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「色気のねえ水着だな」
 待ち合わせの夜中の3時半に川辺の石の上に膝を抱えて座っていた美紀に裕樹が言った。
「わたしに色気なんて期待しないでよ」
 痩せた体には胸もなければ尻もない。
 だが白く細い体は、目を惹き付ける美しさがあった。
 ショートパンツとタンクトップを組み合わせたようなピンク色の水着は、本来なら快活な女の子を演
出しそうだが、彼女の場合はどこかそんな女の子への憧れを滲ませたお嬢様な雰囲気があった。
「裕樹くんこそ、なんでそんなに大荷物なのよ」
 言われた裕樹はとぼけた調子で眉を上げて見せたが、背中の大きく膨らんだリュックと手に下げてき
たスーパーの袋を下ろすと手招きした。
「ほれ、見てみ」
 スーパーの袋の中を覗いた美紀が途端に笑顔になる。
「すいかだ」
「川の水で冷しといて、あとで食べるべ」
「うん」
 裕樹は袋ごと川の流れに浮かべると、石で囲んでスイカのプールを作る。
「そんでおまえ、泳げるの?」
 振り向いて言った裕樹に、美紀がうなずく。
「でも小学校以来プール入ってないからね、不安」
「ふーん。そんなことだと思ったよ」
 裕樹はそう言ってリックのところまで戻ると、なにかを取り出して美紀の前に笑顔でかざした。
「浮き輪。妹のかっぱらってきた」
「用意いいね」
「おう」
 裕樹は黄色い空気入れで浮き輪を膨らませると、美紀の頭にかけた。
「妹のだから小さいけど、美紀ちゃんにはちょうどいいだろ?」
 美紀は頭から被った浮き輪に腕を通して腰まで下げる。
「ちょうどいいかも」
 笑顔でくるくると回って見せる美紀に、裕樹が爆笑する。
「色気どころか、なんか小学生みてえ」
「うるさい!」
 どんと胸を叩かれ、裕樹は笑いながら胸を押さえて蹲った。
「もう、いいもん。一人で泳ぎに行っちゃうから」
 川へと歩き出す美紀に、裕樹が悪い悪いと後ろから駆け寄った。
「こんな小さい川だけど、バカにすると怪我するからさ、ちゃんと俺に聞いて入ってよ」
 裕樹は真面目な顔で言うと、美紀の手を取った。
「え?」
 いきなり手を握られた美紀は声を上げた。
「え? って?」
 言われた裕樹の方は、何を戸惑っているのかという顔で振り向いて首を傾げる。
 夜目で見えないが、幾分赤い顔で俯いた美紀に、裕樹は変な奴と思いつつ川へと入っていった。
「ここら辺は流れはないけど深いからな。気をつけて」
 先に水の中に入った裕樹がドボンと沈むと、たしかに胸の半分以上まで浸かっていた。
 美紀は裕樹に手を取られ、ゆっくりと水の中に足を入れる。
 足を進めると、途端に深くなった川床に、分かっていながら一瞬焦った美紀だったが、浮き輪がふわり
と美紀の体を支えてくれた。
「冷たくて気持ちいい」
 自然にわいた笑顔で後ろにいる裕樹を振り返ろうと足をばたつかせれば、裕樹が後ろで浮き輪を回し
てくれる。
「いつもこの川で泳いでるの?」
 一度頭まで潜ったのだろう、髪の毛の張り付いた顔で笑っている裕樹に、美紀が聞いた。
「ま、いつもは昼間だけどよ。夜は初体験」
 そう言って水の上に浮かび上がった裕樹が、空を指差す。
「星がたくさん出てるぞ」
 美紀も上を見上げて声を上げる。
「うわ、キレイ。初めてこんなにたくさんの星が出てるのみたかも」
「夜中で点いてる照明の数が少ないからな」
「夜の寝ている時間に、こんなにたくさん楽しいことがあったんだね。今まで損してた気分」
 この時を満喫しようとしているのか、美紀はさかんにバタ足をして水しぶきをあげながら、川の中を
