「恋は春の眠りも許さず」

  
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 春先の夏を思わせるほどの気候。小夏日和とでもいうのか。  自転車を精一杯に漕ぎながら、顔中に汗を浮べキツイ大根坂を登っていく。  タイタンを先導するように前を舞っていく紋白蝶に、負けてなるものかとペダルを踏む足に力をこめ る。  土曜の午前8時。休日の朝の高校の校舎には、部活に訪れた生徒のいつもよりも解放感に溢れた声と 眠気を抱えたまったりとした空気が漂っていた。  今回はちゃんと指示があって来たのだ。びびることはないぞ!  自分にそう言い聞かせ、タイタンは自転車を止めることなく校門の中に乗り込む。  銀杏並木を駆け抜け、ランニングをする陸上部のお兄さんたちの横を一気に抜ける。 「正門を入って右にちっさい駄菓子屋があるから、その前で待ち合わせね」  東門のすぐ横にある店を見つけ、タイタンが自転車から足を下ろす。  昨日の夜にさくらからきた電話に、タイタンは鼻血が出るかと思うほどに興奮し、あまりの興奮にか き込んだ夕飯のうどんが鼻から出てきてしまったほどだった。 「……あれは痛かった」  自分の失態を思い出し、絶対さくらには見せられない姿だったと顔を赤くする。  片足で自転車を支えて立つタイタンだったが、不意にかけられた声に振り向いた。 「おい、少年」  さくらでも美佳でもない女の声に、顔を見た瞬間にタイタンが顔を顰めてファイティングポーズをと りたくなる。 「さくらさんの敵!」  腰に手をあて、憮然と自分を見下ろす舞子に自転車が倒れるのも構わずに飛び降りる。 「なによ。別にあんたみたいなお子ちゃまを襲って食っちゃったりはしないわよ」  私服の短いジーンズのスカートからでた足を開いて仁王立ちしながら、舞子が言う。 「モップ洗いの手伝いに来たんでしょ?」 「……そうだよ。おまえも?」  言ったタイタンの頭が、スコンと音を立てて舞子に叩かれる。 「年上のお姉さまに向ってお前はないだろ」 「……だって名前知らないし、さくらさんの敵だし」  痛みに顔を顰めて頭を抱えるタイタンが、涙目で舞子を睨みつける。 「敵、敵ってさっきから失礼な奴ね」  舞子は顰めた眉間でタイタンを睨んだが、一歩を踏み出すとタイタンの倒れた自転車を手に取った。  その動きに一歩後ろに飛びのいたタイタンだったが、思いの他優しい動作で自転車を起してくれた舞 子がスタンドを立ててくれる。  それを意外そうに口を開けて見ていたタイタンに、舞子が挑むような視線のままに言う。 「さくらが好きなんだって?」  冷やかすでもなく、からかうでもなく、タイタンには怒っているようにしか見えない舞子の顔がじっ と自分を睨んでいることに、一瞬逃げ腰になるが、腹に力をこめて真っ直ぐに立つと、自信たっぷりに 「うん」と頷く。 「ふーん。……じゃあ、ちゃんとさくらのこと自信つけさせて上げなさいよね」 「………?」  搾り出すように出された舞子の言葉だったが、言われたほうのタイタンは、意味がわからないと首を 傾げるだけだった。  きょとんとした子どもそのものの顔に、舞子の顔が苦汁を舐めたようにしかめられる。 「ああ、だからお子様はさぁ」  舞子は苛立たしそうにそう言ってから、だんだんと足音高くタイタンに近づいた。  そしてポケットから一枚の写真を取り出す。  そこには目の前の舞子にそっくりな、だが別人のように太った暗い表情の少女が写っていた。 「これ、わたし」 「え、ええーー!!」  舞子の顔を凝視してタイタンが驚きの声を上げる。 「その驚きは褒めなんだと受け取っておく」  舞子はさっと写真をポケットに戻すと、タイタンに告げた。 「わたしもこんなだったから、太ったままで安穏と自信なげなくせに現状に甘んじてるさくらが、見て いて苛つくのよ。別に痩せろなんて言わない。太っててもいいんだって自分で思ってるなら、もっと自 信持てっていうの」  溜まっていた思いを吐き出した舞子は、ふと顔を上げ、思わぬ人物の姿に焦った顔で目をそらすと、 最後の一言とタイタンに指を突きつけた。 「だから、あんたがちゃんとさくらのいいところを一杯言ってあげて、さくらに自信もたせなさいよね」  それだけ言うと、脱兎のごとく背を向けて走り去っていく。 「おい、おまえはモップ洗いしないのか?」  