「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



29   ぼくに力を
 ぎりぎりで着地したジョリーの足元で、岩棚の一部が崩落していく。  ずるりと消えていく足元に、ジョリーの上体が傾ぎ、掴んでいた地面から足の裏が宙へと浮き上がる。  靴の先などすでに破れて穴が開いていた。そこから覗く足の指の先で岩棚を掴もうとして、爪が抉れ てジョリーの体を衝撃が走っていく。  それでも条件反射のように伸ばした手が岩棚を掴んで、危ういところで吊る下がって墜落を免れる。  船の上のアンギナンドも思わず船の上で身を乗り出したが、岩棚に下がって揺れるジョリーの体に気 付いて、胸の奥から深いため息をつく。シスターバイオレットなどは、見ていられないと手で目を覆っ てしまっている。 「アンギナンド、あの子は大丈夫なの?」  自分で確認するのが怖いのか、上擦る声で隣りに立つアンギナンドに問い掛ける。 「ああ。大丈夫だ。俺のことを船長と呼ぶような将来有望な船員だぞ。そう簡単にくたばるか」  だがそう言った途端にアンギナンドの声が落ち着いた声から、語尾が吊り上がったものに変わる。 「ああ、あああああ」 「何? 何があったの?」  再びギュッと目を瞑って声だけでパニックに陥ってみせるシスターバイオレット。  アンギナンドが凝視する視線の先では、ジョリーが岩棚に引っ掛けた足に体重をかけた瞬間に再び崩 れ、今度は片手で吊る下がってしまうという危機状態に落ちってしまっていた。  そのジョリー自身はすでに自分の体重を支える右手の爪が捲れ上がって血が流れ出すぬめりに心臓を ドキドキとさせて、混乱の只中にあった。  勢いでチェスナットを救うために飛び出したはいいが、しょっぱなからすでにつまずいている。この ままチェスナットを救って見せると宣言して数十秒で墜落死などという事態だけは絶対に避けなければ ならない。  ジョリーは荒くなる呼吸を落ち着けるために、目をつむると胸いっぱいに空気を吸い込み、それから ゆっくりと吐き出した。そして心の中で唱える。まだ大丈夫。力は残っている。考える頭だってちゃん とついている。  そう冷静になる努力すると、頭の上にパラパラと落ちてくる砂利の欠片でさえ、もっとがんばれと発 破をかけてくれているように感じる。  そう思って目をあけたジョリーは、吊る下がった岩棚の下に黒い口を開けた穴があることに気付いて 目を見開いた。すっかり岩棚の陰に沈んでいたために気付かなかったのだ。  だが新たな突破口を見つけたとは言え、そこへ至る道は危険指数マックスな道しか残されていない。 この今にも崩れそうな岩棚を支点に体を揺らして、その体の反動で身を投げ出すようなやり方しか思い つかないのだ。  よく見れば、今目の前にある岩棚の下の穴には、海の中から上がる道が続いていて、急ではあるがよ じ登って行かれるルートがあるではないか。なんて自分は無鉄砲な行動をして、自ら首を締めるような ことをしているのだろうと、自分の頭を殴りたい気分だったが、今さらもうどうすることも出来ない。  このまま吊る下がっていても、いずれ岩棚崩落で一緒に落ちていくか、手を滑らせて落下か、あるい は無謀なチャレンジでもして穴に到達するかだ。  ジョリーは大きく息を吸って胸に空気を溜めると、両手で岩棚に掴まった。そして大きく足を振ると、 体を揺すった。  それだけで岩棚からは砕け落ちるのではないかと思わせるミシミシという音が聞こえるのだが、ここ で止まるわけにはいかない。胸にためた息たけで恐怖を堪えて体を揺すり続ける。  次第に反動がついていく体に、手が岩棚から離れそうになるのを必死に堪え、成功したシーンだけを 頭の中に思い浮かべる。反動が最大になった時に落ち始めた体を運に任せて空へと解き放つのだ。鳥の ように舞い上がった体は、まっすぐに穴の中へと飛んで行く。それ以外の軌道などどこにもありはしな いという正確さで。  