれど、本心では思いのほかレイチェルという可愛らしい異分子の存
在を受け入れているらしい。
 頬を覆った手の下でいつもの真顔を取り戻すと、そっと歩き出す。
 だが後ろから腕を取られたローズマリーが足を止める。
「こっそりどこに抜け出していこうとしてるのかな?」
 ドアの向こうから半身だけを覗かせたフェイが、物陰から窺う鬼ごっこの鬼のように言う。
「別にこっそりじゃないわ。疲れたから休みたいだけ」
「ふ〜ん」
 ローズマリーが掴まれた腕を振り払って言うのを、聞いているのかいないのか分からない顔で頷いた
フェイが、当たり前のようにローズマリーの後について歩き出す。
 それに気付いて眉を顰めたローズマリーが、振り返るとフェイの胸を指さした。
「ちょっと、わたしは休むって言ったのよ。どうしてついてくるのよ」
 指先に力をこめてフェイの胸を押すが、動じた風もないフェイは仁王立ちしているローズマリーの肩
を掴んで体の向きを反転させ、ローズマリーの部屋に向って強引に歩かせていく。
「分かってますよ。俺の大切なお姫さまが安心して眠れるように、子守唄でも歌ってやろうかなって思
って」
「あんたの唄じゃ、悪酔いする船の中で脳みそ揺さぶられる気分になるわ」
「違う違う。心揺さぶられる美声だって」
 ローズマリーの毒舌になど、フェイはすでにばっちりと抵抗力を身につけている。
「どこが美声なのよ!」
 文句を言うローズマリーの代わりに部屋のドアを開けたフェイが、抵抗する体を部屋の中に押し込む。
 そして一応背後からジャスティスたちがついて来ていないのを確認して、自分もローズマリーの部屋
の中に入る。
 きっちりとドアを閉めて鍵を掛けて振り返れば、ローズマリーが怒った顔で腕組みして立っている。
「女の部屋に夜更けに入り込んで何する気?」
「ローズマリーが思っていることする気」
 ローズマリーに仁王立ちを真似して腰に手を当てたフェイが、胸を反らして宣言する。
 その後ろめたさも何もない開けっぴろげな態度に、さすがのローズマリーもため息をつく。
 それを見て怒られないことに気をよくしたフェイが、「オオカミだぞ!」と両手を振り上げてローズ
マリーに抱きつこうとする。
 だが、そんなフェイを待ち構えていたのは、暖かい抱擁ではなく以前も喰らった膝蹴りだった。
「ぐあぅぅぅぅ」
 股間を押さえて蹲ったフェイを見下ろしたローズマリーがフンと鼻を鳴らす。
「学習能力がないわね。いつか自分が言ったとおりに、大事なところが潰れてなくなっちゃうわよ」
「………マリーの鬼!」
 唸るフェイに笑いかけたローズマリーは、欠伸をしてベッドに腰掛けると、靴を脱いで布団の中にも
ぐりこむ。
「マリー……。服着たまま寝るの?」
 そう言ったフェイの頭目掛けて、ベッドの中からローズマリーが脱いだスカートやブラウスが投げつ
けられる。
「本当にもう寝るから出て行って。ついでに服はハンガーに掛けておいて」
 ベッドの中からした声に、服を頭から取ったフェイが恨めしげな目を向ける。
 恋人役はくれてやらないが、執事の役はやらすわけかい。
 だがそんな恨み言を思ってみても、ベッドの中にもぐりこんでしまったローズマリーはちっとも顔を
出さない。
 ああ、そうかい。さっさと出てけってことね。
 フェイは腹立ち紛れで立ち上がったが、惚れた弱みか、しっかり言いつけどおりにフックに掛かった
ハンガーにブラウスとスカートを掛ける。おまけに律儀に皺まで伸ばして。
「ご苦労さま」
 ハンガーが掛かる音を聞きつけてか、ローズマリーがお嬢様然とした声で告げる。
「どういたしまして、マリーお嬢様」
 意地悪く言い返したフェイだったが、ドアを開けると音も荒く閉める。
 そのドアの閉まる音に、ベッドの中からローズマリーがモゾモゾと這い出てくる。
 布団の中は暖かいが潜っているには息苦しい。
 はぁと大きく息をつき、三つ編みにしていた髪を解いて枕の上に広げると目を閉じた。
 窓の向こうから、レイチェルとジャスティスの笑い声が聞こえてくる。随分と楽しそうに話し込んで
いるが、ラブラブ大作戦とやらはうまく立てられているのだろうか。
 中庭を挟んだ向こう側にあるだろう二人の様子を思い浮かべて笑みを浮かべる。
 だがそんな賑やかなダイニングとは正反対に静まり返ったローズマリーの部屋の中で、微かに衣擦れ
の音がする。
「……?」
 閉じていた目をあけたローズマリーの足元を、不意に風が通り過ぎる。
 誰かいる!