叫ぶタイタンに、舞子が振り向きもせずに叫ぶ。 「デートの前に、そんなきっちゃないことやってられないわよ!」 「ふん。やつがモップ洗いなんてしないのは計算済み。だからおまえに手伝わせるんだから」  後ろから現れた美佳の声に、タイタンが顔を上げる。  そこにあったのは、舞子に今まで向けていたのとは違う、柔らかな視線だった。  100枚以上重ねられたモップと悪戦苦闘すること4時間。  すっかり痛くなった腰を伸ばし、空腹を訴える腹の虫を抑えながら、さくらがタイタンと美佳に頭を 下げる。 「お手伝い、ありがとうございました。すっごく助かりました」  そう言ってさくらは背中のリックサックの中から大きな包みを取り出す。 「感謝のしるしとして、お弁当作ってきたんだ」  美佳とモップ洗い競争なるものをしていたタイタンは、頭までびっちょりの状態だったが、本当に嬉 しそうな笑みを浮かべてさくらを煌めく瞳で見つめる。 「さくらさんの手料理!」 「手料理っていっても、おにぎりと卵焼きとかだけだよ。あとタコさんウインナーとか」  指折り言うさくらだったが、うっとりした顔のタイタンは今にもヨダレをたらしそうだった。 「で、そういうおまえはちゃんと試験に合格できるだけのもの用意できてるんか?」  後ろからタオルを頭に被った美佳が近づき言う。  その美佳を振り返ってみたタイタンが意味ありげに上目遣いで不気味に笑う。 「まかせとけ」  腹減ったと文句を垂れ続ける美佳は無視で、タイタンが緊張した顔でさくらを先導して歩いていく。  高校のある街中から自転車に乗ってさくらたちの地元に戻った三人。  もちろんさくらを自転車に乗せて男気も見せたのはタイタンだった。  タイタンの腹も先ほどからグーグーと音を立てているが、本人は緊張のあまり耳が聞こえないのか、 ロボットのようにギクシャクと歩き続けるだけだった。  小学校の裏山の林道入り口に自転車を置き、さくらの手を握って歩き始める。  見た目は弟がお姉ちゃんと手を繋いでハイキングだが、真剣そのもののタイタンの手は汗でびっしょ りだった。 「あ、さくらさんはちょっと待ってて」  不意に足を止めたタイタンはさくらにいうと、後からしんどそうに山道を登ってくる美佳に早くと手 招きする。 「あ? なに?」  親父のように首にまいたタオルで汗をぬぐう美佳だったが、自分の仕掛けがさくらに気に入ってもら えるか、心臓ばくばくだと顔に書いてあるタイタンに、意地悪く笑みを浮かべている。 「さくらさん待っててね。すぐ来るから」 「うん」  笑顔を浮かべてタイタンを見たさくらだったが、タイタンから返ってきたのは緊張しすぎて顔が強張 って歪になった笑みだった。  タイタンが美佳の背中を押して上っていく。 「あの子、美佳と結構息があってるよね」  面倒くさそうにしながらも、タイタンと戯れることを楽しんでいる美佳が手を振って山道を押されて 上がっていく。  そしてしばらくすると、タイタンが走ってさくらの元に戻ってくる。 「さくらさん、目、つぶって」 「目を?」 「うん」  息を弾ませ言うタイタンに、さくらは素直に目をつぶる。  すると両手を繋いだタイタンがゆっくりとさくらを先導していく。  急な山道を小石があるよとか、根っこに気をつけてと親切に誘導してくれるタイタンを信頼し、さく らはゆっくりと山道を登っていく。  そして足元が平らになったかなと思ったところで、タイタンがさくらから手を離した。 「目、開けていいよ」  タイタンの言葉に、さくらは目を開けた。  そこに広がっていたのは、ピンクの色濃い八重の山桜と、その足元に広がる一面の菜の花だった。  見渡す限りをピンクと黄色、そして空の薄い水色が覆う。 「うわ〜〜。キレイ」  さくらが感激の声を上げる。  そのさくらの前に、美佳がとびきりの営業スマイルを浮べ、なぜかかすりの着物姿でうるしのお盆を 持って現れる。 「お嬢様、本日わたくしがお嬢様専属の召使に選ばれちゃいましたので、よろしく」 「え?」  唖然とするさくらに、美佳が営業スマイルを一瞬で消して言う。 「そこの餓鬼の演出だとさ。ここでさくらとお見合いするんだと」  芝生の上にひかれたビニールシートの上で、タイタンがさくらを手招きする。 「さくらさん、どうぞ、ここ!」  タイタンは一枚だけ座布団を敷くと、そこにさくらを座らせる。 「おーーーい、召使さん、お茶をお願いします」  タイタンが調子にのって叫ぶ。 