泳ぎを覚えてばかりのアヒルの子のようにヒョコヒョコと進んでいく。
「おい。あんまりそっち行くと、流れが激しいぞ」
 そう言った途端に、途端に体が傾いた美紀が、川の流れに足を取られて水の深みに落ち込んだ。
 浮き上がった美紀が、必死な顔で側にあった岩につかまった。
「助けて! 裕樹くん。流されちゃう」
「だから言わんこっちゃないってのに」
 裕樹はクロールで美紀の側まで泳いでいくと、美紀の岩に掴まっている腕を取った。
「離さないから、岩の周りをこっちに歩いて来て」
 恐る恐る岩から手を離した美紀が、岩に足を着けながらゆっくりと歩いてくる。
「岩がぬるぬるしてて気持ちわるい」
「それはしょうがない。かえるの死体だったりして」
 意地悪な想像で言った裕樹だったが、途端に足を踏み外した美紀が悲鳴を上げ、岩に足を引っ掛けて
転がった。
「おい!」
 明らかに膝を岩にぶつけた美紀が、痛そうに顔を顰めている。
 慌てたのは裕樹の方だった。美紀の手を握ったまま岩の上に攀じ登ると、膝を手で抑えた美紀を水の
中から引き上げた。
「怪我したのか?」
「わかんない。でも痛い」
 ヘタなつくり笑いで見上げてくる美紀を、裕樹はその場に残すとリュックのところまで川の中を泳ぎ
きり、リュックを手にすると頭に乗せて美紀も元に戻ってくる。
「ちょっと見してみ」
 懐中電灯で美紀の足を照らすと、岩ですりむいたのだろう、血が滲んでいた。
「うわ、ゴメン。怪我さしちまった」
 大慌てでリュックの中をあさり出した裕樹に、美紀があ然とした顔を向ける。
「別に裕樹くんのせいじゃないから。それにこれくらい大丈夫だから」
 だがそんな言葉は耳に入っていない様子で、リュックから消毒薬とばんそうこうを取り出す。
「ああ、どうしよう。バンソウコウ張りたいけど、水に入ったら剥げちゃうし」
 怪我した本人よりもパニックになっている裕樹に、美紀はその手を握った。
「わたしは大丈夫だから。体弱くたって、このぐらいの擦り傷で死なないからね」
 暖かい手に触れ、我に返った裕樹は申し訳なさそうに美紀を見下ろした。
「本当にごめん」
「もう、謝らないで。それに、わたし裕樹くんが思ってるほど弱くなんてないからね」
 美紀はそれを証明しようというように岩の上に立ち上がると、スイカを指さした。
「怪我はしちゃったけど、食欲は旺盛にあるの。スイカ食べたい」
 笑顔で食べさせてよと手を引く美紀に、裕樹は頷く。
「俺、美紀ちゃんのこと背負って泳いでいくよ。だから美紀ちゃんはこのリュック濡らさないように持
っててよ」
「うん。お安い御用」
 水の中で裕樹の背中に乗った美紀は、あまりに近くに感じる裕樹の体温に思わず身を固くした。
「いいか? 行くぞ」
 美紀の体重の分、体を水の中に沈めながらも器用に泳いでいく裕樹の背中で、美紀は火照った頬を川
の水で塗らす。
「ちょっと刺激が強いみたい」
 小声で呟いた美紀に、裕樹が「何?」と叫ぶ。
「なんでもないよ」
 美紀は裕樹の後頭部にむかって叫ぶ。
「ただちょっと、裕樹くんがあまりに近くにいるから」
 だがそのつぶやきは、裕樹の耳には届かなかった。

「はい、どうぞ」
 手渡されたやけにデカイスイカに、美紀は目を丸くした。
「こんなに食べたらおなか壊しそう」
「壊せ、壊せ。どうせ、夏休みだ。ピーピーになってもトイレに篭ってればOK」
 そう言った裕樹が持ったのは、美紀の倍はありそうなサイズのスイカだった。
 四分の一のスイカを二人で半分こな上に、石の上に落として裕樹が適当に割ったので、不恰好に割れ
たスイカだった。
