「灼熱の太陽をこの手に掲げ」




5 ちょっと苦手な海の味
 手にした小さなつつみを開き、浜辺に腰を下ろすとポケットから相棒のホイールを取り出す。 「ほら、今日の戦利品。遅い昼飯にしような」  吹き付ける潮のにおいのきつい風に髪を乱されながら、ジョリーは手に乗せたころころと太ったネズ ミ"ホイール"に声をかける。  そして口にしたケーキクッキーの欠片を分けてやれば、キーと喜びの声を上げて両手に抱えて食べ始 める。  それを笑顔で見ながら、もう一つとつつみから摘み上げて口の中に放り込む。  これが今日のジョリーの労働の戦利品だった。  学校も海賊亭も休みの今日は、仕事をみつけるのも一苦労な、月に一度の安息日だった。  毎年の実りと船旅の安全を神様に祈る一日が、今日だった。  安息日には、仕事をしてはならず、一日神様がしてくださったことに感謝して過ごす日になっていた。  だから学校もお店もお休みで、みんなが家などで思い思いに過ごす。  もちろん、すでに形ばかりの行事と化している安息日だったので、誰もが家にこもってお祈りを捧げ ているわけではない。  今ジョリーが座る浜辺には、たくさんの親子連れやカップルが波打ち際で遊んでいる。 ―― 神様が仕事ばかりしてないで、家族で過ごしなさいって日ってことでOKか?  もらったケーキクッキーをボロボロこぼしながら眺めるジョリーだったが、膝の上にはきちんと掃除 を手際よくこなすホイールがいるので大丈夫。  今日の仕事は街のはずれに住むおばあさんの家で、ひとり暮らしのおばあさんの家の庭の掃除が今日 の仕事だった。  草を刈って、庭の花を植え替えてやり、前の花から種を回収するのはオマケでしてあげた。  目の見えないおばあさんだが、毎月この時にはジョリーが尋ねていけば必ず安い賃金ではあったが、 必ず仕事をくれた。  そのうえ嬉しいのは、ジョリーが仕事をしている間に必ず何かを作ってお駄賃と一緒におやつとして くれることだった。  今日のほんわかとしたクッキーにはレーズンとくるみがたくさん入っていて、たまごの匂いがおばあ さんの手の匂いと同じだった。 「はい、ちょっとしか上げられなくてごめんね」  そう言って手に数枚の硬貨を乗せてくれる。  その皺だらけだけど、柔らかくて暖かい手の匂いがする。  ピンクのキッチンペーパーに包まれたケーキクッキーの最後の一つを口に放り込み、ごちそうさまと、 目の裏のおばあさんに頭を下げる。  目を前に向ければ、白い水しぶきが逆巻く泡となって海岸に押し寄せ、ついさっきまで小さな男の子 が作っていた砂のお城を崩していく。  その男の子は、今は少しはなれたところで、母親らしき若い女の人に手を引かれて歩いている。  天気は極上の晴天で、どこまでも青い空が滑らかな磨り硝子のように覆っていた。  その空を見上げて、砂浜に寝転がれば、ホイールも寝場所を確保しようと動き出し、ジョリーの顎と 首の間に丸まる。  茶色い小さな固まりが呼吸で膨らんだり縮んだりするのを見下ろしながら、ホーとため息をつく。  今日も、あの掃除のお駄賃だけ帰るわけにはいかないのだが、これ以上血眼になって仕事を探す気力 がなかった。  一軒一軒家を回って「仕事ありませんか?」と聞いて周ったところで、胡散臭い顔で、まるで犬でも 追い払うように「シッシ」と手を振られるのが落ちなのだ。  もちろんそんな扱いには慣れている。でも、それに堪えられる日と、堪えられない日があるのだ。  そして今日はその堪えられない日だった。  今日は朝から母さんの咳がいつもにも増して酷く、お医者さんを呼ぼうとしたのに、呼ばなくていい と頑なに首を振る姿を目にしたせいかもしれない。  お医者は呼べば来てはくれるが、文句の一言もなしに来るわけではない。  治療費がすぐに払えないことを知っているからだ。 『あんな尻軽なことをしでかすから、しなくていい苦労をするのよ』  医者についてきた看護師の女が、帰り際に医者に耳打ちするのを聞いたことがあった。  それ以来、ジョリーも医者を呼ぶのが嫌だった。だが、嫌だとばかりは言っていられない。そんなジ ョリのーの気持ちで母さんの病気が治るわけではないのだから。  つい胸のうちの溜まった澱のような淀んだ息を吐き出すように、深いため息が漏れる。  その息につられてホイールの体も顎の下で上下し、ふんわりした毛が優しく撫でていく。  その柔らかなに笑みが浮ぶ。 