目を開けたジョリーは、思いの中で見たのと同じタイミングで手を離した。  体が宙を舞う。黒い穴にむかって一直線に。  だが予想と違ったのは、手を離した直後に頭を大きく岩棚にぶつけて上体が宙返りをするように後方 へ反転してしまったことだった。  思い描いていた光景が、逆さまになって現実のジョリーの目の前で展開されていく。  ジョリーの目が捕えたのは、背後にあったはずの黒い崖の粗い岩肌、そしてチェスナットとともに通 ってきた道。やがて緑色に見える海のさざ波とその中から突き出した無数の尖った岩。  全てがスローモーションのようにジョリーの目に飛び込んでくる。  そして次第に元の位置に戻ってきた体の正面に岩棚の下の黒い穴が迫る。  勢いを殺して穴の中に着地した瞬間、ジョリーの中でスローモーションだった時間が元に戻り、きっ ちりと両足で着地した自分の足を見下ろす。  その背後で轟音を経てて岩棚が崩落していく。  それを荒い息の中で聞いたジョリーは、そっと岩穴から顔を覗かせると、下を見下ろした。  そこには見事に粉々になった岩棚の遺骸が痛々しく転がっていた。  一歩間違えは、あの下で潰れていた自分がいたのだと思うと、今さらのように胸の中で心臓が大きく 震える。  ジョリーは穴の中へと足を進めようとして船の上を振り返って見た。  そこには、じっと自分を見つめているアンギナンドとシスターバイオレットの姿があった。  そして目が合ったと思った瞬間、アンギナンドがジョリーに向って親指を立てた。  遠くて声など聞こえるはずがないし、口の動きだとてほとんど見えない。  だがジョリーには聞こえていた。 『がんばって行ってこい。男であるところを見せてみろ』  ジョリーもアンギナンドに親指を上げて見せると、穴を下る階段を駆け下りていった。  確かチェスナットは、階段を上がっていったはずだということはジョリーにも分かっていた。だが今 目の前にある自分のために用意されていたルートは下へと下っていく。  しばらく行くとすっかり光が入らないために真っ暗になった、ひたすら下へと向う階段に、ジョリー は足を止めた。  ここ以外行けるところはないと分かっていても、本当にチェズナットの元にたどり着けるのかという 不安が一秒ごとに強くなっていく。 「せめて明かりがあれば……」  そう思った瞬間に、ジョリーは自分のズボンの尻のポケットに入っているものに気づいて手に取った。  手触りで分かった。灼熱の太陽のクラウンだ。  これが船の中でアンギナンドが見せたときのように光を発してくれたらいいのに。  そう願った瞬間に、カッと手の中で熱が発生する。  そしてそれに続いたのは自分の尻のポケットから溢れ出して舞い飛ぶ紅色の光だった。ただ光りだし たのではない。帯状の光がジョリーを取り巻いたのだ。まるでジョリーという核を守るバリアを施すよ うに、あるいはジョリーそのものが一つの紅い宝石になったかのような光景だった。  その光の中で驚きに目を見開いて辺りを見回していたジョリーだったが、はっきりと見えるようにな った視界の中で、無限に続くかと思えた階段の終わりが見えているのに気付いた。  真っ直ぐに下りきったその先に、開けた場所があるのが見える。そしてそれがジョリーの与えれてた 試練の場所であることがはっきりと分かった。  この先に自分を持つ人物がいる。そして自分が試されることになるのだ。  紅い光の帯を放出し続けている灼熱の太陽を手に抱え、じっと見つめる。 「ぼくにおまえを持つ資格があるのかな?」  ものを言わずにただ自分の手の中で光り続ける紅いクラウンに、ジョリーは問い掛けた。  そして行くべき方向を見据えると、ぎゅっと灼熱の太陽を握って言った。 「ぼくもがんばる。だから、もし認めてくれるのならぼくに力を貸して」  歩き出した足元で、カンと石段を踏みしめる音が響いた。
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