 そう思った瞬間に、ローズマリーの足首が掴まれ、誰かが布団の中を這い上がってくる。
 見つかったらもうどうにでもなれという勢いで、網に掛かった動物並に暴れて布団の中を突進してき
てくる。
「ちょっと、あんたどういうつもり!」
 もちろんそんなことをするのはフェイ以外にいない。
 半身を起してベッドの脇に逃げたローズマリーに、布団から顔を出したフェイがイタズラ小僧のよう
に笑ってみせる。
「びっくりした?」
 だがその質問への返事は言葉ではなく、力いっぱいに打ちつけられた枕だった。
「もう子どもじゃないんだから、やっていいことと悪いことを見分けなさいよ!」
 頭の上の枕を退けながら、本気で怒っているローズマリーの声にフェイがそっと目だけを向ける。
 服は脱いでしまっているのだから当然だが、ブラジャーの紐だけが見える肩をシーツで隠しながら、
ローズマリーが怒っている。
 ほどいた髪のかかる首筋も腕も露わで、今まで見たこともない裸のウエストが目に焼きつく。
「……ごめん」
 ローズマリーの言うとおりに、昔と同じような子どもがする悪戯心の延長でしたことだった。
 ベッドの中でローズマリーが服を着ていないのも分かっていたし、あわよくば少しは恋人らしいこと
ができるんじゃないかなんて思いもなかったわけではなかった。
 それでも実際にローズマリーの半裸を目にすると、そこには子どもの悪戯では済まされない雰囲気が
漂っていた。
 ローズマリーも怒っていながら、半分フェイの行動に怯えていたし、自分も笑って謝れば済んでしま
うだろう軽い気持ちが、悪ふざけの男の子に気持ちから男の気持ちに変わっているのに気付いてしまう。
「ごめん。あんなこと言ったけど、本当にローズマリーに何かしようと思っていたわけじゃないんだ。
本当に悪ふざけで」
 ベッドから下りながら謝るフェイに、だがローズマリーが返事もなく布団の中にもぐりこんでしまう。
 だがこれも、ついさっき自分を部屋から追い出すための行動とは全く意味が違っていた。漂う空気が
違う。うるさい弟分をあしらっているのではなく、完全に同じ空気さえ吸っていたくない拒絶なのだ。
「出て行って!」
 ローズマリーの声が鋭く言う。
「……本当にごめん。でも俺。……本当にマリーのことが好きだから、いつだってキスしたいし、男と
してマリーの横にいたい」
 だがフェイの胸の内の告白に、ローズマリーの声が感情も露わに言い返す。
「今さら綺麗ごとなんていらない。どうせあんたもそこらの男と一緒で頭の中はセックスのことだけな
んでしょ。出て行ってよ! あんたなんて恋愛対象じゃないのよ。セックスどころかキスだってしたく
ないわよ!」
 胸に突き刺さる言葉に、フェイが顔をしかめる。
 だが言い返す言葉も見つけられず、フェイは部屋から出るためにドアへと重い足を運んでいく。
 そしてドアを開けると、動かないベッドに向って言った。
「マリー、ごめん。……好きになってごめん」
 静かに閉まるドアの音が、部屋の中ではやけに大きく響いて聞こえた。




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