「ジョリー、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」  不意に頭上からかけられた声に目をあければ、麦藁帽子を被ったチェスナットの姿が目に入る。 「チェスナット」  ジョリーが顎に寄りかかっていたホイールを手にして起き上がる。  それに迷惑がって「チューチュー」と文句を垂れるホイールに、チェスナットが「ごめんね」と声を かける。 「今日は安息日だから、きっと仕事があんまりなくて困ってるんじゃないかなって思ってね」  チェスナットは手に下げてきたカゴをジョリーの前に差し出す。 「え? なに?」  ジョリーは受け取ってから、ずっしりと重いかごの重みを足の上に載せて、中を覗き込む。  そこにはジャガイモやニンジン、玉ねぎなどの野菜が入っていた。 「お父さんが、店で出すには古くなってるから捨てるっていうからね。あ、でも古いのだから上げよう とかそういうんじゃなくて……」  慌てて付け足すチェスナットに、ジョリーは「気にしないよ」と言ってから首を横にふる。 「ありがとう。すごく助かる」 「……うん」  チェスナットもジョリーの笑顔に納得したのか、はにかんだように下を向くと、砂浜の上に絵を書き 始める。  海賊亭の親子には、事あるごとに助けられていた。  もちろん親父のヴァイロンは、素直に好きになれるタイプではない。  嫌味も言うし、キツイ仕事を無理に言いつけてくる。  だが、チェスナットがしてくれるように時々野菜を分けてくれたりする。(小僧、持ってけと頭にじ ゃがいもをぶつけられたときは切れかけたが)  隣りに座るチェスナットの体温を感じながら、手の中のホイールの背中を撫でてやる。  そのジョリーの顔をじっと見つめたチェスナットが、不意に立ち上がると、緑色のチェックのワンピ ースのポケットからハンカチを取り出した。 「ジョリー、今日は泥仕事でもしたの? 顔に泥が飛んでる」  そう言って、ハンカチを濡らしに行こうと波打ち際に走っていく。 「チェスナット、そこら辺に穴があったから気をつけて」  先ほどの波にさらわれて崩れた城をつくるのに掘られた砂の穴を思い出し、ジョリーが声をかける。  が、時すでに遅し。  穴に足を引っ掛けて盛大に体を飛び上らせたチェスナットの体が、波打ち際に滑り落ちる。  しかも運悪く、押し寄せてきた波がチェスナットの頭を飲み込む。 「チェスナット!」  慌てて駆け寄ったジョリーが目にしたのは、引き潮の下から砂だらけになって現れたチェスナットの 頭だった。 「大丈夫?」  バタバタともがくチェスナットを抱き上げるようにして起すと、咳き込んで顔を真っ赤にする。  ジョリーの顔を拭くはずだったハンカチを取り、ジョリーが代わりにチェスナット顔を拭いてやる。  細かい砂の固まりが落ち、つるりとしたたまごのような肌の顔が現れる。 「ジョリー、ごめんね。わたしドジだから」  実はお姉さんぶってしっかり者を演じたいチェスナットは、半泣きで呟く。  一人娘で母親がいないチェスナットは、海賊亭の若女将代理になろうとがんばっているのを、ジョリ ーはよく知っていた。 「ドジでも、やさしいチェスナットは、みんなから人気の海賊亭の看板娘なんだから、いいじゃん」  思いもかけずに言われたジョリーの優しい言葉に、チェスナットが顔を上げる。  だがそのときにはすでにチェスナットから目がそらされていた。  ジョリーが見ていたのは、砂の上に転がり出ていたアサリだった。 「アサリじゃん。食いたいな」  そのジョリーの言葉に、名誉挽回と立ち上がったチェスナットが言う。 「ジョリーのために、チェスナット、アサリ拾いをします!」 「え?」  ジョリーの疑問の声にも気づかず、チェスナットが波打ち際に座り込む。 「そんなことよりも着替えに帰らないと、風邪ひくから」 「いいえ。決めたことを守れないほうが気持ち悪くてダメです」  頑固に言い張るチェスナットに、ジョリーはため息を吐きつつ、一緒になって海岸の砂の上に目を凝 らす。  通り過ぎる透明な海の水の下で泡ぶくが上がる穴を掘りすすめていく。 「あった!」  アサリの貝殻をつまんで笑顔を見せれば、チェスナットも一緒になって笑ってくれる。  太陽の光が反射して輝く波間で、チェスナットとジョリーは塩が顔に浮き上がってくるまで夢中にな ってアサリ拾いをするのであった。
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