「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



33    失ったものを取り戻すために
    テーブルに頭を抱えて震えるカイリがいる。  辺りを見回して丸まった毛布を見つけて、その肩にかけてやる。  上げた顔の中の目は真っ赤に染まり、たった数時間で老け込んでしまったように疲れた顔には生気が なかった。 「ヴァイロン………ごめんなさい。あなたの大事なチェスナットちゃんもいないっていうのに………わ たしばかりがこんなんで………」 「いいんだ。気にするな。体が辛かったら横になっていてもいいんだぞ」 「ありがとう。でも大丈夫だから」  あまり大丈夫には見えない、青白い肌と色の失せた唇に、だがヴァイロンは頷いてやるしかできなか った。  チェスナットが帰ってこない。だがどうせまたジョリーのガキとどこかで道草でもくっているか、カ イリのところにでも遊びにいったのかだと思っていた。ちょっと雷の一つでも落として、門限を守れな いとは何事だと怒ってやるつもりだった。  だが、辺りが暗くなってもチェスナットは帰ってこず、不安になりだしてカイリの家までやってくる と、同じように不安で取り乱したカイリが家の前でオロオロとしていたのだった。 「きっと二人で一緒にいるんだろうさ。ジョリーは意外にしっかりした奴だ。チェスナットのことも守 ってくれてるさ」  ヴァイロンはカイリを安心させるように言うと、テーブルについてすっかり冷えてしまったお茶の入 ったカップを手に取った。  何度も落としたりしたのだろう。ベコベコにへこんだアルマイトのカップ。ガタガタと揺れるテーブ ル。カイリの肩にかかっている穴だらけの毛布。風が入り込んでくる隙間だらけの壁。その風に揺られ るランタンが一つ。  こんな粗末なところで暮らしていたのか……。  苦しい生活をしているのだろうということは分かっていたが、こんなにも酷いものだとは思ってもみ なかった。いや、見ようとしなかったといった方が正しいのかもしれない。ジョリーのあのなりを見て いれば、分かったようなものだ。カイリだとて、できることなら、ジョリーにあんな格好はさせたくな かったはずだ。  目の前のカイリも酷く痩せ、肌も髪も艶などあるはずもなかった。 「もう少ししたら、二人で教会にいってみよう。な」  そのヴァイロンの声に、カイリが顔を上げて頷く。潤んだ目を隠し、必死で嫌な想像から目を背けよ うとしている姿が痛々しかった。きっとジョリーに何かがあったら、決して生きていけないだろうと予 感させる姿だった。 「なぁに、二人で教会のどっかでかくれんぼでもしているうちに、眠っちまったかしたんだろう」  楽天的に言ってみるものの、自分でもそう安穏ともしていられない心境ではあった。  チェスナットの友だちは、二人が教会へ行くと言っていたのを聞いたらしい。だが、二人の姿を見た というシスターはいなかった。だが、シスターたちが言うには、シスターヴァイオレットも持ち場を離 れているので、もしかしたら彼女と一緒にいるのかもしれないとかなんとか。  だがその話が出たところで姿を見せた修道士さまが、あとは「ご心配でしょうが、明日の朝おいでく ださい。後のことは教会にお任せを」の一点張りだったのだ。 「きっとジョリーがチェスナットちゃんを連れて行ったのよね。ごめんなさい」  ヴァイロンに頭を下げるカイリに、慌てて立ち上がる。 「そんなことしないでくれ。ま、この頃は疎遠だったが、俺とカイリの仲じゃないか。チェスナット とジョリーは仲のいい友達だ。どっちが悪いなんてことはないんだ。な、分かったか?」  今にも崩れ落ちそうなカイリの肩を掴んで言う。  そのときだった。ドンという地面から突き上げるような響きとともに家がゆれた。 「地震か?」  家のあちこちに吊るしてある鍋や荷物が揺れてゆらゆらと揺れていた。そして一際激しい揺れにヴァ イロンがカイリを抱き上げて家から飛び出したところで、海のほうからガラガラと崖が崩れる轟音が響 いた。 「なんだ!」  遠く離れた民家の中からも、続々と人が飛び出してきていた。  その中の一人が海を指差して叫ぶ。 「なんだ、あれは!」  海を見る人々の前に姿を現わしたのは、巨大で船体が黒く塗られた海賊船だった。    体の下から突き上げた揺れにベッドの中で飛び起きたケーヌは、天井でカランカランと音を立てて揺 れるランタンに辺りを見回した。 「地震か?」  そして自分の出したその声に違和感を感じて口に手を当てた。  声がしゃがれていない。そして口元も皺が寄ってカサカサした肌ではなかった。  薄明かりの中で見下ろした自分の手は、皺も染みもない肌であった。  ベッドの中から飛び起きて洗面台の曇った鏡に自分の顔を映したケーヌは、叫び声を上げた。 「俺だ! 本当の俺だ。アンギナンドの呪いが解けた!」  体の節々が痛んだ日々とはおさらばだ。  体の横で強く握った拳を突き上げて雄たけびを上げる。  だがその声に負けないくらいの叫び声が家の外で上がっているのに気付いて、ケーヌは寝間着のまま で外に出た。  人々は一様に見開いた目で海を見つめ、口をバカみたいにあけていた。 「一体なんだってんだ?」  ケーヌも海へと振り返る。  そして人々に劣らず、いやそれ以上にあんぐりと口を開けて目を見開いた。 「ポイシーヴィルーゴ!」  そして自分の老化から解放された手を見下ろした。  その脳裏に浮んだのは、自分の息子であるジョリーの顔と恋人であるカイリの顔だった。  あの二人に何かが起こっているはずだ。  そう確信したケーヌは走り出した。
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