第五章 素質ゼロ



 大げさなほどに包帯を巻かれた額に手を当てながら、ジャスティスは講義の終った講堂から歩き出す。
 あの三人組は謹慎処分をくらったらしいが、大学に来れなくてもそれを悔やむようなたまではない。
どうせ好都合と遊びまわっていることだろう。
 かえって包帯を巻いた姿で大学に来なければならないジャスティスの方が悪目立ちし、しかもあの天
才君は血が苦手らしいという情報がすでに回っているようで、今までとは違う揶揄する視線がついてま
わる。
「くそ! いい迷惑だ」
 ふて腐れた顔で外へと出たジャスティスだったが、上げた目線の先で見つけたものに立ち止まった。
 講堂の外に広がる緑の芝生の庭園で、一人の女がスカートを履いた姿であるにも関わらず、切れのい
いジャブを空中に向って打っている。放り出されたカバンの側には、細いピンヒールのサンダルが転が
っている。
 芝生で裸足になって拳を構えた姿が、ボクサーのように様になっていた。その片方の拳に包帯が巻か
れていた。
 短く切られた髪を空中にふわりと舞わせながらパンチを打つ女。それは昨日ジャスティスが目覚めた
ときに側にいてくれたあの女だった。
「………」
 今自分が魅せられている女が昨日の女と同一人物であると分かっても、ジャスティスはすぐに声をか
けることができなかった。
「あ!」
 だが女のほうがジャスティスに気付いて声を上げる。
 目があった瞬間に、今まで自分が見つめていたことに気づかれた気恥ずかしさで目をそらしたジャス
ティスだったが、次に目があった時にあまりに無邪気に微笑まれ、バカのように立ち尽くしたままその
顔を見つめた。
 その顔に女が拳を構えると、ジャブを打つ真似をしてみせる。
 ジャスティスの胸の内を、ジャブの衝撃波に似たショックが駆け抜けていく。
 腕に抱えていた教科書の束が、バタバタと音を立てて零れ落ちていた。


「オデコ大丈夫だった?」
 並んで芝生の上に座ったジャスティスの額を、女がチョンと突く。
 それにジャスティスはビクリと体を震わせる。
「あ、痛かった?」
「いや、あの」
 過剰なほどに緊張の面持ちで固まっているジャスティスを、女は目を丸くしてみていたが、すぐに口
の端を上げてにんまりと笑う。
「もしかして、わたしがあまりにかわいいから緊張しちゃってる?」
「え? あ、うん」
 ジャスティスの顔がカーと真っ赤に染まり、あまりに素直に顔を俯かせて頷く。
 それには冗談を飛ばしたつもりの女も、つられて顔を赤くする。
 二人の間を、明るいキャンパスには初々し過ぎる甘酸っぱい空気が流れていく。微妙な距離感で並ん
でいながら、お互いに手を握るでもキスを交わすでもなく俯いて座っているだけ。
 そんな二人を通りかかる学生たちが見るともなく見ながら通り過ぎていく。
「「あの」」
 ベタに二人重なった声に、顔を見合わせお互いに先を譲り合う。
 そして随分とお決まりの会話を交わしていることに気付いた二人が、顔を見合わせて笑い合う。
 ジャスティスは照れたほほえみで。
 女は大口を開けた高笑いで。
「まだ自己紹介してなかったよね」
 女は目に溜めた涙を拭うと、ジャスティスに向って手をさしだした。
「わたしレイチェル。趣味はボクシング」
 快活な笑顔で言ったレイチェルが、Tシャツの袖もめくって力こぶを作ってみせる。そこには男のジ
ャスティスでも負けそうな、筋肉の盛り上がりが出現していた。
「ぼくはジャスティス。きっと君にも腕相撲したら負けちゃうだろうな」
「ははは。かもね」
 男のジャスティスをたてるでもなく言い切る。が、そこに人を見下すような嫌味はまるでない。カラ
リと晴れ上がった夏の空のように清々しく、透き通っている。
「だってわたしの目標は男みたいに腹筋を割ることだもんね。今もね、縦横二つには割れてるんだよ。
みるみる?」
 レイチェルがそういって立ち上がろうとするのを、ジャスティスは慌てて止めた。
「いや、いい。っていうか、ここではいいよ。こんな人がたくさんいるところでおなか出さなくても」
 思いついたら周りが見えなくなる性格なのだろうかと、ジャスティスは冷や汗ものでレイチェルのT
シャツの裾を握る手を止める。
「あ、そうね。じゃあ、今度ジャスティスと二人きりのときにね」
 レイチェルは芝生の上に腰を下ろしながら意味深にウインクしてみせる。
「うん。二人のときにね……………。それって!」
 鈍い反応で顔を赤くして芝生に後ろ手をついて後退さるジャスティスを、レイチェルがからかいの含
んだ笑みが見下ろす。
「もちろんジャスティスくんがお望みならね」
 そう言ったレイチェルが、ジャスティスに向って手を差し出す。
 ジーンズ生地のミニスカートから伸びたスラリと長い足が、ジャスティスの目の前の伸びていた。
 ジャスティスは促がされるままにその手を握って立ち上がる。
「その前に、やっぱりデートでしょう」
 今までの男女逆転のような振る舞いが嘘であったように、腕を絡ませたレイチェルがジャスティスの
胸に頭を預けて見上げる。
「ジャスティスくん。おごって。今日お財布金欠でおなか空いてるのに、がまんしてたんだ」
 たかりじゃん、それ。
 デートと聞いて内心胸を高鳴らせていたジャスティスも、苦笑いに転じる。
「ダメ?」
 ここぞとばかりに可愛らしく小首を傾げてみせるレイチェル。
 ジャスティスが仕方なしと頷くのを見て、レイチェルがこれ以上ないという幸せな顔で笑う。
「食べ物の恨みは怖いっていうけど、逆もまたしかり。食べ物の感謝はこの上なく大きいの」
 レイチェルは伸び上がってジャスティスの頬にキスを送ると、絡めていた腕を引いて歩き出す。
「さあ、出発よ! おやつはステーーキ!!」
 豪快に手を空に向って突き上げるレイチェルに、引っ張られて歩きだしたジャスティスが微笑む。
が、次に言葉の意味を解釈した瞬間に顔が引き攣る。
「ステーキ? おやつがなんでステーキなの?」





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