「はいはい、ただいま」  まったく笑みのない顔でお盆にお茶と菓子を載せた美佳がビニールシートの脇まで歩いてくると、目 のあったさくらに苦笑を浮かべてみせる。 「ウルトラマンの水筒に入っていた緑茶と、きんつば&桜餅でございます」  美佳の意地悪な物言いに眉をしかめたタイタンだったが、すぐにさくらを必死な顔でみつめる。  そして見つめられたさくらは、美佳から受け取った和菓子を見て「あ!」と声を上げた。 「これ鶴亀堂の幻のきんつば!」  そう叫んださくらは、だがその隣りにある少し不恰好に歪んだ桜餅にも目を奪われじっと見つめた。  売り物の桜餅ではない。  皮は円形には程遠くていびつに歪み、中のあんこも皮やさくらの葉にこびりついていたりする。 「もしかして………タイタン作?」  上目遣いで目の前の少年を見れば、照れた顔で頷く。 「鶴亀堂って、うちのじいちゃんがやってる店なんだ。だから、じいちゃんのお菓子を大切に幸せな顔 で食べてくれるさくらさんが気になって見てたんだ。そしたら、もうさくらさんのかわいい笑顔が目に 焼き付いて消えなくなっちゃって……」  顔を真っ赤にしてされる告白に、さくらも自然と頬が熱く上気していく。 「さくらさん、和菓子大好きなんでしょ? だからじいちゃんに習って作ってみたんだ。じいちゃん厳 しくて、何度も怒られながらだったけど、なかなかうまくいかなくて」  いびつな桜餅を見て、タイタンが笑う。  だがタイタンは、目の前のさくらの顔を見て笑顔を消す。 「え? なんで?」  さくらが目を涙でいっぱいにして潤ませていた。 「嬉しい! こんなに素敵なプレゼント、はじめて」  さくらは桜餅を手に取ると、じっと見つめてから口に含んだ。  緊張の一瞬と見守るタイタンの前で、さくらが満面の笑みを浮かべる。 「おいしい」  目からこぼれた涙が頬と伝う。 「あ、でも幻って言われてるじいちゃんのきんつばの方が」 「ううん。今日の一番のごちそうはタイタンの桜餅。これ以上においしいものはこの世の中にないよ」 「え?」  感動するほど喜んでくれているさくらを、タイタンは呆然とした顔で頬を染めて見入っていた。  その後頭部を叩いた美佳が、ウッと前につんのめったタイタンを見下ろす。 「ま、合格なんでないの?」  そう言って美佳も春爛漫と咲き乱れる桜の花びらのシャワーを浴びながら伸びをする。 「最高の穴場花見スポットだな。タイタン、よくぞ見つけた!」  美佳の褒め言葉にえへへと得意げにタイタンが笑う。  そして偉そうに自分用の桜餅を美佳の前に差し出す。 「おい、おまえにもくれてやるぞ」 「あ? くれてやる?」  偉そうな物言いに、片眉を上げて見せた美佳だったが、普段は口にしない甘い桜餅を手に取ると、一 口で頬張る。 「う〜ん、ん? 結構うまい?!」  つぶやく美佳に、タイタンが自慢げに胸をそらす。 「じゃあ、さくらの弁当でピクニックといきましょうか」 「おう!」  ビニールシートの上で勢いよく立ち上がったタイタンが飛び上がる。  その姿に笑いをこぼしたさくらだったが、「あ!」と声を上げるとタイタンに後ろを指差した。  一面の菜の花の中で、少し背の小さな菜の花と寄り添って咲くたんぽぽの花があった。  風に揺られ、顔を寄せ合いキスを交わすように触れ合っている。 「お花のカップルね」  タイタンの隣りでビニールシートの上で四つんばいになって花を見つめていたさくらが言う。  すぐ横にあるさくらの笑顔に、タイタンはどきまぎした顔でうなずく。  その頬に、さくらはそっと顔を寄せるとほんの一瞬のキスをした。 「え?」  タイタンが目を見開いて固まる。 「おーおー、お熱いことで。ここにもカップル成立か?」  勝手にさくらの弁当からタコさんウインナーをつまんで口に入れた美佳が言う。 「あ、勝手に食うな!」  照れ隠して叫ぶタイタン。  その横で口を開けて朗らかに笑うさくら。  そして、手をつないで寄り添うライオンとラフィーが、恋の花を咲かせ始めた二人を応援するように 見つめていた。                                                                             《 end 》
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