「いただきます」
 美紀は大きな声で言うと、スイカに齧りついた。
 シャキッといういい音を立てて、手からスイカの雫を滴らせる。
「あま〜い」
「だろ? うちのじいちゃんの傑作だ」
 裕樹もど真ん中から顔を埋めるようにしてスイカに齧りつく。
「じいちゃん、農業の天才」
 頬に種とスイカの果汁をつけた笑顔を見せる裕樹に、美紀は首に巻いたタオルでその顔を拭いてやる。
「子どもみたい」
「だって子どもだもん」
 別に子ども扱いされることなど気にした風もなく、ふたたびスイカに齧りつく。
「もう、何度拭いたってきりがないじゃん」
 口の中から勢いよくスイカの種を吹き飛ばす裕樹を見ながら、美紀が言う。
 だがその様子があまりに楽しそうで、一緒になってスイカを大口で齧り、口の残った種を噴出す。
 だが裕樹のように勢いよく飛ばない種は、ポタっと膝の上に落ちてしまう。
「下手だな」
「悔しいなぁ」
 再びチャレンジしてやっと数センチ飛んだ種に、美紀が笑顔で裕樹を見た。
「今の見た? 飛んだね」
 こんなことではしゃぐ美紀に、裕樹は頷きながら笑う。
 そしてふと思い出したことを実践してみせた。
 食べ終わった部分のスイカを割ると顔に擦りつけた。
「何してるの?」
「スイカの皮って、肌にいいらしいぞ」
「へえ〜、豆知識だね。でも裕樹くんがお肌とか言うと笑える」
「お、バカにしたな。俺だって、お肌の手入れぐらいするし」
「うそ」
「本当だって、毎朝顔洗って、母ちゃんのハンドクリーム塗ってるし。ユースキンっていう黄色くてち
と臭いけど、効き目ありそうなやつ」
「でも、それはハンドクリームでしょ?」
 スイカを抱えたままおかしくてしょうがないとおなかを抱えて笑い出した美紀に、裕樹が憮然とする。
「手のお手入れだって兼ねてるんだから、一石二鳥じゃん」
「はいはい」
 返事を返しつつ、美紀の頭に浮んでいるのは、お風呂あがりのピカピカと血色のいい顔に、辺りを見
回しつつ、こっそりとハンドクリームを顔に塗ってテカテカにしている裕樹の姿だった。
「本当に効いてるんだからな。だからニキビもできないし」
 笑い続ける美紀を横目に見ながら言って、再びシャクシャクと音を立ててスイカを食べ始める。
「裕樹くんって、本当におもしろいね。わたしこんなに笑ったの久しぶりだよ」
 まだ発作のように笑いが起こるのを押し殺し、美紀が言った。
「それはようございましたね」
 おもしろくなさそうに言った裕樹だったが、食べきったスイカを小さく折って美紀の顔に塗りつける。
「ヤダ、止めてよ」
 スイカを持ったままなので不器用に抵抗しつつも、抑え込まれた顔にスイカを塗りたくられ、ギュッ
と目を瞑ったまま笑っていた。
「よし、これでおまえも美人だ」
 裕樹が言ってスイカを投げ捨てた。
「おまえ、夏休みって計画あるの?」
「夏休みの計画?」
 スイカの汁まみれになった顔をタオルで拭きながら、美紀が首を傾げる。
「中学生最後の夏休みじゃん。どっか行ったりさ」
「…わたし、こんなんだから友達いないしさ、夜に出かけてくれるのなんて……裕樹くんくらい?」
 俯き加減にエヘヘと笑ってスイカを齧りつつ言う美紀に裕樹が宣言した。
「よし、俺がいいところに連れて行ってやろう。夏休みの思い出作りだ」
「いいところ?」
 裕樹は白い歯を見せて笑う。
「決行は1週間後な。それまで体調を整えておけよ」
 集合はまたしても夜中の3時。
 真夜中の旅行が決定されていた。

 


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