1

     

 パチっと目が開く。
 真っ暗な闇の中で数を数える。
 1、2、3
 途端にピピピピと鳴り出した携帯のアラームに、枕もとの携帯を手にとりアラームをきる。
 携帯の液晶が映し出す時間は午前3時。
 蛍光灯の明かりをつける。
 途端に灯った明るい光に目がくらみ、眠い目を強く刺激する。
 裕樹は眩しい光に目を細めつつ、勢いよく起き上がるとべットの下に用意していた靴とリュックサッ
クを手に取った。
「ミャー」
 突然足元でしたネコの鳴き声に「シー」と口に指を立てる。
「ちょっくら出かけてくるけど、おまえは留守番な」
 言いつけるぞという顔をしているチャトラのネコ、チャー助の頭を撫でてやると蛍光灯の引き紐を延
長するために結んだ靴紐を手に取った。
 窓を開け放ち、口にくわえた懐中電灯で足元を照らす。
「じゃあな」
 裕樹を靴紐を引いて電気を消すと、窓から飛び降りた。
 真夜中の逃避行。
 密かな彼の夏の楽しみだった。
 静かに夜の庭を走りぬけ、自転車置き場に向かう。
 すっかり寝静まっている家をチラリと振り返り、裕樹はにやりと笑う。
 誰も知らない彼の楽しみ。
 ただ庭でしっぽを振って自分を見ている犬のシロさんだけが、秘密を分け合う相手だった。
 颯爽と夜露にぬれた自転車に乗り込む。
 ひんやりと冷えた夜の空気を切り裂き、裕樹は一路学校へと向かっていくのであった。


2

  

 青い空と白い入道雲。
「入道雲ってさ、ふんどし姿でボディービルダーが筋肉むきむきにして見せてるみたいに見えねえ?」
「は?」
 体育の水泳の最中に空を見上げて言った裕樹に、親友の正樹が怪訝な顔をしてみせる。
「気持ち悪いこというなよ。ふんどしのボディービルダーだ?」
「裕樹はムキムキのおホモだちが欲しいのか?」
 後ろから話しを聞いていた聡が、裕樹の首にヘッドロックをかけながら叫ぶ。
「お前こそキモイこと言うな!」
 裕樹はヘッドロックをかけてくる聡の腕を掴むと、背中で担ぎ上げて水の中に投げ飛ばす。
「ぎゃーはははは」
 盛大な笑いを上げて水の中に水没していった聡を水の中から見上げる。
「裕樹!」
 水面に浮上した裕樹を呼ぶ正樹の声に振り返れば、プールサイドに上がった正樹が手を上げていた。
 と、背を向けた正樹が水着を尻の割れ目に挟み、ふんどしスタイルを作ると、ボディービルダーのよ
うに格好だけは決めてみせる。
「どう?」
「まじキモイ」
「正樹、尻白い!」
「俺ってもち肌なのーー!!」
 ふざける三人に気付いた体育教師が「真面目にやれ!」と叫んでいる。
 正樹は勢いをつけてプールに走りこむと、大しぶきを上げてプールに飛び込む。
 大波を頭から被った裕樹は、塩素くさい水を飲み込みながら自分の側に落ちてきた正樹の背中にけり
を入れた。
「ふざけんな、てめえは!」
 笑いながらも、まずい水に顔をしかめる。
「そこ、真面目にやらんとバタフライ1000メートルやらすぞ!」
 真っ黒に日焼けした体育教師に指さされ、「すいませーん」と反省の色もなく声をそろえる三人。
 そのとき、裕樹はふと視線を感じて顔を上げた。
 プールを見下ろす校舎の窓に一人の女の子が立っていた。
 長い黒髪と白い肌が、まるで日本人形のような女の子だった。
「なあ、あいつ誰?」
 泳ぎ出そうとしていた正樹に声をかける。
「誰? ああ、3組の水野」
「水野?」
「なんか体弱くて外に出れないんだと。不幸だよな。このくそ暑いときにプールに入れないなんてさ」
 他人事のように言うと、正樹は真面目にクロールで泳いでいく。
 裕樹はもう一度女の子を見上げた。
 真夏の強い陽射しとのギャップで闇に落ちた教室の中で、白く発光しそうな少女が、赤いゼラニウム
の花の向こうでやけにリアリティーに欠けた存在に見えた。
「ま、関係ないか」
 裕樹は先を行く正樹の後を追うと、陽光揺らめくプールの中を泳ぎ出していくのであった。






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