「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



30 公正なる裁き主
 そこへ足を踏み入れた瞬間、灯った明かりにジョリーは目を細めた。  階段を下りきった先にあったのは、石畳の闘技場のように円形の広場であった。  その広場を囲む石壁の中に設置された蝋燭が、誰の手にも寄らずに、連鎖をおこしたように次々へと 波を起して灯っていく。光の波だった。  ジョリーの真横から左右に音を立てて灯っていく蝋燭の火が、壁の中で上下左右に次々と灯っていく。  そしてそのオレンジ色の光の中で、大きく影を揺るがして現れたのは、白い薄衣を纏った青年だった。  白銀の長い髪を背中に流し、透けて見えそうな白い繊細そうな手を、傍らに立ったチェスナットの肩 に置いている。 「チェスナット!」  思わず駆け寄ろうとしたジョリーに、白銀の青年が手の平を翳す。  それだけでジョリーの前に見えない壁が発生して、苦鳴りをもらしてしまうほどに顔面を激しく打ち 付けてしまう。  額を抱えてうずくまってしまいそうになるのを堪え、ジョリーは涙の滲む目でチェスナットを見やる。  その視線に、チェスナットはしっかりとした頷きを見せると「わたしは大丈夫」と口元が呟く。  青年のチェスナットの肩を抱く手つきにも粗野な気配はなく、大事な妹を守るように立っている。  それにひとまず焦りを押し殺すと、ジョリーはまっすぐに立ち上がって白銀の青年を見据えた。 「チェスナットは返して」  ジョリーはゆっくりと力をこめると言った。  それに表情というものが抜け落ちた青年が、やはり感情の動きは露も見せずに、抱いていたチェスナ ットの肩から手を上げた。 「わたしは別に彼女を拘束しているのでも、連れ去ろうとしているのでもない」  ひんやりとした声だった。まるで氷の彫像から漏れ出た音楽のような声。 「だったらお前の目的はなんだ。ぼくやチェスナットに何の用があるんだ」  対してジョリーの声は次第に冷静さから離れ、熱を帯びていく。そしてそれに反応したように、ジョ リーが右手に持った灼熱の太陽から、赤い光の帯が色を濃くして滲み出て、ジョリーの体を覆って漂う。 「その力。灼熱の太陽の持つ勇気という力を、お前が持つに相応しいかを見せてもらう。そして、もし おまえにその力があるのなら、アンギナンドとともに来るがいい。我が元へ」  白銀の青年はそう言うと、チェスナットを傍らから離し、纏っていた薄絹を脱ぎ捨てた。  宙を舞った白い絹がひらめいて、だが地面に落ちる前に消え失せると、そこには白銀の青年の姿はな かった。代わってそこに立っていたのは四足(よつあし)で立つ大きなホワイトタイガーだった。  背に、その力を示すように黒い縞模様を浮き上がらせた筋肉の脈動が、ジョリーとの距離を測って肢を 動かすたびに浮かび上がる。  カッと開かれた口には鋭い牙が並び、真っ赤な舌にのせて轟音に似た咆哮が放たれる。  燃え立つ闘気を示して振られる尻尾が、張り詰めた空気を打ち叩き、目に見える火花を空に放つ。  その威圧感に喰われそうになっていたジョリーは、後退さった膝がカクっと震えたことで我に返ると 目の前にあったはずの壁に手を伸ばした。  そこには青年の作り出したいた透明な壁はなく、それを知覚した途端に、虎の口から滴る唾液の音ま でもが、よりクリアにジョリーの身に迫った。  このぼくにどうしろというのだ。武器一つ持っていないぼくが、こんな猛獣を相手に闘えと? しか も闘う意味が分からない。  白い虎は齧られたら一撃で首などもげてしまいそうな鋭い牙を剥き出しにして吠える。そして弧を描 く四本並んだ爪で石畳を掻く。  ジョリーは目だけは逸らさぬように真っ直ぐにホワイトタイガーと向かい合い、身構えた。  その瞬間、四肢に力を込めて宙を舞った虎に、ジョリーは顔の前に無意識で灼熱の太陽を掲げた。  手の中の灼熱の太陽を一振りすれば、ミスリルの軸を持った錫(しゃく)へと姿を変える。錫の頂点 には紅く光り輝く灼熱の太陽。  その錫で虎の牙を受け止める。だが勢いに負けて石畳に転がされたジョリーは、胸の上に重量感のあ る肢を乗せられてうめいた。息が止まる。その上突き出た爪がジョリーの胸の皮膚を突き破って刺さる。  もともとボロで茶色く染まっていたシャツの胸に、さらに赤い染みが広がっていく。  それでもジョリーは両手で支えた錫を持つ腕の力を弱めることなく、数センチ先にある虎の大きな金 色に光る瞳を睨み続けた。  ガチガチと音を立てて錫を噛むホワイトタイガーの牙から、熱い唾液が流れ落ち、ジョリーの顔に零 れる。 『なぜ攻撃しない?』  ジョリーの脳内に、嘲笑するように冷えた声が問い掛ける。  それが目の前の虎となった青年が発する声であることに気付き、ジョリーは震える腕に力を込めて押 し返しながら言い返す。 「なんでだよ! なんで闘わないとならないんだよ。それが分からないのに、攻撃なんて。