第五章 素質ゼロ



 ジュージューと音を立てて鉄板の上で跳ねるソースを、白いヨダレ掛けのようなエプロンをかけたレ
イチェルが、ヨダレを垂らしてしまいそうな顔で見つめている。
「鉄板が熱いのでお気をつけください」
 ウェイターが言うのに愛想よく頷いたレイチェルだが、言っている内容が頭に入っているとは思えな
い早さでナイフとフォークを構えるとさっそく切り分けている。
 ナイフが沈んだメニューはハンバーグ。
 ジャスティスの財布の具合では豪華でボリュームのあるステーキはチョイスできず、量が多くて安い
ハンバーグに決定したのだ。
 目の前でそれを眺めるジャスティスは、レイチェルのセットメニューについてきたサラダとコーヒー。
 パンとステーキという徹底したご飯メニューをレイチェルが選択した結果だった。
 一口には随分と大きいハンバーグをフォークにさし、大きく開けた口の中に放り込む。
「うあ、熱い!」
 だが口に入れる直前で垂れた肉汁が顔に跳ね、レイチェルが顔を仰け反らせる。
「そんなに慌てて食べなくてもいいじゃん。誰も取らないんだから」
 のんびりと食事をするジャスティスには理解できない光景だった。
 もちろん男ががっついてメシを食うシーンは何度も目にしてきた。親友のフェイも腹を空かせている
ときの食いつきは見事といっていい。だが、一緒に食事をする女性といえばローズマリーで、作るのは
好きだが食べることにはあまりにも執着しない彼女は、沈黙の中で整然と小さく切り分け、思い出した
ように口に運ぶ。
 だが目の前のレイチェルは冷めるのが待てない様子で、ハンバーグをフウフウと息で冷まし、冷め切
っていないことは見え見えの固まりを、口に頬張ってハフハフ言っている。
「あつーーい。でも、おいしーーー」
 ほっぺたが落ちそうだと思っているのか、ナイフとフォークを持ったままで両の頬を手で覆う。
「……そんなにおなか空いてたの?」
 サラダのキューリをフォークで刺しながら尋ねれば、よく聞いてくれましたとレイチェルが大きく頷
く。
「さっきも言った通りに金欠でね。あと一週間ばかり10ドルで過ごさないとならないのよ。結構きつ
いでしょう? あとで困らないように最初から締めてこうと思って、昨日からろくに食べてないの。食
べたのは近所のパン屋さんで貰ってきた食パンの耳のフライと、学校で飲めるただの水」
 隣りのイスに置いてあるカバンを開けてレイチェルが取り出したのは、ビニール袋の中の砂糖をまぶ
したパンの耳揚げと、ペットボトルに入れられた水。
 ニシシシと笑ったレイチェルが、大事そうにその食料をカバンにしまう。
「いつもそんなんなの?」
 どちらかというと裕福に育っているジャスティスは、初めて目にした女の子の苦学生に、同情の目を
向ける。
 だがそんな目は必要ないと笑ってみせるレイチェルが、久方ぶりの肉の味を堪能してうっとりと目を
閉じる。
「貧乏だからこそ、こんなにハンバーグがおいしく感じる。幸せーーーって感動できる」
 確かにジャスティスには、ハンバーグ一つでこれほど幸せにはなれないと納得する。
「いつもはこんなに苦しくはないんだけどね。今月はちょっと出費が重なっちゃって」
「ふーーん」
 気持ちがいいくらいに鉄板の上のハンバーグがリズムよく消えていく。
 こんなに食べる子が、あんなパンの耳で満足できるのかな?
 実験とばかりに自分のサラダのトマトをレイチェルの口の前に差し出せば、パクンと口をあけたレイ
チェルに持っていかれる。
 餌付けみたいだ。
 聞かれれば怒られそうな感想を持ったジャスティスだったが、やはりこのまま放っておいたら餓死
しそうだという思いに至る。
「ねぇ、レイチェル」
「ん?」
 最後の一口を惜しむように味わうレイチェルが、肉の味に集中しながら目を閉じて返事をする。
「そんなにパンの耳ばっかり食べてたら体に悪いからさ。うちにご飯食べに来なよ」
 ジャスティスの一言に、動き続けていた口が止まる。
 閉じられていた目がカッと開かれ、肉がゴクっと音を立てて飲み込まれる。
「今、なんて言った?」
「だから、うちに夕食だけでも食べに来れば? ぼくのうち、二つ上の姉さんとぼくの二人だから、姉
さんに言っとけば一人分増えたくらい気にせずに作ってくれるし」
「お、お姉さん?」
 のんびりと机に頬杖とついて言うジャスティスの顔を凝視して、レイチェルがつぶやく。
「うん、姉さん。医学部にいるよ。今実習中で病院にいけば会えるけど」
 レイチェルは医学部にいるらしい白衣を着たジャスティスのお姉さん像を思い浮かべ、頭の中で試行
錯誤する。
 パンの耳とおさらばできるのは、願ってもないチャンスだが、同性はなかなか厳しい目を持っている
もの。ジャスティスの姉なら、同じようにおっとりしているのかもしれないけれど、弟の連れてくる女
にいいイメージをもたない姉もいるだろう。しかも、弟と二人暮しの姉などその典型に入る可能性大だ。
「ジャスティスくんのお姉さんって、どんな人」
「姉さん? う〜〜ん。怖い」
 ほとんど悩まずにされた返答に、ますます答えが詰まる。
「あ、姉さんの料理はおいしいから、そこは心配しなくて大丈夫だよ」
 やはりのほほんと論点のずれた指摘をくれるジャスティスに、レイチェルが腕組みして悩み始める。
 できれば行きたい。毎晩でも行きたい。だけど………。
 真剣に悩むレイチェルは、握ったままのフォークとナイフで服に染みを作っていることにすら気付け
ずに、眉間に皺をよせて悩みまくる。
 それを見ながら、ジャスティスが提案をする。
「そんなに悩むなら、姉さんに直接聞いてみればいいよ。明日一緒に病院に会いに行こう」
「え? 直接対決?!」
「対決?」
 想像図がそれぞれに異なることに気付かぬまま、二人のローズマリー面会が決定されるのだった。





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