だいたいど うやって攻撃すんだよ!!」  顔を真っ赤にして叫ぶジョリーに、ホワイトタイガーがその注意を惹くように尻尾を大きく振る。  途端にバチバチと音を立てて空気中の電気をかき集めたように、青白い光が舞い、それが離れてたっ たチェスナットに狙いを定める。 「な!」  ジョリーがじっと自分を見下ろしたままの虎を見て、叫ぶ。  そして自分に殺気が向けられたチェスナットの顔色も、さっと蒼ざめる。  そんな二人の恐怖に動けなくなっている姿をねぶるように眺めてから、それでも無情に尻尾が振られ る。  光の矢がチェスナットに向かって飛ぶ。  それを見た瞬間、ジョリーの持つ錫の灼熱の太陽が火を吹いた。  ジョリーの顔も、ホワイトタイガーのヒゲも焦がして飛び出した巨大な火の盾がチェスナットの前に 立ちはだかる。そして雷撃の矢を一瞬で溶かすと自身もゴウという音を残して消え去る。  それに目を見開いたジョリーは、さらに自分に向かって力を込め、赤い口を大きく捻じ曲げて首筋に 牙を埋めようとするホワイトタイガーに一瞬の殺意を持った。  こんな所で死んでたまるか。チェスナットにまで危害の牙を向けるなんて許せない。  殺してやる。  喉にかかる熱い野獣の息に最大限の憎しみをぶつける。  それは灼熱の太陽から炎の矢となって放たれた。  直接タイガーの口の中を突き抜けた業火の矢に、途端に仰け反って苦しんだタイガーが、フラリとジ ョリーの上からよろめき歩くと、石畳を揺らす重苦しさを伝える音を立てて倒れる。  その一部始終を見ていたジョリーは、石畳の上に転がされた視線のまま、胸に灼熱の太陽の錫を握り 締めて震えていた。  ぼくが殺した。  カッと開かれたタイガーの口の中は焼けただれ、頭の後ろへと突き抜けた炎があけた穴が煙を吐いて いる。  なんて酷いことを。  震えるジョリーの向こう側で、サラリと音をたてて再び現れた白絹の衣の青年が静かな目でジョリー を見下ろしていた。  青年の視線はホワイトタイガーを素通りすると、倒れたジョリーの前に立って手を差し伸べる。掴ま って起き上がりようにと示して。  青年の手に助けおこされて立ち上がったジョリーだったが、ガタガタと震える足をより強く感じただ けだった。  そんなジョリーの肩に手を置き、耳元に青年が囁きかける。 「君が殺した。なぜ」 「……チェスナットを殺そうとした。ぼくのことも」  言い訳じみた言葉だと思いながら、許しを求めてジョリーが青年を見上げる。  だがそこにあったのは、怯えるジョリーを労わるには冷えすぎた視線だった。 「そうだ。人は自分や自分の大切な人を守るために他の命を奪う。そして、それを繰り返すうちに、今 君が感じているような、命という重すぎる償え切れないものを背負うという恐怖も罪悪感も麻痺させて しまう」  青年はジョリーを導くと、その手を取って倒れたホワイトタイガーの腹の上に置く。  まだ暖かく命の痕跡を感じさせる死骸にドクンと心臓が震える。  この命を奪ったのは自分なのだ。この命の重みが自分の背中に乗ったのだ。 「この気持ちを忘れるな」  青年はそういうと、ジョリーの手を握った。  そして目の前からホワイトタイガーの死骸を消滅させる。 「君は灼熱の太陽の、一時的ではあるが保持者と認められた。そして同時に、その秘宝のもつ力をふる う力も手に入れた。簡単に他人の命を奪えるだけの力だ」  青年の言葉に手を見下ろせば、いつの間にか錫はただのクラウンに戻っていた。火を吹き、虎を焼き 殺した灼熱の太陽の力がそこにある。 「力は人を助けもするが、間違った野望を持てば容易に悪の道へと誘う。灼熱の太陽を持つものは勇気 の守護者。勇気とは蛮勇ではない。力を持つものが、その力を振るわないという決断ほど勇気を必要と するものなのだ。錫には人の悪を打ち砕く勇気と、善の基準となる法の覇者としての責任を意味する。  だから理由がわからぬうちは攻撃しようとしなかった君の判断。そしてチェスナットを守るために振 るわれた力は正しかった」  青年は初めて笑みを見せると、ジョリーと歩み寄ったチェスナットの手を取った。  そして恭しく頭を下げる。 「戦乙女の涙と灼熱の太陽に認められたものよ。その清い心のままに歩み、我が元へ来られよ。そのと きまでわたしは待っている」  青年がそう言うと、円形闘技場だと思っていた場所の中央の手を差し伸べた。  するとそこに石畳に一部がせり上がって円柱の柱が天井まで貫いて出現する。 「そこに二人の手をあてがい、船に掛けられた枷を解くといい」  青年は一言そう言い残すと、空気の中に霧散するように姿を消す。  間にいた青年が姿を消したことで、ジョリーとチェスナットの目が合う。  自然と互いに手を差し伸べると、ぎゅっと握り合う。 「チェスナット」 「うん。一緒に行こう」  二人は円柱に手を押し付けた。
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